傘がない 萩野亮
いよいよ本プログラムが各会場でスタート。小雨が降るなか、「アジア千波万波」の会場であるフォーラムに向かう。外は夜。ひるまは思いきり午睡にふけっていた。さっそく旅の疲れが出たらしく、映画ではなく夢をみた。
わたしの今年一本目は、フィリピンの『愛しきトンド』(ジュエル・マラナン)。コーディネイターの若井真木子さんいわく、今回は「東南アジアが熱い!」。ジュエル・マラナン監督はその中心的な人物のひとりだと聞いていたので、とても楽しみにしていた。
映画は、フィリピンのトンド地区に暮らすある家族の、決してめぐまれてはいない生活を静かに描いている。クロースアップ中心の画面に、汚れた川や工事の音、鶏や犬の声などが騒々しく響く。小魚を釣っては手際よく刻む少年、は実は少年ではなくお母さんで、日焼けした足の皺が暮らしの厳しさを端的に伝える。
カメラワークが独特で、対象を追いきれていなかったり、クロースアップが極端すぎたり、編集にもカット尻を長く残すあたりに過剰な詩情があって、終盤まであまり乗れなかったのだけれど、少年だと思っていた母親があたらしい生命をおなかに迎えては、やがて表情ひとつ変えずに出産する結末場面の、一条の涙がほほを伝うその横顔はうつくしかった。かれらは現実をそのままに受けとめて生きてきたのだと、その無表情から知らされた。時間がすこし経ってみて、いい映画だと思った。
監督のQ&Aがあるものと思って待っていたら、なかった。ので、雨がすこし本気を出してきたなか、香味庵へ。やってるやってる。ここへ来るとヤマガタだなあとしみじみ思う。昨夜のレセプションにつづいて、ここでもたくさんのなつかしい顔が。ディレクターの藤岡朝子さんにもあらためてごあいさつ。「neoneoのインタビューがよかったってみんな言ってくれるんだよ!」と伝えてくださって、ただただうれしい。あすからは三連休。もっとたくさんの映画と、もっとたくさんの方に会えると思うとわくわくする。雨は止んでいた。
震災にかんする映画を中心に 岩崎孝正
10日の開会式を終え、neoneo編集室の一行とともに、ミスドでお茶をした。『サンタクロースをつかまえて』のキャメラマンである山内大堂さんから、「11日、アサイチ山形美術館M1なんで、興味あれば是非見に来てください」と声をかけられた。なにかの縁である、見に行かないわけにはいかない。ちょうど、ミスドで隣に同席していたneoneo編集主幹である萩野さんのインタビューが「neoneo web」で読める(http://webneo.org/archives/6438)。
そこで、私は11日朝、美術館M1のプログラムへ急いだ。山形国際ドキュメンタリー映画祭の会場は5つあり、10をこえるのプログラム、9つのイベントが目白押しである。各会場の距離は、徒歩で短くて数分、長くて15分くらいだ。たとえば、ヤマガタへ来る前に「このプログラム・イベントはしっかり見られるはずだ」と綿密なスケジュールを組んでも、移動や、昼ごはんの時間(待てども料理が来ない!)、「映画の観すぎから来る疲れ・居眠り」など、予期せぬアクシデントは十分考えられる。うまい時間帯に観られない映画も出てくるはずだ。私は、ある程度のおおまかなスケジュールを立てておいて、観る映画は前日に決めるという方法をとった。重要なのは、「あ、これおもしろい」「これは見とくべき」などの消息通だ。私と同じく、はじめて来る方は、仲間とともに見に行くことをお勧めする。
さて、『サンタクロースをつかまえて』は、岩淵監督のセルフドキュメンタリーに近い作風となっていた。地元・仙台が震災で被災し、監督はいてもたってもいられずに仙台へバスで直行。シャッター街と化した仙台や、監督の被災した母親の勤め先をカメラでとらえる。実は前作「遭難フリーター」は彼と母親の物語であるらしい(残念ながら未見!)。『サンタクロースをつかまえて』は、仙台の「光のページェント」を再生、もしくは「もとある日常への回帰」のテーマとしてとらえた映画なのだが、地元へ戻った監督は、震災をどうとらえるのか葛藤する。映像は監督の葛藤を葛藤として見事にとらえていた。『サンタクロースをつかまえて』のサンタクロースとは、実は監督の同級生、前野さん、yunboなど、震災後に日常を生きる大人たちである。その大人たちを監督はカメラで見事にとらえているのだ。
つぎに見たのが『遺言――原発さえなければ』。野田直巳・豊田雅也監督が飯舘村を中心に2年間にわたり長期取材・撮影した。私は綿密な取材に裏付けられた映像に、彼らフォトジャーナリストたちの底力を感じた。たとえば以前私は「飯舘村を考える」を寄稿した(http://webneo.org/archives/9407)。同じ飯舘村が舞台で、登場人物も重なりながら、ここまで別の物語をつくりあげる手腕には脱帽である。
225分の映画が語るのは、原発によって壊されてしまった人生と、飯舘村の人々の再生の物語である。全国の劇場で公開されることを強く望む。見て損はない。
最後に見たのが竹内雅俊監督『還ってきた男』。こちらは村というより、一人の中年の男の内面に迫った一風変わったドキュメンタリーである。カメラはいわき市から避難しているという主人公である金成さん。74分の全編、ほとんど金成さんが映らないことはない。それほど密着して映像を撮影する理由とは何か。カメラは金成さんをずっと追っていくのだが、私たちは、そこで金成さんという男を通して、自分自身がいかに他者と向きあうのかに気がつくのだ。
「素材は素材である—見参!ヤマガタ・ラフカット—」 佐藤寛朗
夕方になって山形美術館の3階に足を運ぶと、ゴザの敷かれた空間に、つごう30人ばかりの観客や関係者が、思い思いの格好でイベントの開始を待っていた。前回の「テレビドキュメンタリー特集」に続き、趣向を凝らした空間だ。あの時は畳敷に昭和30年代のテレビを模したデザインのスクリーンだったが、今回のスクリーンの枠はシンプルな白。“作家の卵”の素材上映には、これがふさわしいのかもしれない。
ここで上映されるのは、60分以内にまとめた未完の素材を若い映像作家が見せ、それを元にディスカッションを行う「ヤマガタ・ラフカット」だ。本日のプレゼンターは6月に「neoneo web」にラーメンのエッセイを寄稿してくれた髙橋亮介君である。岩手県宮古市に住む祖父の姿を、夏休みの4年間、年に一度、東京から通って追い続けた映像である事が簡単に説明され、上映が始まった。
「せいぞんかくにん」と題されたラッシュは、祖父の農作業や孫とのコミュニケーション、そして老いゆく姿が記録されていた。ストーリーらしきものは無く、農作業のディテールや、ぎこちない孫との会話がイメージショット的に並べられている。はじめ稲作だった田んぼは畑に変わり、道路の拡張や震災といった周囲の変化が起き、やがて両頬を病んだ祖父は入院し、彼の話は不明瞭なものとなっていく。
ディテールは面白いが、何を伝える作品に飛躍するのか正直想像がつかない……などと、個人的な感想を整理する暇も無く、ディスカッションがはじまった。会場にいる人が、それぞれの感想を車座になって述べていくのだが、全く途切れることのないまま、言葉のパスが応酬されていく。
プロデューサーとおぼしき人もいれば、海外の映画監督もいる。彼の大学の先輩、たまたま見に来た観客、あるいは宮古市出身の人…皆、それぞれの視点で意見を述べるのだが、実にさまざまな事を言う。「方言の意味が分からない」と誰かがいえば「同時通訳のおかげで英語で意味を理解できた」と返す人がいる。「祖父との関係性が映像に見えない」という指摘の傍らで「その関係のぎこちなさが関係だ」と言う人がいる。祖父が被っていた広島カープの帽子が気になる人もいれば、宮古の方言の地域差を気にする人も現れた。時系列に編まれた素材を見て、続きを知りたいと言う人もいれば、もっとショットに着目し、ストーリーなど破壊してしまえという人もいた。
見ているものは千差万別だが、皆、自分なりの完成型をイメージしてものを言う側面があり、それが未完の素材を観ることの効用なのだろう、作者の髙橋君が「それはこういう事かもしれません」とその場での気づきを述べることが多かった。いち参加者の私からすれば、「みんなで作品の可能性を探るのは、こんなにも面白いのか!」と素直に思えるような、スリリングな展開の話し合いであった。
だが同時に、作品化するという行為は決断の連続なのだな、と改めて思った。途切れずに白熱した論議の結末として、主人公の祖父の死が髙橋君から告げられたところで、参加者のひとりである初老の紳士がこう言った。「皆さん作り手の視点でいろいろ細かいことを言うが、私はそんなことはどうでも良い。貴方のおじいさんがどういう人であったのか、それを分かるように見せて欲しい」と。観客の立場からの、もっともな指摘であった。
映像作家が可能性を場に開く、あるいは観客が無限の可能性を秘めた映像に触れる、という意味では、この「ヤマガタ・ラフカット」は面白いし、ふだん目にすることのない映像制作のプロセスに立ち会える機会というのは本当に貴重だ。全く違うタイプの企画や作家が話す、明日以降の展開も楽しみである。
しかし、最終的にどのような作品として完成するかはあくまで作家の手に委ねられるし、完成型を観たいから、自分はわざわざ映画祭まで足を運んでいるのだ、とあらためて思う。そういう意味でやはり「ヤマガタ・ラフカット」は、あくまで「素材の上映会」である。でもそれを映画祭で行うことの意味は、積極的に捉えたい。