「ポルトガル、食と映画の旅」
第18回 ジョアン・サラヴィーザ、リスボンの闇と光
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映画監督ジョアン・サラヴィーザの名前に出会ったのは、2016年1月のことだった。リスボンのシネマテカ館長の特別なはからいで、新年早々にフィルムアーカイブ(ANIM)で貴重な映画を観る機会を得た(連載第8回「ポルトガルのフィルムアーカイブ」参照)。そのフィルムアーカイブの廊下に展示してあったポルトガル映画の歴史のポスターの、最も新しいもののなかに彼の名前を見つけた。2012年のベルリン映画祭で二つの賞を取ったミゲル・ゴメスの『熱波』(2012年、原題『Tabu』、2013年日本公開)とともに、短篇部門で金熊賞を取ったジョアン・サラヴィーザの『Rafa』(2012年、「ラファ」は主人公の名前)のことが書かれていた。彼の前作『Arena』(2009年、「闘技場・アリーナ」の意)は、2010年のカンヌ映画祭短篇部門でパルムドール賞を受賞したという。その記事は「ポルトガル映画が国際的な大きな賞をとったのは初めてのことではないが、三つの快挙をなしとげた今回のベルリン映画祭は、ポルトガル映画史において特別に重要な時期となるだろう。とりわけ新世代の監督たちが、小さいけれども偉大なポルトガル映画の未来を約束してくれる」と結んでいた。ジョアン・サラヴィーザ監督
このポスターには『Rafa』のスチールが三枚載っていた。大きな賞を取ったこと以上に、闇にうっすら見える少年の横顔を映した画が心に残った。いつか彼の作品を観たいと思い、その名前をメモした。翌日、リスボン中心部にある映画館「シネマイデアル」のショップで、幸運にも彼の短篇三作と長篇第一作のDVDを入手できた。
わたしは劇場のスクリーンでサラヴィーザの作品を観ていない。日本では2014年12月に草月ホールで行なわれた特集「カルロト・コッタと現代ポルトガル映画」で、『Arena』と『Rafa』がそれぞれ一回だけ上映されたが、見逃していた。だから、ここで語るジョアン・サラヴィーザ監督作品については、すべてDVDで観たことをお断りしておく。ちなみに、この特集タイトルにある「カルロト・コッタ」は、ミゲル・ゴメスの『熱波』の主演男優の名前であり、彼は『Arena』でも主役を演じている。
『Arena』は、上半身裸の青年(カルロト・コッタ)が、部屋のソファで自分の腕に入れ墨を刺しているところから始まる。窓には薄いカーテンが引かれ、扇風機がまわっている。入れ墨を終えた青年は横になるが、その表情はなにかに苛立っているようにみえる。左の足首には黒いベルトのようなものが付けられている。彼は思いついたように立ち上がり、ゴミの袋を持って窓から隣人らしき人の名前を呼び、ゴミ出しを頼むが断られる。その窓には鉄格子がはめられている。
三人の少年が窓を叩き「マウロ、マウロ!」と呼ぶ。ここで、カルロト・コッタ演じる青年の名前がMauroマウロであることがわかる。リーダー格の少年が「おれに彫った入れ墨がひどいから、20ユーロ返せ」と言いながら肩甲骨を見せる。マウロは一喝し相手にせず、カーテンを引いてソファに戻り、さらに苛立ちを増す。ドアが激しくノックされ、開けたとたん、先ほどの少年たちがマウロの目にスプレーを吹きかける。床に倒れたマウロを蹴りつけ、リーダー少年は一瞬とまどうが目をつぶって椅子で殴打する。マウロが身動きできない間に、少年たちは金を盗み部屋を出る。よろよろと立ち上がったマウロはキッチンで目を洗う。金がなくなっていることを確認したマウロの怒りの表情。それから、タンクトップを着てソックスを履き部屋を出る。左足首の黒いリングをソックスで覆い隠している。
ここまでの6分間、カメラは狭い部屋の中のマウロをとらえて彼の心の動きを追っている。しかし、彼が何者なのか、そもそも何に苛立っているのか、まったく説明されない。
『Arena』空中通路シーン
部屋から出たマウロは、夏の光の眩しさに一瞬たじろぐ。ここからカメラはロングショットでマウロを追い、思いもかけない景色の中でのアクションがつづく。二つの高層住宅の高い位置に架けられた空中通路。それを遠くから引いて、夏の空、二つの建物、通路にいるふたりの少年と自転車。胸のすくようなすばらしいショットだ。マウロは画面右の建物から現われて急ぎ足で通路を通過する。つづいて下の階の画面左の建物からマウロの姿。空中通路にいる二人の少年に一気に近づき殴る。ひとりは逃げる。
「俺の金はどこだ!」「知らない!」「あいつはどこにいるんだ!」
少年はほとんど泣きながら「工場の外」と答える。マウロは、その少年ではなく自転車を持ち上げて、空中通路から下に落とす。
場面は変わり、廃屋となった工場の屋上につながる螺旋状にカーブした坂の道を急ぎ足で登っていくマウロ。屋上にはポンコツ車があり、その運転席には車の部品を盗もうとしているリーダーの少年。マウロは近づき、窓から体を突っこんで少年を何度も殴り、車から引きずりだして、後ろのトランクに閉じこめる。背を向けて茫然と向こうを見るマウロ。ところがポンコツ車のトランクには穴があいていて、少年は開けて逃げだそうとする。それに気づいたマウロは、ふたたび少年を閉じこめる。そしてマウロは、ふらふらと屋上の端の方に歩いていく。タンクトップの背中の7の文字、右に傾ぐマウロの首、その向こうに立ち並ぶ高層団地群と広い空。この世界に向かって、何もかもあきらめきったように、マウロは放尿する。そして後ずさりして仰向けに横たわる。リーダーの少年はトランクから出て逃げていく。マウロはもうどうでもいいというように、屋上の焼けたコンクリートの上に身体を投げだしたままだ。
『Arena』屋上のマウロ
このたった15分の作品から見えてくるのは、青年の焦燥とあきらめだ。映画の中の時間は3時間ぐらいだろうか。そこで起こった出来事を、セリフを最低限におさえたきわめて映画的な手法で、リスボンに生きる若者の出口のない生活感覚をみごとに描き出している。すごい才能だと思った。カルロト・コッタが演技を越えた青年の存在を体現していた。
あの空中通路のある高層団地群はリスボンのどの地区なのだろう。なぜ窓に鉄格子があるのか。足首に巻かれた黒いベルトは「武器」なのか。そんな疑問が解かれなくても伝わるものは十分ある。しかし、監督のインタヴュー記事は、さらに「リスボンのいま」に言及するものだった。
マウロは「prisão domicileária」(英語で「house arrest」)の状態にある受刑者であった。この言葉の意味は「在宅服役あるいは自宅監禁」。調べると、禁固刑の受刑者が、刑務所ではなく自宅で司法の監視を受けながら生活するというもの。マウロのアパートの窓の鉄格子も、足首のベルトも、彼のこの状態を示している。足首のベルトには発信装置が取りつけられていて、住宅に設置された受信機を経由して警察の監視センターに信号が送られるシステムだそうだ。在宅服役制度は日本ではまだ取り入れられていないが、世界の多くの国で施行されているという。
ジョアン・サラヴィーザは語る。
「『Arena』は、都会と若者の暴力と、実際に『時限爆弾』を抱えた問題のある地区についての映画だ。撮影はリスボンのフラメンガで行なった」。
このフラメンガというところは、リスボンを大きく分ける行政地区でいうとChelasシェーラスのなかにあるさらに小さな地区のひとつである。リスボン旧市街はテージョ川に面する南側にあり、シェーラスはその北(北東寄り)に位置する。リスボン空港と鉄道のオリエンテ駅の中間の少し南にあり、地下鉄駅でいうとオリヴァイス〜シェーラス〜ベラ・ヴィシュタあたりの地区である。
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