|大島優子の予言
……卒業はずっと考えていますね。もう19ぐらいからずっと考えています……。
……5年後とか3年後にもし自分がAKBにいなかったとしても、グループとしては、ちゃんと残っていてほしいと凄く思います……。
……だからこそ今、私たちがちゃんとやっとかないとグループが残れないと思うんですよ……。
……私の人生プランとしては、32ぐらいの自分の女優の姿が一番楽しみです……。
(『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』より)
スキー場で大島優子がインタビューを受けている。2010年に発せられた彼女の言葉は、2014年現在の自分自身と、AKB48の状況を予言していた。「会いにいけるアイドル」をコンセプトとして2005年より発足したAKB48は、今や姉妹グループを含めて数百人が所属する巨大グループと化し、ライブ活動に限らず様々なプロジェクトを日夜発信している。大島の憂いなどなかったかのように、AKB48は日本を席巻し続けているのだ。
そして2014年6月9日にAKB48劇場で開催された『大島優子 卒業公演』をもって大島優子は卒業した。2009年からシングルの選抜メンバーを決めるために毎年開催されている選抜総選挙においては、2010年、そして2012年に1位を獲得するという、不動の人気を有していたエースが、AKB48から去ったのだ。
本作は『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』(2011年)より続く『DOCUMENTARY of AKB48』シリーズの4作目である。その名の通りAKB48グループに焦点を当てたドキュメンタリー映画ではあるが、本作はその形式が過去の3作と大きく変化している。まず過去3作の主だった特徴、そして共通点を素描しておきたい。
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|AKB48と『DOCUMENTARY of AKB48』の変遷
第1作『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』は、2010年のAKB48の活動に迫った内容だったが、岩井俊二製作総指揮の下で寒竹ゆり監督が目指したものは、現在は既に卒業をした初期メンバーを含めたそれぞれの紹介であり、所謂入門編として作品を位置づけることにあった。メンバーそれぞれの胸中が語られるものの、活動内容については、表層をなぞるのみに留まった。
第2作『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』(2012)は、監督が高橋栄樹に代わり、これ以降は彼が本シリーズの監督を一貫して務めている。前作のコンセプトを引き継ぎ、AKB48の1年を振り返る内容であり、幕を開けるのは2011年3月11日以降からである。“東日本大震災以降の映画”という属性が作品に付与された結果、日本においてAKB48グループは如何なるスペクタクルであればいいのか? グループのメンバーとして、どう振る舞えばいいのか? という問題をメンバーそれぞれが思い悩む姿が捉えられた。
震災以降、暗いムードが日本を覆う中、皮肉にもグループの活動は大規模になっていくが、それが映画自体の熱量を加速させてもいた。西部ドームにおける公演の舞台裏では、過呼吸によって倒れるメンバーがスタッフに運び込まれるなど、衝撃的な場面もカメラに収められ、大いに話題を呼んだ。また新たに研究生から昇格したメンバーで構成されたチーム4の紆余曲折もまた印象的であり、リーダーの大場美奈が過去の恋愛による謹慎を乗り越え、被災地に立ってグループに残ることを決意する場面は、本作の白眉と言っても過言ではなかった。
第3作『DOCUMENTARY of AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』(2013)においては、大島優子と並ぶエースであった前田敦子の卒業が中心に捉えられ、本格的に世代交代が始まりつつあることが示唆された。次期センター候補の活動にスポットを当てることに並行して、恋愛禁止条例を破ったことによる罰則の重みにもキャメラを向けているところも注目すべき点だった。罰則としてHKT48に移籍する指原莉乃の姿を見た観客の多くは、『DOCUMENTARY of AKB48』シリーズがスキャンダルの提示も兼ねていると感じたことだろう。そして、あえて前田敦子の内面に迫るような映像を使わないことで、センターを担った存在がいなくなった際の空白が強く印象付けられた。これは後述する4作目に繋がる問いかけでもある。
シリーズに共通するのは、カメラが捉える主要な被写体があくまでAKB48グループであり続けるという点だ。カメラはあえてメンバーの動向のみに視野を持つため、運営側、観客側にも寄り添った場合に生じるであろう、AKB48グループというムーブメントの相対化は、徹底して排除されている。あくまでグループのメンバーを追うことによって、作品ごとの主題を提示することは、現在に至るまで一貫しているのだ。