【Interview】福島の“不安”と向き合う――『A2-B-C』イアン・トーマス・アッシュ監督インタビュー

 『A2-B-C』について

——それでは『A2-B-C』の話に入ります。この作品のテーマである、子どもたちの膿ほう・しこりの問題を撮ろうと思ったきっかけは何ですか?

イアン 2012年の夏ぐらいに、たしか新聞で、子どもたちの甲状腺検査で「A2」判定が増えていることを知ったんです。福島県がやっている検査の第1回目が8月か9月にあって、福島のお母さんたちからも、その情報を電話でいただいていました。

——やはり子どもたちの問題だというところが大きいのですね。

イアン
 はい。大きいです。
この映画は『A2-B-C』というタイトルにしましたが、しこり・膿ほうについてだけではなくて、半分以上は除染についての映画です。2つのテーマはつながっていると思います。あなたの家が除染されましたと言われれば、皆、家に帰ろうとしますよね。その気持ちを利用して、国は除染しましたというふうに見せている。でも除染は完全にできるわけじゃないから、それで子どもたちが被ばくする可能性が増えてしまう。だから、除染としこり・膿ほうの問題は繋がっているんです。

——出演しているお母さんたちとは、どのようにして出会ったのですか?

イアン 紹介していただいたり、スーパーに行って子ども連れのお母さんに直接話しかけたりして、いろんな方法で出会いました。取材させていただいた人に、あなたの周りで話したい方はいらっしゃいますか? と言ったら、さらに紹介していただけたこともあります。

今福島に取材に行くと、これは国内で放送されますか? とか、YouTubeでアップするの? とか、映画に使うの? とか、いろいろ確かめてられてからはじめて撮影OKが出るような、難しい状況になっていますが、当時(1年半前)は、みな普通に話してくれたんです。自分たちのことを伝えたいという気持ちの方が強くて、何か言われたら困るとかは、あまり考えていなかったですね。

編集をしていると、ここは意識して喋っているとか、誰かと話したいだけで本当は使わないで欲しいことを言っているとか、ここを使うと本人が困るだろう、とか、いろいろなことが見えてくるんです。だから、その人のことを考えながら編集をしました。この部分が使えたら映画にとっては良い、と思えても、それを使うと本人が困る部分があって、そこの葛藤はありました。

——カメラを向けられるといろいろ考えてしまう理由のひとつに、「地域の目」という問題があると思います。イアン監督の映画に出演したことで、お母さんたちが地域から孤立してしまう、ということはありませんでしたか?

イアン いろいろありますよ。1ヶ月前は、ぜひ福島でもお願いしますと言っていたのに、翌日は福島はやめて、福島だけでなく東北は全部やめて。そのまた翌日はやっぱりやってほしいと言ったり…。実家が近所で商店をやっていて、言い過ぎの娘がいるとその店でみんな買い物をしなくなるとか、子どもが小学校で、同級生のお母さんが「誰々ちゃんとは遊ばないで」と自分の子どもに言って、子どもまでいじめられるとか、自分だけではなくて、周りのことが全部絡んで来るんです。お母さんたちは、やってほしいという思いはあるけど、やっぱり怖いと思います。

——そういった日本の「ムラ社会」に対応するために心がけたことはありますか?

イアン 僕ができるのは、皆様の声を録画して、できるだけ多くの方々に見て頂くことしかありません。それだけです。僕は皆様の声を届ける道具。僕が助けてあげますとか、僕の力で皆様のことをヘルプ出来るとは思っていません。

——撮影中、いちばん大変だったことは何ですか?

イアン カメラマンがいなかった、ということですね。

実は、ひとりで現場に行くという経験は、この映画がはじめてでした。ひとりでカメラを回して、ひとりで移動して、ひとりで泣く。今までは必ず誰か一緒にいたんです。自分が機材を扱うのが苦手、というのもあるけれど、カメラマンと撮影をすると、お互い言葉が出ないくらいの酷いことを一緒に見て、複雑な気持ちで宿に帰っても、そのことを話さなくても信用できる人間がそばにいる。気持ちを共有できる相手がいるのは心強いんです。

でも今回の映画は、クルーで撮影をしに行ってできるような話じゃないじゃないですか。人の家だし、みんなが凄く困っている時期でもあったし。ひとりで行く、というスタイルで、結果的には良かったと思います。

——どういった編集の仕方をされたのですか?

イアン いつもは撮り終わってから編集に入りますが、今回は毎月撮った映像を持って帰って、ある程度編集しながら撮影を続けていました。使える部分はほぼ使っています。使えるけどこの映画には入らない、という素材の割合は少ないですね。

僕がある程度まで編集して、仕上げは他の編集者にバトンタッチしたんですが、その人は日本語が出来ないし、プロデューサーも日本語が出来ない。どうやってみなさんの話を英語で表現するのかで意味が変わってきてしまうから、字幕にはとても気を使いました。本当は僕じゃない人が作った方がいいと思うんだけど、僕とプロの人と4人で確認しながら字幕を作りました。

『A2-B-C』より

「不安」を映画にすることの意味

 ——日本人が見た事実とイアン監督がみた事実、それぞれ感じる事実は違うのかもしれません。相違を感じることはありましたか?

イアン 「僕が作った映画は事実です」とは思っていません。じゃあ事実って何ですか? 福島で起きている問題を、全く問題ありません、という医者や学者はいるし、どう考えても問題です、という医者もいます。どっちも事実ですし、それぞれ数字で見せられるわけですよね。この映画は「僕が福島に行って録音録画してきたもの」として観ていただいて、あとは自分で判断して欲しい。あくまで映画なので編集もされているし、反対の声もあんまり入っていませんから。

 ——日本のマスコミは、確証がないことは報道しないというスタンスをとっている所が多いですが、そのことは気になりませんか。

イアン 僕がこういう映画を作ったことによって、風評が増えるんじゃないですか? とか、差別の元になるんじゃないですか? とか言われることもあるんです。でも、膿ほうの問題が絶対に放射能と関係があるかどうかは、誰にもわからない。証拠がない限りは放送できないと言うんだったら、完全に理解できるようになるまで何年かかりますか? 5年? 10年? チェルノブイリの問題は全てがわかっていますか? わかっていないでしょう。

人間の身体のことは、問題だとわかってからではもう遅いんです。ただ、福島のお母さんたちが不安に思っていることは事実です。それは本当にあるわけ。だから伝えられるのは、助けて下さい、子どもたちを守りましょう、これを調べましょう、という不安の声だけですね。それが報道されないという理由が分からない。

10年後に全然問題はなかったという結果であれば、僕は真っ先に謝ります。心配かけちゃってごめんなさい、と。でも、映画でお母さんたちも言っていますよね、守り過ぎくらいでいいんじゃないかと。避難させて、10年後にやっぱり安全でした、避難しなければ良かった、ちょっと努力し過ぎたね、で良いじゃないですか。もっと子どもを守れば良かった、すぐに避難すれば良かった、と後悔するよりは。

——この映画は不安が大きなテーマになっていると思うのですが、不安を映画で伝えるというのはイアン監督にとってどういう意味を持つのでしょうか?

イアン 尊敬しているあるドキュメンタリー監督にも、君の映画は事実は何もなく、お母さんたちの不安しかドキュメントしてないと言われました。でもそれは現実なのです。

なぜ、不安を聞かせてはいけないんですか? なぜ、それがさらなる不安を煽ることになるのですか? 実際にこういうことが起きていて、不安の中で生活しているでしょ。県の検査では膿ほうが無いと言われたのに、不安なのでプライベートでもう一回、同じ検査をやる人も出てきます。これはどういうことですか? 不安を持ち続けるというのは、そこに国が対応していないからではないでしょうか。

前作の『グレー・ゾーンの中』もそうですが、『A2-B-C』はきれいにまとめて、答えの出る映画ではありません。そもそも「A2判定」ってなんだ?しこりや膿ほうは危ないのか危なくないのか、どっちなんだ?と言われてもおかしくない。要はまだわからない、ということですよね。でも完全にわかるまで映画は作っちゃいけないんですか? わからないからこそ撮るべきだし、わからないからこそ観るべきだし、わからないからこそ喋るべきだと、僕は思います。

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