先日、『スーパーローカルヒーロー』の試写を拝見し、ぜひ、主演のノブエさんと田中監督にお会いしたり、登場するミュージシャンのライブを観たいとおもっていた。折よく「東京公開記念ライブイベント」が開催されたので、足を運び、インタビューとライブを満喫。ノブエさんのあのピュアなキャラクターの背景、どのようにこの作品が完成したのか、2人の思いや意図は……など、うかがった。
(取材・構成 小林蓮実)
■ノブエさん(主演)編
「完成直前に、映画になることを知りました」
——今回、最近観た作品でいちばん好きなので、ぜひ書かせてくださいということで映画評を執筆しました。特に感じたのは、ノブエさんのキャラクターの魅力です。もともと、カメラがまわり始めたきっかけはどのようなものでしょうか?
ノブエ もともと映画をつくろうということでなく、記録をとっていくうち、映画にしてみようということになったらしいです。いろいろなトークで監督がおっしゃっていました。活動を社会に広めるためにドキュメンタリーをともにつくったのでなく、「カメラ目線」にもなっていないし、意識もせずに撮影されていたんです。それで、完成後、監督に「あとはエンドロールを入れる程度なので、試写をご覧ください」といわれました。ライブイベントも半年前に決まっていたんですね。移住した方を中心に、素人・玄人問わず知人のエキスパートがみんな参加していることをエンドロールで知りました。
——冒頭でノブエさんがトナカイのかっこうをしていたのも日常のひとコマなんですね。
ノブエ あれはクリスマス会で、サンタクロースの役でギターを弾いていた方は、歌いながら紙芝居をしている方です。
——お店自体のオープンはいつごろでしょうか?
ノブエ 古いですよ。でも、販売を含めたのは1995年くらいかな?
——ミュージシャンの方の出入りも早い時期ですよね。
ノブエ そうです。インディーズのCDばかり売っていたのですが、EGO-WRAPPIN’と交流するようになったのが99年、15〜16年前ですね。ライブの企画も始めた時期で、ノートパソコンが30〜40万円した時代です。
——「向島洋らんセンター」も、ライブをするような場所でない、意外な場所だと、知人には聞いたことがあります。
ノブエ もともとライブをするような場所ではありませんが、グランドピアノが白と黒、2台あったんですよ。
——それはすごいぜいたく!
ノブエ 置き場所がなく、「向島洋らんセンター」が広かったので、寄贈されたようです。でも、地元の発表会くらいにしか使われていませんでした。
「関東の母子を受け入れているけど、2015年が節目に」
——では、母子支援を考えたのは、3.11直後でしょうか?
ノブエ 地震や津波を報道でしか目にしておらず、知人が東北にいたわけではありませんが、何かしなきゃなと。まずは救援物資やお金を送ることを考えました。山口県の上関原発をつくるために埋め立てがおこなわれようとしてた時期で、東日本大震災で原発事故が同時に起きたので、仲間とも「事故が起きちゃったね」と話していました。
——映像に登場した方同様、ノブエさんも以前から反原発・反核の運動に参加していらっしゃったのでしょうか?
ノブエ はい、上関原発がきっかけでしたが。公共の空間やカフェ、シネマ尾道などで、鎌仲ひとみ監督の『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』『ヒバクシャ ドキュメンタリーの現場から』、山川元監督の『東京原発』の上映をしていました。
——わたしは尾道に行ったことがありますが、海の近くで自転車をレンタルしているところの近くくらいにしか街がないとおもっていました。
ノブエ いえいえ、もっと街があります。古い映画館がつぶれていたのですが、そこを改装し、個人がNPOを立ち上げました。現在、シネマ尾道として、毎日多くの、良質なインディーズ、単館的な映画が上映されています。ワークショップもおこなっていますよ。今回も、そこの支配人が協力してくれています。シネマ尾道をオープンするため、何千万円というカンパを集めた方です。
——『スーパーローカルヒーロー2』ができますね! それは、れいこう堂とあわせ、シネマ尾道にも行かないと。そして、3.11以降としては、作品でも取り上げられていましたが、福島などの母子支援が中心でしょうか?
ノブエ 福島や北関東や東北、場所によってはその他の関東の、こちらよりも放射能汚染の被害を何十倍も受けている方に、保養をしてもらうことを中心としています。子どもたちが普通に土とたわむれたり、どろ遊びが十分にできなかったり、お父さんお母さんのストレスや食べ物に対する心配が、2011年から今もずっと続いていますよね。
——チェルノブイリは保養の予算をきちんと出して徹底的にやっており、保養は必要ですが、現時点では、この国では知らんぷりですよね。
ノブエ 国は出さないよね。出してはいるけど、出さない。福島県に限っていえば、県内で動くならお金を出しますが、県外に出るなら出さないんです。他県でもひどい場所の人たちは、自分たちで注意し、自主的に動くしかなくって。そっちの被害のほうが、注意している福島の人よりも、ひどくなる可能性がある。これを国がやるかやらないかの差でしょう。
——ラストのほうで、移住されてきた母子が関東に戻るシーンがありました。
ノブエ 働くお父さんと母子が、子どもの命のために離れてきますが、金銭的に二重生活で、家族の調和からしても別れ別れ。家族が分断したままの人もいるし、離婚して西日本に残る人もいるし、戻って注意して生活せざるをえない人もます。
——ずっと、そのまんまの生活なんて、全員にはできないですもんね。いろんな人がいるとおもいますが。
ノブエ 2015年は、やっぱり節目で、小学校2年生だった子が、この春から中学生になる。そこで、帰りたくないけれど、家族と過ごすことの大切さを選ぶ。それは自分たちも、そうおもうし。
▼page2 ノブエさん篇2 「右も、左も、中もない」に続く