【Interview】母娘の物語からみえてくる、革命・人生・そして愛ーー『革命の子どもたち』シェーン・オサリバン監督インタビュー

――重信房子とウルリケ・マインホフには、母であると同時に革命家であるなど、いろんなイメージがあると思います。監督にとっては、どの段階で彼女たちの「人物像」が見えてきましたか。

S・O おっしゃる通り、彼女たちにはいろんな側面があって、とても複雑な人物像なのですが、実際にメイさんとべティーナさんに会って、昔の写真などを見せてもらうと、本で受けた強い人という印象とは全く違う、女性的な側面が見えてきたんです。2人に話を聞くうちに、だんだんと私の中でふたつのイメージが合致していきました。特にメイさんに会う前は、重信房子については、彼女の著作を読むことでしかイメージを知り得なかったので、ドグマティックで強い女性であり、革命家である、という印象を受けていたんです。だからメイさんも、きっと強くて怖い人かなと思ったんですけど(笑)、実際に会うととても柔らかい感じで、話しやすかったです。

いずれにしても、映画では娘が説明する形でしか母親を描けないので、編集の段階ではメイさんとべティーナさんの声を中心に据えて、自分は作り手としては一歩引くことを心がけました。前作(ロバート・ケネディーを追ったドキュメンタリー『RFK マスト・ダイ』(08))では私が入れていたナレーションも、今回は一切入れていません。

母親たちが活動をしていた頃は、娘たちはまだ小さくて、覚えていることといないことがいろいろありました。ですから、歴史的事実の詳細を埋める形で、足立正生監督やウルリケ・マインホフの友人などが、証言者として登場しています。

――証言者の中では、特に足立正生監督が印象的でした。レバノンでの日本赤軍時代を語る姿を、映像で見たのは初めてでした。重信親子とかなり密接な関係を持っていたんですね。

S・O 実は、足立さんに企画の打診をした時に、通訳の方がタイトルを間違えて『革命の子どもたち』ではなくて『テロリストの子供たち』と訳してしまい「何でそんな変なタイトルの映画に僕が出なきゃいけないの?」と思われたんですけどね(笑)。そんなトラブルがあったにもかかわらず、足立さんはオープンで、メイさんと房子さんに協力したい一心で出演を快諾してくれました。もしかしたら足立さんは、メイさんや房子さんの経験を通して、という形だったから、自分の個人的なことを含めたレバノン時代のことを、オープンに話してくれたのかもしれませんね。

足立正生監督© Transmission Films 2011

――足立さん以外の証言者の方々では、特にウィルケ・マインホフの友人たちは、自分の感情をストレートに出す人が多かったように思います。周りの人の証言を聞くことで、見えてきた部分はありましたか。

S・O  60年代から70年代にかけて決定づけられたアイデンティティを、彼らは今でも持っている、ということです。彼らは当時を経験して、情熱的にそれぞれ関わっていたわけだから、今言葉で話をしても、こみ上げてくるものがありますよね。

ウルリケに関する証言者からは、ベティーナの主張に沿うなら出演したくない、という意見が結講ありました。ベティーナは、ドイツ国内ではどちらかといえば保守的な論客として、「テロリストの娘」というイメージから逃れるために、母親を切り離すような意見を自分で発信していましたから。ベティーナを含め、自分がどういうふうに描かれるかをコントールしたいと思う人が、ドイツ側には多かったです。

――日本・ドイツの両赤軍には暴力闘争の歴史もありますが、メイさんもべティーナさんも、暴力的なテロリズムの考えには否定的です。それに対して、監督はどのようにお考えですか?

S・O 日本赤軍が起こしたハイジャック事件の主な目的は、刑務所にいる同志の解放と活動資金の獲得でしたが、そこにはべトナムであれパレスティナであれ、戦争を支援する政府に対して、それを止めさせるための闘争、という側面がありました。いわゆる9.11のような大量殺戮とはちょっと違う。メイさんは、母親たちが起こした事件に、そのような戦略性があった面も理解しているでしょう。

事件というのは、どの国のどのメディアからどう見るかという情報源や視点によって、理解が全く変わってきますよね。イラク戦争などは、今でこそ間違いが見えてきているけれども、当時はそれが分からなかった。そういう意味では、メイさんが「9.11はひどかった」と言うのはよく分かります。

『革命の子どもたち』より© Transmission Films 2011

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