千葉県浦安市といえば、東京ディズニーランドのある街として有名だが、半世紀前までは、東京湾に面した漁師町で、山本周五郎の「青べか物語」の舞台(のちに映画化)にもなったことはご存知だろうか。映画『浦安魚市場のこと』は、その象徴ともいえる「浦安魚市場」が2019年3月に閉場するまでの1年半を追ったドキュメンタリーだ。「鮮魚 泉銀」三代目にてパンクバンドを率いる森田釣竿さん一家のほか、いくつかの店主の思いや客との交流など、様々な人間模様が魅力的に記録されている。
監督は歌川達人。撮影当時は浦安に、現在は兵庫県豊岡市に住み、JFP代表理事もつとめる「いろいろやる」監督だ。これまでも何本かの短編作品の上映などを通して編者とも交流を重ねてきたが、初の長編劇場公開である本作に際しても、実に「いろいろやる」人だった。映画以外の表現にまで及んだその「いろいろ」は、あらためて「作品」とはどうあるべきなのか、映画と社会や取材対象者との距離を考える上での深く、意味のある試行錯誤だったように思う。(採録・構成 佐藤寛朗)
浦安との出会い
―――浦安というのは東京近郊では良い意味の田舎っぽさというか、漁師町がディズニーランドになった! みたいな物語を持っている町なので、“世界のURAYASU”にこういう場所がある、という空間やコミュニティの不思議な魅力がこの映画『浦安魚市場のこと』には詰まっていて、面白く拝見しました。そもそも、なぜ歌川監督は浦安に足を運び、ここを撮りたいと思ったのですか。
歌川 『浦安魚市場のこと』の撮影を始めた時は、『カンボジアの染織物』(2018)を撮った直後でしたが、海外で作品を撮って、外国人の僕だから見える視点と共に、見えない部分もあったと感じていました。現地の言葉や状況をそこまで理解していたわけでもないので、テーブルの下で行われていることは捉えられていないのでは? という考えもあって、次は日本で撮ってみたいと思いました。
そもそも僕は場所や空間に興味があって、その中で起きることや、人が出入りするところを撮りたいというのが最初にありました。『カンボジアの染織物』は、文字通り染織物を作っているカンボジアの村が舞台でしたが、それが今度は浦安魚市場だった。僕はダイレクトシネマ寄りの撮り方が好きで、被写体にガンガン干渉していくというよりは、被写体と場所の関係や、被写体と誰かの交流を撮って、それを構成してみせていく作品を作りたい。でもそれをやろうとすると、僕もある程度時間を共有しないといけませんよね。カンボジアの時は、何往復したのかっていうぐらい行ったり来たりして、しんどかったんですよ。金銭的な制約もあって、時間を共有したいけど身体を持っていけないストレスがあって、東京の近くでそういうことができる場所を探していました。
浦安魚市場に関して言うと、三鷹でやっていた映画祭で『あなたの白子に戻り鰹』(2013今井真監督)を見た時に、その映画に主演している森田釣竿さんが、そのまま…でもないけど漁師役として出ていて、劇映画の中のコメディみたいな感じが面白いなと思ってみていたのですが、上映後、なんと森田さんがそのまま魚を売り始めたんです。映画祭の場で、いきなり毛色の違う人が魚を大声で売り始めて。それが衝撃でした。それぐらい開いているというか自由なのは面白いなと。でも、その時はそうやって思っただけでした。その後、関係者とお酒を飲みながら浦安の魚市場が閉場する話を聞いて、魚市場という場所をテーマに映画を撮ってみたいなと思い、森田さんも協力してくれるということでスタートしたんです。良き協力者がいないと、市場のような場所は撮影できませんから。
―――映画を作る上での映画的な戦略が始めから頭にあった、ということですね。歌川監督が場所や空間を深掘りしたい気持ちが強いのはなぜですか。それがどうして、浦安だったのでしょうか。
歌川 僕は一個人のヒロイックな意志よりも、環境や社会に影響されて突き動かされる部分に興味があって、システムや構造の影響を受けて生きている人の方が面白いと感じるんです。映画ができてから、魚食文化の終わりとか、社会的コミュニティーの衰退とか構造の問題を指摘いただいてますが、初めからそこに向かって行こうと考えていたわけではなく、行ってみたら面白くて、えいやと始めてしまった、というスタンスです。
ーーー森田釣竿さん、という個人との出会いも大きかったのですか。
歌川 それも大きいですが、撮影スタイルとしては、森田さんを入口にしつつ、もっといろんなものを撮っていたんです。僕はフレデリック・ワイズマン(*1)が好きで、映画から社会システムを覗き込みたいと思うのですが、そもそも時間を共有してくださった方しか撮影ができない。一般にお魚屋さんは商いをしているので、商売に支障が出るから、そんなには長時間、近くにはいれない方々なんです。彼らからすればよくわからない若者が、カメラ持ってずっとそばにいるわ、という感じだったと思います。結局、どうすれば映画が成立するかの試行錯誤するなかで、森田さんはいろんなものを撮らせてくれたから、それが軸になりました。森田さんだけでまとめることもできましたが、それも違う、と思ったので、前半は森田さん、後半はいろんな人が出てきます。
「場所」を撮るといっても、その場所は人によって違って見えますよね。浦安魚市場はいろんな人が出入りするし、いろんなお店がある、多面的、かつ複雑に過ぎる「場所」なので、やりたいこと全てを映画でアウトプットしようとすると難易度が高いんです。ある時、映画にこだわるからいけないと思って、途中で写真集を作りました。僕が撮った映像のスクリーンショットや、魚市場で保存されていた過去の写真、地元の写真家の人が撮った写真などを、160ページ程にまとめました。「場所を描く」ことにこだわると、映画ではできることとできないことがあるなと思い、映画以外のアウトプットを考えた結果ですが、面白かったです。
作品を地域にどう還元するか
ーーーその写真集、買います(笑)。映画では描き切れないと思ったのは、具体的にはどのような部分ですか。例えば歴史とか縦軸の時間とかならば想像もつきやすいのですが……。
歌川 ひとつは映画にしようと思うと、写っている人の多面性というか、肖像が限られるんです。どんなに多くの人と関係を作っても、いろんな人に見てもらえる映画を作ろうとすると90分や120分で収めようと思うから、描ける人や場所が限られてしまいますよね。浦安魚市場は、お店だけでも30くらいあって、いろんな人々の肖像を余白を持ってアウトプットできる表現を考えたら写真集かな、と。見ていろいろ想像したり、自分の中でストーリーを組んだりできますから。もちろん、そういう想像を抱けるスタイルを持つ映画もあるけれど、基本はこちらのストーリーテリングで、視線やいろんなものをある程度誘導していって表現するのが映画だと思うので。
もう一つは、映画にも映っているんですが、市場の中にスクリーンを立てて、プロジェクターを置いて展示上映をしました。そもそも僕は映画館には映画に興味がある人しか来ないと思っていて、映画館でバイトをしたこともあるけど、そのことがずっと引っかかっていたんです。僕は今、兵庫県豊岡市に住んでいて、演劇やアート系のことに少し関わっていますが、地方だと尚更そう。魚市場に出入りしている人たちは、ご年配の方も多いので、映画が完成した時に、果たして映画館まで観に来てくれるのだろうか? と思うと、作り手としては、誰の為に作品を作っているのか?という気持ちが芽生えるんです。撮られた側の人たちに届かないのに、映画祭に来る人たちだけが遠くで被写体の肖像を消費する現象は僕としては気持ちが良くないので、じゃあどういう形があるのかを考えると、全部映画でやろうとするのは無理がある。だったら魚市場で映像を流せば、みんな来るし、見られる、と思って、取材をOKしてくれた15店舗ぐらいの人々に「市場の中でこの映像を展示します。あなたの映像を見てもらいたいから、お客さんに対して話したいことを話してください」という感じで聞いた話を編集して浦安魚市場で流しました。ふだん直接は話さないけど、お店の人はこういうことを思っています、みたいなことが伝わるといいな、と思っていたら、1時間ぐらいの映像ですが、買い物途中に椅子に座って、最後まで観ていく人もいて、すごく良かった。写真集や映像展示をやれたから、気持ちよく映画にいけたというのもあるんです。自分にとって、映画を作る上で道草を食うことは大切なプロセスだなと改めて思いました。