【Book】テレビ・ジャーナリズムの切実な「危機」を訴える『テレビはなぜおかしくなったのか』text 細見葉介

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テレビのニュースやドキュメンタリーを見ていて、「おかしい」と感じる幾ばくかの疑問の正体を解ていく。とりわけ311以降のテレビにおいて、何が報じられず、何が歪められたか———原発事故、生活保護バッシング、政治と報道の距離などを挙げ、執筆者たちの現場での実体験を積み重ねて具体的に書いている。

4人の執筆者のうち、大原社会問題研究所の教授である五十嵐仁以外は、テレビ番組制作現場の経験者である。TBS「報道特集」のキャスターであり報道局長も務めた金平茂紀、NHKの元プロデューサーの永田浩三、札幌テレビを経て日本テレビでディレクターを経験している水島宏明という、現場に精通したベテラン勢からの問題提起であるだけに、ただならぬ危機感が凝縮された切実な「訴え」の様相を帯びていた。

2012年、一部の生活保護受給者を「不正受給」と断じてバッシングする報道が、ワイドショーや夕方のニュース番組で繰り返された。水島はこうした報道が過熱した背景について、記者の取材不足、勉強不足を指摘する。生活保護の捕捉漏れを長く取材して来た水島によると、地道な取材は敬遠される一方、「誰もがなんとなく感じている『不正』を暴く事は、わかりやすく、社内ウケや視聴者ウケもよい」ことで、安易に取り上げる傾向がある。そして社会問題化して政治の場でテーマとなって議論が始まると、今度は途端に報じなくなり、時間が経ってから新聞のような検証、反省を行わないのが特徴だという。

確かに近年、80年~90年代と比べてみても、制作している主体の問題意識がどこにあるのか、個性や葛藤が感じられない番組が増えたように見える。十年以上前、故・佐藤真が『ドキュメンタリー映画の地平』(凱風社、2001年)のいくつかの章で既に、作家との主体性を失わせるテレビの問題を詳しく書いていた。「共食いによる類型化、そして集団無責任体制が、テレビ番組の本質に巣くっている」「紋切り型でステレオタイプ化されたテレビ的発想が育まれ、こうして一般大衆の<無意識>が見事に形作られていく」。それ自体は一見、単純な瑕疵でも、積み重ねられることで重大な悪影響を与える。

加えて深刻であるのが、ジャーナリズムを志す人材に関する部分だ。金平は原発事故に対する各社の消極的姿勢を論じる中で、ニューヨークタイムズ東京支局長であり日本取材歴の長いマーティン・ファクラーの『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉社)の言葉を引用している。「記者たちには『官尊民卑』の思想が心の奥深くに根を張っているように思えてならない」と、日本のメディアが高学歴化、官僚化し、記者達の考え方が権力者に似てきている傾向を指摘していた。極端な例だが金平が言及した「シューカツを有利に進めるために被災地にボランティアに行く学生」のエピソードは、私も実際に聞いたことがあった。これらを読んで、先にレビューに書いた葉山宏孝著『AD残酷物語』(彩図社)にもあった、テレビ局と制作会社との格差構造を思い出した。テレビ局は終身雇用制度で、中途採用はあっても業界以外からの人材が来ることは稀だ。そうした環境で、無自覚に権力者の側に立ち、安易なテーマへ流れ葛藤を避ける傾向が、今日の報道姿勢を生んでいることが分かる。長く続いたこの悪循環の結果が、リーマンショックにともなう不景気や311を経て、さまざまな形で顕在化しただけのように思える。

まったく絶望の底のようだが、それでも金平は若い世代へ希望を託す。「僕は学生達を責める気はさらさらない。そのような仕組みを作ってしまったのは僕らの責任だろう(略)むしろ若い世代には可能性がある。変われるのだから。問題はマスメディアの中にいて、旧来の価値観を壊せなくなっている自分たちの側にあるのだと思う」という。 

また永田は不寛容やタブーがあふれたテレビを批判しつつも、『死刑弁護人』『長良川ド根性』(いずれも2012年)などのドキュメンタリーを制作した東海テレビのプロデューサー・阿武野勝彦の取り組みに希望を見い出している。「バッシングに励み、飽きたら使い捨てるという、今のテレビの風潮に真っ向から異を唱えるものだ。こうしたことを、お客さんも支持してくれることは、現状を憂うる、多くのテレビ関係者を勇気づけている」。なお、阿武野プロデュースの作品の多くは齊藤潤一が監督しているが、外部の人材ではなくテレビ局の報道記者という珍しいケースだ。「変なものもいっぱいあるが、それだけではない。いいものもたくさんある。例えばテレビだけをみても、多くのチャンネルが林立する中で、いいものだけ選択し、それだけを見ていれば、これほど豊かな時代もない」。

より大切なのは「次」の段階だ。若い世代が社会問題を提起したい、ジャーナリズムにかかわりたい、と考えた時にテレビ制作の現場を候補にあげるだろうか。すぐれた番組づくりを志すいくつもの取り組みを応援し続けることも必要だが、その番組を見た若い世代がどう動くか。志望する人々の官僚化が指摘されている一方で、テレビの実情が広く膾炙された結果、就職活動でテレビ業界を目指す学生の数は減っている現実もある。テレビ業界へ入ってから、金平が書くような柔軟性を保ったまま番組を作る———それまでの道のりは長く険しい。ここに好循環が成り立たないことに、本当の危機があるのではないか。
 (文中敬称略)

【書誌紹介】

TV_coverテレビはなぜおかしくなったのか
〈原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題〉報道をめぐって

金平 茂紀・永田 浩三・水島 宏明・五十嵐 仁 著
高文研/2013年1月7日発行/四六判 192頁
本体価格1600円
ISBN 978-4-87498-501-4



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【執筆者プロフィール】

細見葉介  ほそみ・ようすけ
1983年北海道生まれ。学生時代よりインディーズ映画製作の傍ら、映画批評などを執筆。連載に『写真の印象と新しい世代』(「neoneo」、2004年)。共著に『希望』(旬報社、2011年)。