映画は時間の芸術、つまり時間を自由自在に操作し、それを引き延ばしたり、短縮したりする芸術表象である、と言われる。それは例えば夢に喩えられたり、またテオ・アンゲロプロスやダニエル・シュミットのように軽々と時空を超えて、異なる意識を繋いでしまう、人間の右脳のキャパを限りなく拡張させてくれる官能体験でもあるのだが、しかしこの「時間」を真逆に捉え、時間の停滞の困難さとそれゆえの美しさに向かいあおうとする作家も、この広い世の中には存在する。ワン・ビンその人である。
それは、かつて蓮實重彦が吉田喜重を評して、「無時間性の作家」と呼んだことに相通じるかもしれない。200人以上の「精神病患者」とされる人間達が収容されている中国四川のコンクリート病棟で、日常の反復のなか最も人間のエネルギーがローキーで、状況はいっこうに変わらない、「閉じ込められた」時間が延々と続く。布団の中で、2本のチビたタバコを代わる代わるうまそうに吸い続ける男、違反行動で手錠を掛けられ何もできず外を眺めている男、蚊の幻影でも見ているのだろうか延々とスリッパで壁を叩き続ける男、なぜそこがいいのか不可解なのだが、部屋の隅の1つのベッドの1つの布団に体を寄せ合いぶつぶついってる3人組などなど、およそ生産的な活動はことごとく禁じられ、「何もしない」ことを命じられた男たちの、徹底した停滞のさまにとことん付き合う、というかそんな停滞した時間の美しさに魅せられキャメラを廻し続けているワン・ビンに、とことん付き合うのが「収容病棟」なのである。
これがドキュメンタリーの真実の瞬間であるから、作品にこれだけの力があるのだという断定は、もう既に古くさいフィクション/ドキュメンタリーの議論であるということを我々は既に知っている。劇映画『無言歌』The Ditch において、ゴビ砂漠の<溝>に強制収容された反右派闘争の囚人たちの時間の停滞ぶりを思い出してみれば良い。
たしかに『収容病棟』において、携帯で音楽を鳴らす妻に延々と「やめろ」と叫び続けた男が、後にみかんを美味そうに頰ばり、病棟の連中にも1つ1つくれてやるシーンは、まぎれもない映画の美しさを湛えており、これはフィクションとして脚本に書くなど不可能な【世界】がそこに展開している、と声高に絶賛してみたくもなる。がしかし、『無言歌』The Ditch において、鍋の底を舐め回し限られた食事に貪りつく囚人達が、隣人の嘔吐物を喰うシーンを思い出してみるとすぐさまその【世界】への自信は揺らいでしまう(しかも、あの嘔吐も1シーン=1ショットで見事に捉えられている!)。どちらが力を持っているのか、甲乙をつけようとする思考は映画の敵である、とワン・ビンの画面は静かに諭す。
重要なのはどのような状況・環境で作品が撮られたかという周縁情報ではなく、ワン・ビンがいかに【停滞の時間】を画面に定着させ、【世界】の豊かさを押し広げているか、ということなのだろう。
【停滞の作家】ワン・ビンにとり、【停滞】を命じられた人物達が生きる強制収容所や精神病患者病棟は、いってみれば大好物であり、まさにワン・ビン定食といっても良い定式化されたアプローチがみられる。まず、キャメラは近づきすぎず、広角で物事を静観する。必要とあらば、被写体に近づくが、数mの距離は保ち(つまり被写体の懐には飛び込まない)中距離のズームで、「寄り」を記録する(女性病棟の恋人と格子越しに愛撫を続ける男をどうやって撮ったのか、驚愕のショットだ)。回廊を歩き回る人物には、程よく離れた距離から格子の外の中庭、一階下の女性患者の病棟など周囲の環境が垣間見える「広さ」を保ちながら、ゆっくりと移動・追跡する。編集のリズムも何かのアクションの完了など分かりやすいタイミングで切られることはなく、「何もしない」停滞の持続を待って、次の時間に移行するという呼吸が持続する。
停止した時間をもう耐えられん! とばかりにひたすら洗面器で水を被りつづける男、同じ回廊を叫びながらぐるぐると走り続ける若者、空腹からというより惰性で機械的にメシを搔き込み続ける男、布団の中で睡眠の睡(シュウ)と税金の税(シュウ)は同じ音だと延々と呟き合っている男性カップル(?)――むき出しの衝動と欲情がそのまま投げ出された時間の持続に我々は耐えられるだろうか。
もう分かったから止めてくれ、と思う人はまだこの停滞に付き合う覚悟ができていない。停滞こそこの作品のテーマであり、美学的存在論的なアプローチであり、ワン・ビンそのものに昇華された【世界】であるからだ。そしてなによりも重要なのは、映画の原理主義的な擁護以上に、中国の社会問題の深奥にある人々の存在が、この【世界】により克明にあぶり出されているということである。
4時間という映画の尺がこれほど正当化された作品も希有だと賞賛したい。
★あわせて読みたい★
【News】6/28(土)公開★鉄格子のなかの中国、存在を否定された者たちの届かぬ叫びを聴け――王兵監督最新作『収容病棟』
【Interview】『三姉妹~雲南の子』ワン・ビン監督インタビュー
【Interview】現代中国に渦巻く矛盾、人間の内なる暴力を問う――『罪の手ざわり』ジャ・ジャンクー監督
【Interview】中国インディペンデント映画祭2013 中山大樹さんインタビュー
|公開情報
収容病棟
監督:王兵(ワン・ビン)
製作:Y.プロダクション、ムヴィオラ
2013年/香港、フランス、日本
上映時間:前編 122分/後編 115分(全237分)
第70回ヴェネツィア国際映画祭特別招待作品
第35回ナント三大陸映画祭銀の気球賞
配給:ムヴィオラ
公式サイト http://moviola.jp/shuuyou/
★6月28日(土)、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
|プロフィール
舩橋淳 Atsushi Funahashi
大阪生まれ。東京大学教養学部表象文化論分科卒業後、ニューヨークで映画を学ぶ。デビュー作『echoes』(2001年)が、「アノネー国際 映画祭」(仏)で審査員特別賞と観客賞を受賞。第二作『Big River』(2006年、主演:オダギリジョー)はベルリン国際映画祭、釜山国際映画祭等でプレミア上映。東日本大震災で町全体が避難を強いられた、福島県双葉町とその住民を長期に渡って取材したドキュメンタリー『フタバから遠く離れて』(2012年)は国内外の映画祭で上映。2012年キネマ旬 報ベストテン第7位。著書「フタバから遠く離れて 避難所からみた原発と日本社会」も出版される。劇映画『桜並木の満開の下で』では被災地を舞台に物語を 展開し、ジャンルを越えて、震災以降の社会をいかに生きるかという問題にアプローチしている。最新作は「小津安二郎・没後50年 隠された視線」「放射能 Radioactive」「フタバ から遠く離れて 第二部」。