【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜 中野理惠 すきな映画を仕事にして 第53話 第54話

開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして

第53話 2000年代前半に手がけた作品①

<前回 第51話 第52話 はこちら>

PTU

作品は香港のジョニー・トー監督による『PTU』(2003年)である。PTUとはpolice tactical unit、香港警察の機動部隊。香港を舞台に警官の銃が失われた事件などを追う警官たちの一晩の出来事である。この文章を書くために、内容を確認しようとしたのだが、持っていたDVDの具合が悪くて再生できず、別のDVDを探しているうちに、日常業務に追われ、出張や帰省も入り、締め切り日になってしまった。

『PTU』のチラシ

子供が自転車を走らせる音

しっかり覚えているのは、深夜だというのに自転車に乗った子供が事件現場に現れることだ。自転車の車輪音が、カタカタと耳に残っている。子供の表情は画面に一度も出てこなかったと思う。ジョニー・トーは本作で2004年香港映画祭の最優秀監督賞を受賞している。

映画が観客に届くまで

では、どうして日本で配給しようと思ったのか。最初に見たのは手帳によると2003年12月3日。見た後、近くの食堂で、同業の知人たちと興奮して喋ったような記憶が残っている。劇場公開用日本語字幕付き初号試写は2004年12月1日。ユーロスペースで受け入れていれていただき、公開は2005年4月23日なのだが、情けないことにそれ以外の記憶の多くは欠落している。当時、パンドラに在籍していた曽根晴子さんがせっせと宣伝に励んでいた姿や、予算を捻出して地下鉄にポスターを掲出したこと、マスコミ試写の反応も上々だったことなどは記憶に残っている。

こうして振り返ると、映画は観客に届くまでには、長い時間がかかる、と改めて思う。


ジョニー・トー監督

ジョニー・トーのスタイリッシュな作風が気に入り、『イエスタデイ、ワンスモア』(2004年)を『PTU』に続いて配給した。『エレクション 黒社会』(2005年)も配給したかったのだが、早々と別の会社が決めていたので、残念だったが諦めざるを得なかったのだが、後に手が届かないほどの買い付け額だったと、伝え聞いた。  


メキシコ行き

さて、2003年の年末から2004年の年始にかけて、メキシコを旅行した。もちろん、友人のハマダの暮らすクエルナバカを訪ねたのである。彼女の暮らす家の庭の木々が大きくのびのびと育っているのを見て驚く私に「気候のせいで日本より遥かに成長が早い」と聞いたのを覚えている。また、テポストランという小さなピラミッドを訪ね、次に有名なティオティアカンの遺跡に行ったのだと思う。

かっと強烈な太陽が照り付けていたティオティアカンは広大だった。ピラミッドの石段が急で、しかも足を載せる石の幅が狭くて、落ちそうになり怖かった。ハマダのおかげで三食昼寝付きの日々で、それまでの人生ではかつてなかったほど<幸せな>お正月を過ごすことができた。


厳しいセキュリティ・チェック

だが、心地よい日々は、帰路の飛行機で吹き飛んだ。往路はさほどではなかったのだが、復路で乗り継いだロスアンジェルス空港で、検閲を受けるために、機内預けの荷物はカギを開けなければならないなど、あまりにセキュリティ・チェックが厳しくて、閉口した。よほど記憶に留めておきたかったのだろう、予定しか書かない習慣の手帳に、雑な字で感想をびっちり書いてあった。

さて、『PTU』の公開準備中に、1本の日本映画の件でユーロスペースの堀越社長(だったと思う)から連絡を受け取った。

第54話に つづく)

中野理恵 近況
昨年だったと思うのだが、見て感動した2本のドキュメンタリー作品『祖父の日記帳と私のビデオノート』(2013年)『海へ朴さんへの手紙』(2016年)を監督した久保田桂子さんが、「記憶の中のシベリア」を出版されました。