——静さんの話すエピソードは、プライベートかつ繊細な話だと思いますが、そのあたりをカメラの前で話すことには抵抗がなかったのですか
ちと瀬 静さんは本当に話好きで、3度の離婚のことや、過去の人間関係を話すのに全く抵抗がないんですよね。どういうことをしてきたかを全く包み隠さなかった。何より記憶力がいいんです。年代とかもポンポン出て来ますしね。もっと話を聞いてみたい、というパワーを常に持っていて、パワフルな彼女の魅力に僕もひきずり込まれちゃったのかもしれないですけどね。
反対に子どもたちは、出たくないという思いが強かったです。中国の血が入っているのをおおっぴらにして映してくれるなという、単純にそこですね。彼らは日本で日本人として暮らしているので、放っておいて欲しいという。静さんは両方の血をもっていることを誇りに思っていますが、子どもたちにそれはないですから。
——親子のギャップも含めて、静さんの人生からいろいろ考えさせられました。上海にいる元夫とさめきっているのに家族とは仲良くする、みたいなメンタリティーはなんだろうとか。
ちと瀬 上海の先夫の家族に静さんが会いたがったのは、夫と会いたいというよりは、自分が先夫の家族をどれだけ助けたか、ということを我々に伝えたかったのではないでしょうか。私のことを信頼している人たちがいて、その人たちをカメラの前で紹介したいという。経済的にも、相当尽くしたのだと思います。だから向こうの家族も、映画を通じて静さんにお礼を言うという。先夫の兄弟たちとは、離婚してからも繋がっていたみたいで、不思議といえば不思議ですよね。
——映画をみると、静さんは中国でも事業を成功させて、経済的にはさほど困っていなかったようにみえました。なぜ、お金は良いが労働条件の悪い日本に来たのでしょうか。
ちと瀬 映画の中では「子どもと離れて暮らしていたから、日本に来れば、一緒に生活できると思った」とおっしゃっていましたけど、正直それだけではないと思っています。日本人のお母さんが若くして亡くなったんで、身寄りは中国人のお父さんしかいない。そのお父さんも、中国人の後妻さんと結婚しているから、ひとりぼっちですよね。もう中国にいる理由がないんです。それと、妹さんはじめ兄弟が先に日本に来たんです。大連に行くとよく分かるんですけど、中国がこれだけ経済発展しても、日本に行けばもっと裕福になれる、みたいな指向は今でもあるんですよ。お母さんの祖国だし、来てみたいという気持ちもあって来た、というのが正直なところだと思うんですけどね。
——静さんの人生に寄り添って話を聞くことと、監督としての演出意図というか、映画にすることとの間に齟齬はなかったのですか。
ちと瀬 波瀾万丈の人生を送ってきた静さんのお話は、それ自体は起伏があるからドラマチックで面白いのですが、それをどうやったら映画として描けるのか、ということはずっと考え続けていました。話を聞き続けたとしてもそれは結局、過去の話じゃないですか。再現ドラマにする、ということでもないでしょうし、ワン・ビンの『鳳鳴 中国の記憶』(07)みたいにカメラを据えて聞くだけでいい、というわけでもない。その波瀾万丈をどういうふうに映画としてみせて良いのかが、分からなかったです。
加えて、撮り始めの段階では、劇映画を撮りたいのに自分はなぜドキュメンタリーを撮っているのか?という葛藤もありました。原一男やワン・ビンの映画を観たり、佐藤真さんの「ドキュメンタリー映画の地平」を読んでいるうちに、ふと、ドキュメンタリー映画を撮ることは忘れていいんじゃないの?と思いました。
原さんやワン・ビンの映画を見ると、「映画」としての圧倒的な力がある。それがなにかというのは難しいですけれど、ドキュメンタリーの枠に収まらない何かに僕も憧れを抱いていて、よし、ドキュメンタリーをやるけどドキュメンタリーにこだわる必要は全くないぞ、という開き直りがあったから前に進めた、というのはありましたね。自分は映画を撮りたくてやっているんだから、自分の思う「映画」にすればいい。ドキュメンタリーを撮ろう、という発想をどこかで捨てたんですね。
——具体的に聞きますが、それは人間を描く、ということですか。
ちと瀬 劇映画だと、脚本があってそれに沿って進んでいくんだけど、この映画の場合は、先に筋書きがあって、それに沿って撮ろうとしていたわけじゃない。やみくもに回して、その中で自然に撮ったものを再構成する、それが形になっていく。どう言えばいいか、真実を再構成していくと、別の何かになって行くというか。その新鮮さが面白かったのかもしれません。でも編集の段階ですね。これが「映画」になる、という確信が持てたのは。
——今「やみくもにカメラを回した」とおっしゃいましたが、現場で印象に残っていることはありますか。
ちと瀬 中国での2週間は、驚きばかりの毎日でした。まず空気が違います。スモッグのある、どんよりした空気なんですけど、それが映画的で、僕の好みに合っているんです。それと、小さな家庭用のカメラを向けているだけでも、すぐに「望遠鏡なのか?」と人が寄ってくる。ああいうのは日本では考えられないですよね。あとは、僕はそういう雑然とした雰囲気が好きで、ガイドさん(静さんの友達)に、路地裏なんかに連れて行ってもらおうとするんだけど、きれいなところしか連れて行ってもらえない、とか。やはり、よそからきた人にはいいところを見せようとするんですね。
キャメラマンには、どう撮るの?と聞かれるんですが、そんなこと俺に聞くなよって。その場で起こったことであなたの興味のあるものを撮ってくれればいい、と誤魔化してました。そんなのでは撮れないよ、と現場で喧嘩もしましたね。今回僕は、起きることに身を委ねていればいい、と思っていましたから。
ドキュメンタリーの撮影ということでいえば、何も考えないでいることの方が面白いんですよ。何も考えないで撮れたもののほうが、編集のしがいがあるといいますか。ほんとうに発見ですよね。それはメイキングの仕事をやっていた時から感じていたんですけどね。何か意図をこめてやるよりも、やみくもにカメラを回して、回したもののなかで何ができるか、という面白さです。
理想はそれで全部いければいいんですけど、それだけではやっぱりダメなんですよね。だからその、中国編以外は編集して足りてない部分を、あとから撮り足していった感じです。
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映画『中国・日本 わたしの国』より