【Preview】2/7上映『アーノルド・シュワルツェネッガーの鋼鉄の男』の見どころはココだ!text 萩野亮×若木康輔

いよいよあす2/7(金)から5日間にわたって開催されるドキュメンタリーの冬の祭典、第5回座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル(ZKDF)。毎年テーマを設定して、映画とテレビからセレクトされるユニークなラインナップと多彩なゲストが楽しいZKDFの今年のテーマは「肉体」。

なんと今回は、本誌「neoneo」からも一本をセレクト! 編集委員が知恵をしぼってあれこれ提案しつつも案外アッサリ決まったのは『アーノルド・シュワルツェネッガーの鋼鉄の男』。当時最強と言われたボディビルダー時代のシュワちゃんに密着し、大きな話題を呼んだドキュメンタリーを上映します。上映後には、編集委員の萩野亮と若木康輔がみっちりとトークをお届け。きょうはこの作品の意外な(?)見どころについて(脱線しながら)ふたりが語ります。(萩野)

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|見どころ① 映画史とボディビルの密な関係!?

萩野(H) さて今回、第5回座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルでは、われわれ「neoneo」がひと枠いただきまして、「肉体」をテーマに一本上映させていただくわけですが、それが『アーノルド・シュワルツェネッガーの鋼鉄の男』です。

若木(W) これ、何年の映画だっけ?

 1977年ですね。で、日本で公開されたのが86年みたいです。

 ボクは北海道の出身なんだけど、札幌に来ないなアと残念に思ったのはうっすら憶えてるのよ。『コナン・ザ・グレート』(82)とか『ターミネーター』(84)でシュワルツェネッガーの存在がもうお馴染になってたころだったから。

H 俳優としての知名度が確立して、それでボディビル時代のドキュメンタリーもあるよってことで日本公開されたんでしょうね。

 そうそう。だから下世話な例えになるけど、『マドンナ in 生贄』(79)みたいなのってあるじゃん? マドンナがブレイクしてからビデオが出た、無名時代のソフトポルノ。受け取り方は完全にそっち系(笑)。ボディビルダーから俳優になったのはボクら田舎の中学生でも知ってたから、それなりに話題作ではあったんですよ。

 そうなんですね。僕なんかはこの映画ぜんぜん知らなかったんですよ。シュワちゃんがボディビルダーだったっていうのもうっすら知ってるくらいで。82年生まれですから、最初に記憶にあるのは〈リエちゃん・シュワちゃん〉で宮沢りえと出ていたアリナミンVのCMです(笑)。

 わー、ボクは逆に「さらばシュワルツェネッガー……」と別離の感情をしみじみ噛みしめてた頃だよ!(68年生まれ)。じゃあ『プレデター』(87)なんかも全部さかのぼって見たんだ?

 そうですそうです。

 こっちは中学生になって、一人で映画館に行くことを覚えたばっかりの82年の夏に『コナン・ザ・グレート』だったから。印象は強烈だった。でもね、蓋を開けたら映画は正直しょっぱかったのよ。SF専門誌の「スターログ」が〈夏の三大SF映画特集!〉みたいに謳っていてさ。『ブレードランナー』は確かに凄かった。だけど、あとの2本は『コナン・ザ・グレート』と『メガフォース』なんだもん。どこが〈三大〉なんだっていう(笑)。

 アハハ(笑)。

 ただね、いま思い返すと、ヒロイック・ファンタジー小説を映画にした走りなんだよ、『コナン・ザ・グレート』って。日本でもやってたテレビ・シリーズ「超人ハルク」(77-82)はアメコミの実写化の先駆例で。で、そのハルクがあれでしょ?

 そうなんですよ。今回上映する『鋼鉄の男』でシュワちゃんと対決するルー・フェリグノなんですよ。

 その前にも「スーパーマン」や「バットマン」などの実写化はたくさんあったけれど、シュワちゃんやルーの肉体なら夢の世界をリアルに表現できるという発見がこの時期に生まれた。彼らの身体の説得力が、アメコミ原作の映画を一大ジャンルに成長させた面は大きいわけだよね。

 そうなんですよね。ボディビルって映画史とも密接に関わっていて、「ソード&サンダル」っていう史劇のジャンルがあるじゃないですか。『スパルタカス』(60)とか、古代ギリシャ・ローマなんかを舞台にして男たちが闘うっていう。マカロニ・ウエスタンが流行る前に、一時期イタリアでものすごく作られていたんですよ。セルジオ・レオーネとか、セルジオ・コルブッチとかの監督がウエスタンに行く前に撮っていたんですよね。

 うんうん。

 そのイタリアの「ソード&サンダル」の代表的な俳優が、スティーヴ・リーブスっていうボディビルダーで、シュワちゃんも、そのスティーヴを見てボディビルを目指したらしいんですよ。

 へえ、そうなの!

 だからCGがない時代にそういう映画が可能になるためには、筋肉増強のためのいろんな技術がボディビルの領域で確立される必要があったわけですよね。それがアメコミまでつながると思うと面白いですね。

 まさに、『鋼鉄の男』は〈コナン対ハルク〉。ヒーローものが好きな人ほどオススメです! と声を大にして言っておきたい。主旨から逸れるかなあ。

 いえいえ、「だいじょうV!」でしょう。

 いいよそれはもう!(笑) 真顔でVサインする奴を久しぶりに見たぞ、おい。

|見どころ② ライヴ・ドキュメンタリーの流れ!?

 『鋼鉄の男』は、セレクトして良かったってつくづく思える面白いドキュメンタリーだけど、共同監督した2人ってあんまりプロフィールが知れないよな。 ジョージ・バトラーはもともとスチールのカメラマンらしいんだよ。

 バトラーは原作者でもあるようですね。もうひとりロバート・フィオレという人が共同監督にクレジットされていて、IMDBではこの映画の撮影はフィオレとして載っていますね。

 そうなんだ。でもエンドクレジットに出てくるマグナムみたいなスチールはバトラーが撮ったみたいよ。僕は別の海外のサイトで、同じ写真がバトラーの名前で出ているのを見つけた。

 原作を書きながら、写真も撮っていた人なんですかね? ちなみに続編にあたる『パンピン・アイアンⅡ』(85)もジョージ・バトラーが監督していますね。

 こういう映画って、一体どういう人脈でできているのか気になるじゃない? で、エンドクレジットをよく見てみると、アシスタント・プロデューサーがデニス・サンダースだったんだよ。同姓同名でなければ、この人、『エルビス・オン・ステージ』(70)の監督さんなのよ。

 あっ、そうなんですか!?

 ああいうライヴもののドキュメンタリーの流れってあるじゃない? ビートルズのアメリカ初上陸をメイスルズ兄弟が追っかけたものあたりから始まった系譜。

 最初期のダイレクトシネマ(軽量16ミリカメラによる観察型映画)からの派生ですよね。D・A・ペネベイカーがボブ・ディランを撮った『ドント・ルック・バック』(67)とか、メイスルズ兄弟が撮ったローリング・ストーンズの『ギミー・シェルター』(71)とか。

 ライブ・コンテンツを作ろうなんて意図は最初はまったくなくて、「ロックという新しい音楽の演奏家は果たして若者達の新しい神なのでしょうか?」とあくまでジャーナリスティックな視点で作っているんだけど。実際にたくさんのファンが見に来てくれるからペイもできるっていう。

デニス・サンダースも情報がなかなか出てこない人なんだけど、ハリウッド周辺で映画やドラマの監督をしながらドキュメンタリーも撮っていたことは分かる。そういうオルタネイティヴな経歴を考えると、ペネベイカーやメイスルズとまったく接点がなかったとは思えないし、『鋼鉄の男』に協力しているのも納得できるんだよ。『エルビス・オン・ステージ』も一種の考現学のアプローチで構成されていて、8年振りにライヴ活動を復活させたエルヴィスのリハーサルに密着しつつ、関係者やファンにカムバックしたエルヴィスの再ブームについて聞いていくの。それで後半はドカンとステージ。見たことある?

 いや、ないんですよ。そっちのほうは疎くて。でもお決まりのパターンがあるわけですよね。ステージの本番が待っていて、それに向けてレッスンを重ねていくさまを撮っていくっていう。

 ストーリーだよね。

 だから僕は『鋼鉄の男』を見たときも、ものすごくダイレクトシネマを感じましたね。16ミリの手持ちカメラで、フレデリック・ワイズマンみたいな撮り方してるなって。

 ワイズマン! 言われてみるとそうか。カメラ、いいよねえ。

 カメラすっごいいいんですよ(!)。正直ぜんぜん期待してなかったのに、すっごい良くて(笑)。

 アハハ(笑)。あれ、予告編はなんであんなのにしたんだろうね。フッテージをただ出しっぱなし。あれを先に見てわれわれ、完全に油断していたもんな。あれヒドイよね(笑)。

 ヒドイです(笑)。

|見どころ③ オリジナルのテーマ曲はオドロキのメンツ!

 なんでデニス・サンダースのクレジットに引っかかったかと言うと、『鋼鉄の男』が、音楽にかなり奢っている映画だからなんだよね。

 マイケル・スモールという方がクレジットされてますね。

 たしかね、ウォルター・ヒルの『ザ・ドライバー』(78)とか手掛けてる人だよ。しかも当時のドキュメンタリー映画ではめずらしいことに、ギターとかベースとかの名前もちゃんとクレジットされてる。それがまたね、すごいメンツがゾロゾロ見つかるんだよ。

 そうなんですか。

 主題歌を歌っているジョーイ・ウォードって人はよくわからないんだけど、ベースのウィル・リーはフランク・シナトラからビリー・ジョエル、シンディ・ローパー、マライア・キャリーまで引っ張りだこの、超が付く売れっ子ベーシストなんですよ。日本でいうと一頃の後藤次利みたいな感じの。

 はいはい(笑)。

 で、ギターのクレジットで出てくるのがエリック・ワイズバーグ。カントリー/ブルー・グラスの世界ではよく知られた存在。ボブ・ディランの70年代の最高傑作アルバム『血の轍』(75)に自分のグループでバッキングしているんだけど、ディランがギリギリで半分のテイクをボツにしてね。ミネアポリスの無名のミュージシャンを集めてやり直したほうに差し替えちゃった。

ワイズバーグは僕の年代だと、そういうケチのついたエピソードから名前を覚えてしまった人なの。後追いで知れば、わざわざ荒い音を求めるなんてさすがはディラン、いち早くニューヨーク・パンクの風を読んでいたんだと称賛になるけどさ、ボツにされたほうは仕事に響くだろうし、切ないよ(笑)。そんなことがあった後でこの映画のレコーディングに参加したんだと思うと、しみじみとしましたね。

H そうなんですね。

 それから、「♪パンピ~ン・アイア~ン、フ~」っていうコーラス隊のひとりにパティ・オースティン。クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子で、マイケル・ジャクソンなどなどのバックコーラスを沢山やってる女性。ホーン・セクションにはランディ・ブレッカーもいるし、要するに『鋼鉄の男』の音楽は、当時の売れっ子ミュージシャンをしっかり集めて作ってるんだよ。実際、70年代のアメリカのコンテンポラリーなポップスのいいとこ取りなサウンドになってる。サントラ、あったら中古で300円くらいだったらちょっとほしいよね(笑)。

 普通に買いましょうよ!(笑)。でも音楽もホントいいですよね。荒野をバックにしたイメージショットに音楽がかぶさるあたりで、なぜかラス・メイヤーの映画を思い出しましたけど(笑)。テーマ曲がオリジナルっていうのもすごいですよね。

 サントラが欲しくなるドキュメンタリー映画なんて、そうはないよなあ。わざわざオリジナルのテーマソングを作ってしまう力の入れ具合で、この映画をコマーシャルな形で広げたかった意図と、西海岸ショー・ビジネスとの距離がそんなに遠くないことが窺える。そういう意味では、ボクが「neoneo」03で商業性の高いドキュメンタリー映画について称した〈プログラム・ドキュメンタリー〉っぽいところはあるんじゃないかと思って。

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|見どころ④ ボディビルは霊と肉の相克だ!

 『鋼鉄の男』も「若者文化考現学」の面は多分にあって、60年代末はロックが主にその対象だったわけだけど、今度はボディビルが出てきたっていう。台頭してきたサブカルチャーからアメリカ文化の今を考える、そういう視点は明らかにあるよね。公開当時はけっこう評判になったんじゃない?

 ボディビルが一般に周知される、かなり大きなきっかけになったみたいですね。

 ヒットはしたのかな?

 ヒットしたんでしょう。『パンピン・アイアンⅡ』を作るくらいですから(笑)。

 そうだよね。ドキュメンタリー映画で続編はなかなかないよね(笑)。でもボクらも最初は「いろもの」扱いしてた。なんか変なもの見るぞってものめずらしさでこの映画に接したけど、見終わるとしみじみしちゃうよね。青春というか、人生というか。この奥行きの深さはすごいよね。

 そうなんですよ。最初は爆笑しながら見るんですけど、だんだん手に汗握ってくるし、いろんな見方ができてきますね。

 これは当日のトークで改めて話すつもりだけど、古代ローマの詩人・ユウェナリスの有名なことばで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」ってあるじゃない。もともとは富や名声を祈るより健やかな精神と肉体を望みなさいという良識的意味だったのが、20世紀に入ってナチスドイツに解釈を曲げられて優生思想につながったりもするんだけど。肉体を競い合う男達の悲喜こもごもを見ながら、そのことについて考えた。

 まさにそうですね。ハルトムート・ビトムスキーの映画で、ナチス時代のニュース映画のフッテージを編集して作った『ジャーマン・イメージ』(83)っていう映画があるんですけど、それなんか見てみると、当時の人たちはものすごく身体に気を配っているんですね。清潔にしたり鍛えたり、そういうことが一般民衆のレベルでやられている。あるいはナチスがそう喧伝しようとしていた。ビトムスキーはそこに明らかに偏った美学や思想を見ているんですね。

 うんうん。

 シュワちゃんもこの映画のなかで、「オレは独裁者のような権力がほしい」って言っていて、これはナチスの美学にもあるいは通じるかなり際どい発言です。

 「誰もが見上げる存在になりたい」ってね。

 この映画、実はシュワちゃん自身がのちに権利を買い取っているんですけど、それはおそらく政治進出するときにこの発言をやばいと考えたからなんじゃないかと思うんですね。あるいは、このころステロイドを使っていたことにものちに自伝でカミングアウトしていますし。

 うーん、そうか。でもユウェナリスの言うような、古代ギリシャ文化の理知的な精神への憧れもボディビルの背景にあるってことは、明らかに行間に出そうとしてるよね。当時はまだボディビルが日なたのものじゃないから、ちゃんと見せてあげたいという気持ちがあったんだろうけど。

 大会が近付くほど、筋力トレーニングよりも駆け引きや挑発などの神経戦のほうが苛烈になってきますからね。

 そう、実はそこが『鋼鉄の男』の真の見どころ! 終盤の心理戦はもう笑ってしまうぐらいで、その真剣さに次第に、素直に打たれてしまう。ルポ・ライターの増田晶文さんが日本のボディビルダー達を追ったノンフィクション『果てなき渇望』(草思社文庫)を読むと、面白いのはね、出てくるビルダーが異口同音に「ボディビルはメンタルスポーツだ」って言ってることなんだよ。

 へーえ(!)。

 「これだけすごい筋肉を持ってるんだぞ」ってことじゃないんだって。「オレはこれだけの肉体になるくらい、厳しいトレーニングに限界を越えて耐えたぞ」と。肉体と精神力が高いレベルでクロスしたさまを、芸術点として競い合うスポーツということね。

 なるほど。たしかに映画でもそういうシーンが何度も出てきますよね。もう笑っちゃうんですけど、シュワちゃんのライバルがトレーニングでバーベルを上げるときに、周りのトレーナーたちが「アーノルド! アーノルド!」と言いながらやってる(笑)。

 今回「肉体」っていうテーマをいただいて、ボクらはモロなものを選んだはずなんだけど、実は心の動揺や影響が筋肉の張りに大きく作用してしまう、多分にメンタルなものだったという。

 それはすごく重要なポイントですね。

 まさに「霊と肉の相克」だよ。むかしのスウェーデン映画のタイトルみたいだけどさ(笑)。

 シェーストレームの『風』とかね(笑)。いや、ナチスの話も出ましたけれど、近代ボディビルの父といわれるユージン・サンドウもプロシアの人ですし、ボディビルってやっぱり肉体的にも思想的にも近代ヨーロッパ特有の形式なんじゃないかと感じますね。

 そうだね。シュワちゃんの映画も『トータル・リコール』(90)とか、意外と存在の不安を絵解きしたような、暗いものが多いでしょう。『ターミネーター』なんて、まさに人間そっくりの機械というフランケンシュタインの怪物的キャラクターでブレイクしたわけだし。そこを遡っていくと、アメリカのサブカルチャーどころかヨーロッパ文化の根っこについて考えざるを得ない……。

 いや、きょうはここまでにして、あとは当日のトークにしましょう(笑)。

 ちょっとしゃべりすぎたね(笑)。要は一にも二にも強調したいのは、単なる筋肉バカの映画かと思ったら、あに計らんや、驚くほど思索的な奥行きがある映画だということ。

 もうひとつの「あに計らんや」は、カメラワークも音楽も抜群で、意外に映画的に完成度が高いという(笑)。

 ホントホント。実はここまで話して、お互いにまだこの映画の一番面白いところにはほとんど具体的に触れていないんだから!

 2月7日(金)、16:30より上映、『アーノルド・シュワルツェネッガーの鋼鉄の男』、ぜひご期待ください!

 お待ちしております! (了)

|作品情報

『アーノルド・シュワルツェネッガーの鋼鉄の男』 Pamping Iron
1977年/86分/DVD/アメリカ/監督:ジョージ・バトラー、ロバート・フィオレ

予告編
http://youtu.be/3x-mahFqe5E

*第5回座・高円寺ドキュメンタリー映画祭についてはコチラ

|プロフィール

萩野 亮 Ryo Hagino
1982年奈良県生まれ。映画批評。立教大学非常勤講師。編著に『ソーシャル・ドキュメンタリー』(フィルムアート社)。

若木康輔 Kosuke Wakaki
1968年北海道生まれ。構成作家、ライター。