【News】『飯舘村』監督のことば text by 土井敏邦

「補償金、月10万円で生活できますか?」と政府に訴える飯舘村の志賀正男さん©土井敏邦

3・11という未曽有の惨事を前に、30年近くパレスチナ”を追い続けてきた私は、ジャーナリストとして何を伝えるべきなのかがわからず、金縛りにあったように、まったく身動きができなかった。そして長く自問し、もがいて出た結論は、「故郷と土地を奪われたパレスチナ人を伝えて続けてきた私がやるべきことは、大震災の結果、故郷と土地を奪われた人たちの“痛み”を伝えること」だった。ただ、パレスチナは津波の被害のような“天災”ではなく“人災”である。3・11で人災によって故郷を失う人びと――それが原発事故によって故郷を追われる「飯舘村」だった。

飯舘村は原発から30キロ以上離れているにも関わらず、風向きや降雪、降雨の影響で大量の放射能が村に降り注いだ。しかし政府が村を「計画的避難区域」に指定し、全村避難を指示したのは事故から1ヵ月以上が経った4月22日だった。つまり原発に隣接し、事故直後に避難を余儀なくされた大熊町は双葉町と違い、村民が実際に避難するまでの2、3ヵ月間、飯舘村には日常の生活があった。故郷を追われる人の“痛み”は、奪われる前の人びとの日常の生活が見えていてこそ、より深く伝えられる。原発近隣の町々ではなく飯舘村を選んだのはそういう理由からだった。

2012年春に完成した『飯舘村 第一章――故郷を追われる村人たち――』では、飯舘村の2つの酪農家の家族が、生業の源であり、“家族”の一員”だった牛を手放し、避難のために家と先祖が眠る墓を残したまま村を離れていく姿を描いた。映画の中で村人たちは故郷の意味を自問し、愛郷の想いを切々と語った。

もう1つのテーマは“放射能の恐怖”だった。幼い子どもの被曝を怖れ、放射能に汚染された村から一刻も早い避難を訴えた若い親たちと、“村”という共同体を残そうと奔走する村の為政者たちとの間に生まれた深い乖離と軋轢も、飯舘村を描くのに欠かすことができない要素だった。

本作『飯舘村――放射能と帰村――』はその続編である。前作で描いた酪農家の2家族のその後を追うなかで “故郷”“家族”の意味を改めて問うとともに、「放射能に汚染されたあの村に、住民は帰れるのか」という深刻な問題がこの映画の主要なテーマである。 若い親たちは、幼い子どもたちの被曝を怖れ、帰村を断念し始めている。一方、年配者たちも、断ち難い望郷の念と、「子どもも孫もいない村、農業もできない村へ独り帰るのか」という不安と葛藤のなかで苦悩する。そんななか、国は全村民の帰村をめざし莫大な費用をかけ“除染”を推し進める。しかし取材を進めていくと、「除染はほんとうに効果があるのか、村人はほんとうに帰れるのか」という疑問が湧き起ってくる。さらに、いったいこの除染事業によって誰が利益を得るのか、国は除染によって何を狙っているのかという疑問も浮かび上がってくるのである。

“日本の中のパレスチナ”いう視点から、「人にとって故郷とは何か」「家族とは何か」を問うことから取材を始めた「飯舘村」は、「国家はほんとうに民衆のために動くのか」という視点へと私を向かわせた。この映画は、私のその問題意識の変遷の報告である。

【作品情報】

『飯舘村 放射能と帰村』
2013年/119分/HD/日本

監督・撮影・編集・製作:土井敏邦
整音:蔵口諒太/題字:菅原文太/写真撮影:森住 卓 /デザイン:野田雅也
配給:浦安ドキュメンタリーオフィス 

【上映情報】
新宿 K’s cinemaにて上映中 (連日10:00〜)
大阪 第七藝術劇場 6/15〜上映 

公式HP:http://doi-toshikuni.net/j/iitate2/

【監督プロフィール】

土井敏邦 (どい・としくに)

1953年佐賀県生まれ。ジャーナリスト。2009年、長年パレスチナ・イスラエルの現地で撮影した映像ドキュメンタリー『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その第4部『沈黙を破る』は2009年度キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位、石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。次作『“私”を生きる』は2012年度ベスト・テンで第2位。また2012年に制作した『飯舘村 第一章・故郷を追われる村人たち』で「ゆふいん文化・記録映画祭・第5回松川賞」を受賞。同じく2012年制作の『異国に生きる 日本の中のビルマ人』は2013年3月30日に劇場公開。現在は映画『ガザに生きる』(5部作)を制作中。主な著書に『アメリカのユダヤ人』、『沈黙を破る』(いずれも岩波書店)など。

監督HP:http://doi-toshikuni.net/
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