【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」 第17回 アソーレス、大西洋の小さな島々 Ⅲ text 福間恵子

アソーレス諸島間のルートマップ

福間恵子の「ポルトガル、食と映画の旅」
第17回 アソーレス、大西洋の小さな島々 Ⅲ

第16回からつづく)

2014年7月12日午前9時、サン・ミゲル島の空港からアソーレス諸島最西端の島フローレスFloresへ向かうプロペラ機に乗り込む。ほぼ満席に近い。このフライトは、フローレス島により近い位置にあるファイアル島を経由する。サン・ミゲル島とファイアル島の距離は154キロ、ファイアル島とフローレス島は135キロ。アソーレス諸島の9つの島間の便は、だいたいどこかの島を経由するものが多い。場合によっては2つ以上の島を経由しなければ目的の島に行けない便もある。時間はかかるけれども、目的ではない島をかいま見ることができることを思えば、それはまたうれしい。

プロペラ機の窓から見えたサン・ミゲル島西側

プロペラ機が飛び立つと、サン・ミゲル島の西側がくっきり見えてきた。海岸線が切り立つ断崖になっているのがよくわかる。雲がかかっているところが、有名なカルデラ湖あたりだろうか。

ファイアル島が見えてきて、着陸態勢に入るために飛行機は大きく180度旋回した。とたんに隣のピコ島のピコ山が見えた。あいにく頂上には雲がかかっているが、稜線と裾野の曲線は富士山そっくりで、じつに美しい。機内には歓声が上がり、カメラを向けている人もいる。ピコ山はポルトガルの最高峰で、2,351メートル。この山が富士山に似ていることはポルトガルでは有名で、日本人だというと「富士山→アソーレスのピコ山」という話題になることも多い。ピコpicoは英語のピークpeak。頂き・頂上という名前の山であり、島もまたその名前をもらっている。

ファイアル島で乗客のほぼ3分の2の約50人が降りて、ここから15人ほどが乗り込んで、10時15分離陸。50分でフローレス島の空港のある町サンタ・クルース・ダス・フローレスSta. Cruz das Floresに着いた。滑走路も空港建物もほんとうに小さい。ファイアル島の曇りと打って変わって、ここには明るい夏の空が広がっている。

ホテルの送迎車が来てくれていた。町から少し離れた海のすぐそばにあるホテルは、人けもなくガランとしていたが、どこの部屋もベランダから海を見渡せるようになっていた。ベランダに出て海の大きさにあらためて目を見張る。たぶん東側、つまりヨーロッパ大陸に向かって海を見ているはずだが、ひたすら海と空だけだ。雲の流れがとても速く、その形を見ているだけで飽きない。

ツインで一泊94ユーロの部屋は、広くて明るくて、シャワーだけでなくバスも付いている。アソーレス諸島最西端の島で、この値段は妥当というべきか。

荷物を解いて、さっそく外に出る。ホテルのロビーで島の地図をもらって、町の中心への道を教えてもらう。道路に出ると、すぐ目の前にコルヴォ島が見えて、びっくりした。泳いで行けるほどに思える近さだ。

空港まで歩いて15分ほどの道のりは、新しい家並みと人のいない広い道路で、そこに青い空が迫り、なんともあっけらかんとした光景だ。小さな川に架かる橋を渡ると、古い家が見えてきた。どうやらこの川をはさんで、もともとの地区と新しい地区に分かれているようだ。ホテルは新しい地区の端っこの海沿いに建てられたのだろう。

午後1時ごろだったが、町の中心にある広場にも人は少なかった。観光客らしい人はみあたらない。静かというよりも、活気のないさびれた町という印象。住民は、どこで何をしているのだろう。

もう少し海の方に歩いて、客のいない小さなカフェの外のテーブル席に座る。ビファナとビールを注文した。おばちゃんが「パンがないからビファナはできないわ」と言うので、ひとまずビールだけをお願いしてから、フローレスの地図を広げた。

フローレス島は、テルセイラ島を90度回転させたような縦型の楕円形で、空港のあるこの町サンタ・クルース・ダス・フローレスは、島の東岸の南北のほぼ中央に位置する。サンタ・クルースの市街図を見ておどろいた。南北に走る空港の滑走路は、なんとこの町の北の端から南の端までを占めていた。町は滑走路の東側(海側)にあるだけで、西側は低い丘になっている。滑走路の長さ=町の南北は約1.5キロ、東西は約600メートル。街路は直線コースでなく曲がりながらだけれども、北の端に近いホテルから、今いる南の端に近いカフェまで、つまりこの町の南北をわたしたちは縦断してきたことになるのだった。

ちょっと呆然としていると、カフェのおばちゃんが「パンがあったんだけど、どうする?」と言う。「(なあんだ)もちろんくださーい!」。おなかは空いているのだ。それから15分ほども待たされただろうか。あろうことかビファナが先に来た。「ビールは?」と尋ねると「あらそうだったわね」という顔で、持ってきてくれた。やれやれ。フローレス初めての食事である。

で、ここのビファナもやはりバター味だった! 感激する。パンはふつうのカルカッサだが、トマトと玉ねぎも挟んであり、豚肉もなかなかいい味だ。「アソーレスのビファナはバター味」。これ、わが家の合言葉になった。

フローレス島の地図

フローレス島は東西10〜12キロ、南北15〜17キロ、面積143㎢、人口は2011年時点で3800人という小さな島である。13キロ真北にある、さらにさらに小さいコルヴォ島(人口430人)とともに、1452年にポルトガル人によって発見された。翌年には、コルヴォ島は本土の公爵に「個人の島」として贈与されたが、その記録にはフローレス島の記載はなく「コルヴォに隣接した島」としかみなされていなかったらしい。

15世紀後半になって命名されたフローレス(flores=花)の名前は、北アメリカのフロリダ半島からやってくる渡り鳥が種を運んだと推測される黄色い花が、島の海岸に咲き乱れたことからその名前になったという説がある。

フローレス島に最初に入植したのは、フランドル地方(現在のオランダ南部・ベルギー西部・フランス北部)の貴族で、テルセイラ島〜ファイアル島を経由してやってきたようだ。16世紀に入ってから、ポルトガル本土各地からの入植が始まったが、大西洋の孤島ゆえの交通困難やきびしい自然環境のなかでの開墾から始める農業は、けっして順調なものではなかった。しかし、大航海時代の経由地としての役割を果たしたアソーレス諸島全般において、新大陸に一番近いフローレス島は、小さいけれど重要な拠点ではあった。

そして19世紀前半、大西洋におけるアメリカの捕鯨産業が始まって以降、フローレスもまた捕鯨の基地として労働力を供出し、アメリカとの交通が密になってゆく(アメリカへの移住が始まるのもこのころから)。

鯨から採られた脂は、燈油や潤滑油の原料として世界の一大産業となったが、石油に推移する20世紀初めには鯨の捕獲量の減少とともに、一気に衰退していった。

現在のフローレスの産業は牧畜と観光で、農業も漁業も島内の供給にとどまる程度のようだ。観光は、他の島よりもさらなる「断崖の孤島」としての絶景探訪と、ロッククライミングやトレッキング、ダイビングなどがある。

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