【Interview】障害者とプロレスがクロス。聞いただけで疑問がどんどん湧いてくる部分に引きつけられたんです~『DOGLEGS』ヒース・カズンズ監督

1991年に旗揚げした障害者プロレス団体、ドッグレッグスが20周年を迎えた姿を、ニュージーランド出身で長く日本に滞在していたヒース・カズンズ(現在の拠点はニューヨーク)が長期取材し、1本の映画にした。『DOGLEGS』は、ヒース・カズンズの映画監督デビュー作にあたる。

まだ見ていない方の多くは、本作に、初期のドッグレッグスを捉えたドキュメンタリー映画『無敵のハンディキャップ』(93・天願大介)の続編のようなイメージを持たれるだろう。僕もそうだった。

しかし、監督に聞いたところ、意外なことに『無敵のハンディキャップ』は未見だとの答えが返ってきた。当然気になりつつ、なにぶん末DVD化作品なので接する機会が無かったそうだ。

『無敵のハンディキャップ』には、まだ若い代表の北島行徳が監督の天願大介に、あなたのサンボ慎太郎に対する厳しい態度は、彼があなたの意図(健常者が障害者と手加減なく戦う)を理解していないことには、絆が無いことには成立しないのではないか、と問われる場面がある。
『DOGLEGS』は期せずして、その返答を導き出している映画だ。続編ではないけれど、しっかりと、20年後の変化、そして変わらぬものを描いている。
(取材・構成=若木康輔)



サンボ慎太郎はすごくフレンドリー

  10月22日のトリウッドでの日本初上映に、年末のマスコミ試写と2回拝見しました。ふつうは見るほど作品の理解が深まるものですが、不思議なことに『DOGLEGS』は2度目に見たほうが複雑な、感想を言いにくい印象を持ちました。
ドッグレッグス代表の北島行徳さんが、障害者プロレスを旗揚げした時から掲げ、観客を挑発してきた“後味の悪い面白さ”。映画はよく、その団体のありようを捉えていると思います。しかし、カズンズさんの視点は実は独特なんですよね。伴走者として一緒に高揚しているわけではなく、かといって引いているでもない。どう言ったらいいのかな……。

カズンズ どうぞ、まんべんなく。(このインタビューの時点では)日本人の方からの感想は、まだじっくり聞けていないんです。

 では思うままに。後から考えると内実は違う気がするのですが、初見では、海外のひとが作った日本のドキュメンタリーらしい、観察のクールさが前に出ていると感じました。僕らにとっては当たり前過ぎて見逃す事物や日常風景を見せられて、かえって新鮮に映るあの感じです。

カズンズさんはもともと長く日本に滞在して、フリーランスの映像作家としてディスカバリーチャンネルなどの仕事もされていたそうですね。

カズンズ そういう仕事はいっぱいしてきましたよ。〈海外から見たニッポン〉の話題をプロデューサーに売り込んで、映像にすると約束して。けっこうね、薄っぺらい扱い方が多いんですよね。新しい何かを発見する心の準備が出来ていないまま撮影することが、多かったですね。

 おそらく、ニュースや日本の伝統的なものを紹介する時には、それでも成立はしたんじゃないでしょうか。でもドッグレッグスは、日本人にとっても複雑な存在だから。カズンズさんの視点によって、そこがより浮き彫りになったのもしれない。いい意味で、距離の置き場所に迷ったこともあるのではないか?とも感じたんですね。

カズンズ 最初の数ヶ月は確かに、誰に焦点を当てたらよいか、どういう風に撮ればよいか、カメラを回しながら探っていました。

でも、迷いというものは感じなかったかな……。一度、そういう指摘を受けましたが。自分の映画をまだ客観的に見られていないのかもしれないけど。

           ©Alfie Goodrich

 『DOGLEGS』は、北島さんとサンボ慎太郎の関係が軸になっています。これは取材の当初から決めていたことですか?

カズンズ そうですね、2人のことがメインストーリーになっているとは思う。大きな理由のひとつは、慎太郎のキャラクターです。誰に焦点を当てようかと考えている段階で、慎太郎がけっこう密着してきた。フレンドリーな人なんですよね。

 北島さんが1997年に出したノンフィクション『無敵のハンディキャップ―障害者が「プロレスラー」になった日』にも、慎太郎さんは初めて会った日から人懐こくて、「腹の探り合いみたいなものが」全く無いキャラクターだったと書かれています。

カズンズ その通りですね。僕自身も、オープンな人を撮るのが好きなので。
だから、ドッグレッグスが、慎太郎にとってなぜこんなに大事な存在なのか。リングに上がるパッションはどこから生まれて来るのか。どうして続けているのか。それを分かるために追っていったんです。

中嶋有木さんも、愛人(ラマン)も、そうです。愛人(ラマン)なんか凄いじゃないですか。脳性麻痺で酒好きで、趣味の女装のままリングに上がって。いちばん強烈なことをやっている人だと言えるかもしれない。そのパッションはどこから生まれて来るのか、という興味は共通していましたし、動機はそれだけだったとも言えます。

撮っているうちに、北島さんと慎太郎の関係がドッグレッグスの背骨になっていると気付きました。それで映画は、2人を追うことをメインにしたんです。彼らを軸にしながら、僕が面白いと感じた選手たちを紹介していく。そういう作り方が出来るんだなと思って。

被写体が決まると、描き方も分かってきました。

慎太郎が何を欲しがっているのか。その壁になっているものは何か。そして、それを乗り越えられるのか、乗り越えられないのか。

だからけっこう、トラディショナルなスポーツ・ムービーの構成になっていると思うんですよ。

 『ロッキー』のような、という意味ですよね。

カズンズ そうそう。くすぶっている男が、強い敵との最大の戦いに復活や再起を賭ける。彼は勝てないかもしれないけど、その勇気によって、ある意味では人生に勝利する。ありふれて使い古されてはいますが、力強いストーリーです。『DOGLEGS』はそれを参考にしました。

そうしたのは、多くの人にとって、どんな風に感じ、どんな風に受け取ればいいのか難しいコンテンツだからです。

難しくてもいいのですが、入口は狭めたくなかったんですね。「障害者がプロレスをしているなんて、そんな痛々しいものには接したくない」と言う人にも興味を持ってもらい、是非を問わなきゃいけない要素や、人によっては抵抗のある場面をお届けするには、シンプルで明快なエンタテインメントの構成にしないとダメだな、と思っていました。

好んで、難しい映画を見に行きたい!と思う人は、そんなにはいないでしょう?

『DOGLEGS』も、楽しい、スカッとするスポーツ・ムービーの1本のつもりで見てほしいのです。そして見た後、「あれ、オレが見た映画は何だったんだろう」、怒るべきか、友だちに勧めるべきか、どう感じたらいいのか。いろいろ考えてもらうことが理想です。

▼page2 愛を求めるパッションがベースにある につづく