【ワールドワイドNOW★ラテンアメリカ特別編①】ブラジルのインディペンデント・ドキュメンタリー集団を訪ねて text 松林要樹(映画監督) 

LENTE VIVA FILMSのメンバー
左:グエルハム(ディレクター・プロデューサー)中央:マウリシオ(ディレクター)右:マルセイロ(プロデューサー)

ブラジルにも「空族」がいた!
『祭の馬』の松林要樹が見た ブラジルドキュメンタリー製作集団


ブラジル滞在中の松林要樹監督から、ブラジルのドキュメンタリー製作集団を紹介された。あの『サウダージ』を撮った「空族」のような、インディペンデントな映像製作集団だという。ワールドカップの開催されるはるか前から縁の深い日本とブラジルだが、ドキュメンタリー映画、とくにその製作事情に関する情報は少ない。サッカー日本代表は敗れてしまったが、いま地球の裏側で盛り上がっている、ホットなドキュメンタリー映画の情報をお届けしよう。(このレポートは随時掲載します。neoneo編集室 佐藤寛朗)



はじめに

 ブラジルに来て2カ月が経つ。ワールドカップも始まった。私はワールドカップの観戦が目的でブラジルにいるのではない。『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』(2011)というドキュメンタリーの撮影の過程で福島県の浜通り地方から南米に移住した人たちに興味を持った。映画をブラジルで撮ろうと思い立った。2013年の4月から7月に一度訪ね、原発が出来る前に、現金収入を得るのが難しかった時代に移住した人たちを訪ねた。今年も映画『祭の馬』を作ったおかげで縁があり、ブラジルに来ることができた。ひとことで言えば、まあ、新作の準備だ。

ブラジルに来るまで、ブラジルのドキュメンタリーはほとんど知らなかったことが多く、日本でも劇場公開された『バス174』(2005 監督:ジョセ・パリージャ)以外は赤坂大輔さんが触れていたくらいで、ほとんどブラジル人のドキュメンタリー映画作家は紹介されていないだろうから、少々、私が知り合った人たちのことを書いてみたい。

サンパウロではまず、ドキュメンタリー映画を観れる機会は日本のようにはない。ときどき作家の特集上映を大学でやったり、映画祭で上映されたりするぐらいだ。私は今年の4月上旬にサンパウロとリオを中心に行われる E todu verdade(「all the true国際ドキュメンタリー映画祭」) という映画祭に参加してきた。そこで作ったコネを生かしてブラジルの映画を何本か見てきたが、その中で最も印象に残った映画と、その映画を作ったスタッフを紹介したい。

ブラジルの「空族」 LENTE VIVA FILMS

「ブラジルでは、ドキュメンタリーが劇場公開なんてありえないぞ。うちらはアマチュアだな。要はプロじゃないからそれで十分なお金をそれだけ稼いではいない。ブラジルでもドキュメンタリーだけで食えている人なんてほっとんどいねーぞ」と彼らは話す。どこかで聞いたことがある話かもしれない。

日本のドキュメンタリストも製作費がなくて、クラウドファンディングや企画マーケットに出して、どうにか資金集めから作品の形にしようとひいひいしているが、ブラジルでもコマーシャルの仕事でお金を作って、自主制作で形にするスタイルの集団LENTE VIVA FILMSを訪ねた。ブラジル版の「空族」と言ったらいいのか、アウトサイダーの集まりだ。

2000年に発足した。彼らはこれまで手弁当で短中編ドキュメンタリーを何本も作ってきたが、いよいよ長編を撮ることになった。2012年に作った『DAS ALMAS』が彼らの初の長編ドキュメンタリーだ。これもいろんな南米の映画祭をめぐった。 『20 Centavos』は2本目の中編ドキュメンタリー映画だ。ブラジル国内の映画祭で上映されている。現在約5本の企画を並行させて撮影している。何本かの企画プレゼン用のトレーラーを見たら、さすがにCMで仕事しているからか、すごくおしゃれなトレーラーだった。しかしサンパウロで彼らがいたのは、どこか新宿の雑居ビルにあるようなスタジオ兼オフィスだった。

スタッフは、常駐の経理と広報と宣伝担当者1人。編集とカラコレ専門スタッフが2人。監督、プロデューサー、カメラマンをほかのフリーランスのスタッフ4人が担当している。

「え?なんでオレたちがこんな金にもならないことをやっているかって?金だけが必要ならCMの仕事ばかりしているぞ。だけど、それは表現じゃないんだな。表現って内側からあふれ出す感情だろ?『20 Centavos』は政治に関係している映画だから、その距離感が最も重要だったんだけどな。運動と映画は違うんだな。うちらのマスターであるコーチーニョはすべてをかけて膨大なドキュメンタリー映像作品を作った。失うものを恐れていたら、何もできないよな。」

と言うのは、プロダクションの中心的な役割を担っているチアゴ。この日はデング熱で倒れていなかったが、翌日彼の自宅を訪ねた。チアゴはどのポジションもそつなくこなせるが、この集団の映画作品でチアゴのカメラはダントツにいと思った。カメラは大胆で攻撃的であるが、ブラジルのサッカー選手のように時折見せる繊細で体の柔らかい印象を持つ。

『20 Centavos』のフライヤー

『20 Centavos』

昨年6月、ブラジルでデモが起き、暴動へと発展した出来事を覚えているだろうか。公共交通料金の値上げが3R(レアル=約135円)から3.2Rへと0.2、つまり20centavos(センターボ 約9円)上がったことに由来する。この値上げ反対の運動の様子をダイレクトシネマのやり方で描いたのが、LENTE VIVA FILMSのチアゴが監督した『20 Centavos』というドキュメンタリー映画だ。

映画の主人公は「ストリート」で、人物に焦点を当てているわけではない。大きく分けて2つのパートで構成されており、53分の映画を半分に割ってみると、前半のちょうど折り返し地点の約26分を過ぎたころから、映画が反対のベクトルを持って動き始める。

まずこの運動のきっかけは公共料金値上げ反対だった。正義感あふれる市民がこの運動に加わる。だが映画の後半地点から運動が過激化し暴徒化していく過程が克明に刻まれて行く。そして何も変わらないブラジル、という印象が残された。

 映画の最後に“20 Centavos”のタイトルが出てくる。映画を通じて、タイトルの意味が観て変わっていった。気がついたのは、20centavos が二重の意味を持つことだった。20centで世の中が変わるかもしれない現実と、何も変わらなかったブラジルの社会運動は、20centのような価値だった、そんな印象さえ持った。多くの人はこの映画を観ることで、ワールドカップの最中でも頻発する暴動の映像の後ろにあるものが感じ取れるだろう。運動は社会の変革というよりも、社会のガス抜き装置としてしか機能しないことも。


エドゥアルド コウチーニョ

LENTE VIVA FILMSのスタッフのほとんどは、コウチーニョのファンだ。映画に興味がある人でもなくても、ブラジルのドキュメンタリー作家で一番有名だろうと思われるのは、エドゥアルド・コウチーニョだ。

ブラジルのドキュメンタリスト界の巨匠“だった”。過去形になるのは、今年の1月に、コウチーニョは息子によって殺されてしまったからだ。彼の代表作のひとつ『Edificio MASTER』(2002)はリオのコパカパーナのマンションで撮影された。映画は(マンションの住人の)インタビューで構成されている。はじめは、何だかつまらないなと思って見ていると、徐々に気がついてきた。それは、インタビューというのではなくて対話の映画だということに。

とにかくポルトガル語版の作品で字幕が付いていない作品が多く、まとまった作品を観る機会がないが『Cabra Marcado Para Morrer』(1984)『バビロニア2000』(2000)という作品もみなから勧められた作品だ。

日本ではほとんど紹介されていないブラジルの巨匠のことについては、また書きたいと思う。


【執筆者情報】

松林要樹(まつばやし・ようじゅ)

1979年福岡生まれ。福岡大学中退後、天竺めがけて一人旅。日本映画学校(現・日本映画大学)に入学し、原一男、安岡卓治が担任するゼミに参加。卒業後、東京の三畳間を拠点に、アジア各地の映像取材をして糊口をしのぐ。2009年、戦後もタイ・ビルマ国境付近に残った未帰還兵を追った『花と兵隊』を発表、第1回 田原総一朗ノンフィクション賞を受賞する。2011年の東日本大震災発生後は、福島県を精力的に取材。森達也、綿井健陽、安岡卓治とともに『311』を共同監督。2012年、南相馬市江井地区を取材した『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』を発表。2013年、福島・相馬で被災後、奇跡的に生き延びた馬たちの数奇な運命を見つめたドキュメンタリー『祭の馬』を監督し、劇場公開。著書に「ぼくと『未帰還兵』との2年8カ月」(同時代社)、「馬喰」(河出書房新社)。共著に「311を撮る」(岩波書店)。

【E todu verdade(すべて真実)国際ドキュメンタリー映画祭】

サンパウロとリオデジャネイロで毎年春に行われるドキュメンタリー映画祭。上映無料。今年は松林監督の『祭の馬』が招待され、日本人として初めて映画祭に参加する。関連して今村昌平監督のドキュメンタリー(『人間蒸発』『未帰還兵を追って』シリーズなど6本)が上映された。

公式HP:http://www.etudoverdade.com.br/br/home/

【エドヴァルド・コウチーニョ】

1933年生まれ。ブラジルを代表するドキュメンタリー映像作家。1970年代よりドキュメンタリーに転身、『Cabra Marcado para Morrer』(1984)で国際的名声を得る。今年1月、自宅で精神を患った息子に刺され死亡。『Edifício Master エジフィシオ・マスター』(2002)は、日本でも2005年のブラジル映画祭で上映された。

監督情報(MEGA BRASILより)→ http://megabrasil.jp/jdb/11

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