【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」 第17回 アソーレス、大西洋の小さな島々 Ⅲ text 福間恵子

ホテルに戻る海沿いの道路は街灯もわずかで、もう車も走っていない。細い月が昇り、満天の星が輝いていた。「満天の星」という言葉は、まさにこういうときに使われるものだ。この澄みきった空のもとで、荒れ野を耕し、広い海に出て、子孫を残してきた島の人々の歴史に想いを寄せながら眠りについた。

翌月曜日、不便なバス便を駆使して、サンタ・クルースの真西の海岸に位置するFajã Grandeファジャン・グランデに行った。島の南東端に位置するラージェス・ダス・フローレスでバスを乗り換えて、合計約2時間の行程。サンタ・クルースから東の海岸線を南下して、ラージェスを経由して島を西に横切ってそれから北上するというコース。島のほぼ南半分の海岸線を走ることになる。

この島への入植は、まずラージェスから始まったそうだ。もともとはここが島の中心だったが、1950年ごろから島内の主な道路が整備され、空港がサンタ・クルースにできるころから行政の中心はサンタ・クルースに移った。

工場跡の営業所前で乗ったバスは、サンタ・クルースの町なかの3か所で人を乗せたが、それでも合計7人ほどで出発。わたしたちより年上と思える老人たちばかり。はたして、東海岸沿いのラージェスまでの道のりは、サン・ミゲル島で体験したノルデステへの道はまだあまいものだった、そう思えるほどにすさまじかった。断崖の海方向に下る道の勾配たるや、身体は完全に前のめりになり、手すりにしがみついていないと転げ落ちてしまうほどなのだ。景色をよく見てやろうと一番前の席に座ったものだから、もう恐怖のジェットコースターである。大げさでなく60度の坂を下っているように感じた。道路は舗装されているけれど、あちこち痛んででこぼこだ。老人たちも手すりを握ってはいるが、これが日常なものだからへっちゃらな顔をして大声で運転手としゃべっている。こちらは、運転手さん、しっかり前をみてください! と祈るような気持ちだ。

断崖の手前に古い家が1軒、そこでひとりのおばあちゃんが降りた。海風がブワッとバスに入りこんでくる。小さな畑にヤギがいた。そしてバスはエンジン全開にして、うんうん唸りながら来た道を登っていく。これが繰り返されて、ようやくなだらかな道になって、わたしたちふたりだけがラージェス・ダス・フローレスに着いた。20分後にここから出るからと運転手に言われてバスを降りる。まだ身体が揺れている。

この町は、サンタ・クルースに比べると、はるかにゆるやかに海に傾斜していく土地にできていた。りっぱな教会や文化センターもあり、新しい工場のような建物もある。快晴の光のせいか、町は明るい印象だ。

11時、ふたたび同じ運転手のバスに乗る。

「ファジャン・グランデは、本土でいえばアルガルヴェみたいに島中から海水浴に行くところだよ。ちっちゃい村だけどね」と運転手は話してくれた。

バスはやや内陸部を通って西へ、それから本道を外れて田舎道を北上しながら小さな村を三つ経由した。本道を外れてから北へ向かう道のりは、さきの急勾配コースとはちがうけれども、それはさらにきびしい島の暮らしが伝わるものだった。険しい山裾の細い道からは、むき出しの大きな岩や高い滝や人が住む朽ちかけた家が見えた。

11時45分、ファジャン・グランデに到着した。40分と45分のバス旅で見た光景は、わたしを打ちのめすほどのものだった。

村は、乗用車1台がやっと通れるほどの道の両側に古い家が並び、100メートルも歩けば「海水浴場」の広場へと出るという小ささだった。すぐ裏手に高い山が迫り、狭い平地は海が迫っている。そこに人が住み着いてできた村なのだった。それでも、カフェや小さなスーパーやみやげものを売る店がある。

「海水浴場」といっても砂浜ではなく、岩場をコンクリートで覆って、そこから飛び込んだり、ハシゴから海に入っていくというものだ。すぐ脇からは、真っ黒な岩礁だらけの海岸がつづいている。ここに島中から泳ぎに来るという話が、ほんとうなのだろうかと思ってしまう。広場にあるカフェのベンチで、しばらくぼんやりした。


ファジャン・グランデの村の山裾に建つ教会。

斜め正面に見えている半島の山裾に、白い教会がひっそりと建っている。まるで夢の中の一コマのような光景だ。あそこまで歩いていくことで、祈りが届くような気がする。この村にもこの島にも、きっと厚い信仰があるにちがいない。

村のメイン通りの裏にまだ新しい墓地があった。この村にふさわしいようなささやかな墓地。低い囲いの白壁がまぶしい。

村のカフェで、バター味のビファナを食べた。アソーレス最西端の島の、最西端の村もまたアソーレスなのだった。

地図で見れば、ここファジャン・グランデから北上して、北の村ポンタ・デルガーダに寄って、南東に下ってサンタ・クルースに戻れたら島一周できる。しかし、そうはいかなかった。ここから北上する道はないのだ。来た道を戻るしかない。

翌日はもうサン・ミゲル島に戻らなければならない日だった。午後のフライトまで、ふたたびサンタ・クルースの町を歩いた。通りを確かめながらくまなく見てゆくと、郵便局も市役所も病院もあり、小さなパン屋やカフェも裏通りにあった。近代的なホテルではなく、こじんまりした宿もみつけた。郵便局で切手を買い、町の人が気軽に入りそうなふつうのカフェで、スープとパンのお昼を食べた。島のくらしを、もうすこし踏みこんで見ることができたような気がした。

たった3泊の滞在が1週間に感じられるほどに、濃いものを受け取っていた。

それがなんであるかは、もっと時間を経て自分のなかに戻ってくるのだろう。

さようなら、フローレス。黄色い小さな花を見たら、きっとこの島のことを想う。

バスの中からはこんな景色もあった。白い牛が3頭、アジサイがまだ咲いていた。

フローレス島からサン・ミゲル島へのプロペラ機は、テルセイラ島を経由した。テルセイラのなだらかな草原が見えたとき、フローレスの険しい地形とのあまりのちがいに、あらためて胸を衝かれる思いだった。16日間のアソーレスの旅。三つの島に滞在し、二つの島を空から見おろし、一番小さな島を間近に仰いだ。アソーレス諸島とひとくくりにできない、9つの島それぞれに個性があることを知った。

どの島が好きかと問われたら、たぶんテルセイラと答える。けれども、目に焼きついてはなれないのは、真っ黒でいびつなかたちの溶岩でできた岩だらけの海岸と、幻のように立つ白い教会だ。フローレス島の最西端であり、アソーレス諸島の最西端であり、ヨーロッパの西の果てであるあの村の光景。そこに、アソーレスの500年あまりの歴史が、凝縮されているように思えた。人間が過酷な運命のなかで生きることの根源が、あの村の光景のなかにあるような気がしてくる。

テルセイラ島に住む作家、アラモ・オリヴェイラさんの小説『イエスのマルタ その真実』のマルタは、フローレス島に生きる女性。独身の65歳で処女である。この物語の冒頭の文章が、あの村の光景とかさなって、わたしの心に残っている。

もしだれかに、生きることは大変でしょうと問われたなら、彼女は微笑みを浮かべてこう答えるはずだ。「別な人生をわたしは知りません。これがわたしの天命です」。

(つづく 次回は6月5日に掲載予定)

福間恵子 近況
この夏撮影を予定していた福間健二監督の新作「天使の生きる場所」の企画が、やむを得ない事情で中止になりました。残念です。準備段階でお世話になった方々に深くお詫びいたします。