|「孤独」、あるいは大島優子の大粒の涙
では卒業を前にした大島優子からは何を掴むことができるだろうか。2013年の最後を締めくくる紅白歌合戦において、大島優子は卒業を発表するが、カメラは舞台に上がる前の彼女が険しい表情を浮かべている瞬間を逃さずフォーカスする。カメラを回していた高橋は事前に卒業発表を聞いていたのだろうか。どちらにせよこの瞬間は、4作目の主人公を彼女に決定するに足るものだろう。カメラは卒業発表後の大島に追随し、NHKを離れる車の中で彼女が電話をする場面を捉えて行く。いつの間にか自分のためではなく、仲間のためにアイドルをやっていたと述懐する大島の表情は、物憂げである。彼女にとって人気と知名度を上げた上で卒業をし、女優一本で仕事をしていく道へと進むことは、揺るぎがない方針だろう。だが、それは同時に慣れ親しんだ仲間との別れによる寂しさを受け入れなければならない、ということだ。この点はある程度他のメンバーと共通しているが、大島が抱えているのはそれだけではない。
2014年3月30日、国立競技場。大島の卒業セレモニーを開催する予定だったはずのこの日を、荒天が襲う。カメラは雨を前に不安げな表情を抱えつつも、『泣きながら微笑んで』(作詞:秋元康 作曲:井上ヨシマサ)を練習する大島を捉える。そしてついにセレモニーの中止が決定すると、彼女はメンバーと離れた場所で悔しさを露わにし、大粒の涙を流し始める。自分の門出が上手くいかなかったことだけか、あるいは仲間の頑張りが報われなかったこともその涙に含まれるのかは定かではない。重要なのは、大規模な卒業セレモニーが組まれるまでになった大島優子が、年齢差など関係なく分け隔てなくメンバーに接し、そういったものとは無縁に思えたAKB48のエースが、「孤独」になる瞬間をカメラが捉えたことにある。
過去に数回センターを務め、常にエースであり続けたという経験は、決して多くの人間に共有できるものではない。高橋はAKB48グループという巨大な共同体の中で先頭を任されるということで生じる、不可視ではあるが、たしかにそこに実在する「孤独」を捕まえた。そしてそこに言葉は存在せず、一人の少女と、滴り落ちる涙があるのみだ。
小嶋陽菜が「孤独になる」ことの前兆を示したのならば、大島優子は涙によって既に「孤独である」ことを証明した。シリーズ3作目が前田敦子の卒業にともなうクレーターの如き空白感によって、「AKB48のエースであることは、なんだったのか?」という事後的な問いを生じさせていたのに対し、本作では「AKB48のエースであることは「孤独」を背負うことだ」という1つの解答を出したといえる。
|少女たちは、今、その背中に何を想う?
個々のメンバーがAKB48グループという共同体内で活動をし続けることの精神的な辛さを露呈し、次世代を担うメンバーが居座るべき場所にある「孤独」を提示することで、本作には極めて不穏なニュアンスが漂っている。2014年5月25日にAKB48チームAの川栄李奈、そして入山杏奈を襲ったAKB48握手会傷害事件のパートに移行すると、事件の詳細は語られないものの、いよいよ暗雲が立ち込めていくように思える。
だが、高橋栄樹という映画監督は、決して本作をそのまま終わらせようとはしなかった。AKB48 37thシングル選抜総選挙のパートには、既にテレビでその多くが放送されているため、一見何の見所もないように思えるが、果たしてそうだろうか。テレビ放映時にはメンバーが想いのたけを語る姿を捉えた正面ショットを中心に編集されていたが、本作においてはメンバーの背面ショットを編集に組み込んでいる。そして背面ショットにこそ重点を置いている。これはなぜか。
2013年の紅白歌合戦に立ち戻ってみれば、ダンスが終わり、卒業を発表するまでの大島を捉えるカメラ位置は舞台袖からであり、メンバーの背面を捉える視点が画面に配されていることがわかる。この背面ショットは、紅白歌合戦の時点では単に身を置く場所が舞台袖しかなかったがゆえに生まれた偶然の産物かもしれないが、高橋はこれより約半年後の選抜総選挙においてもこれを反復することを選択した。
このアイドルの背面を捉えたショットは一体何なのか。被写体の背面は無防備であるが、それだけであり、何の情報も提供しない。それゆえに、もしこれらに意味を見出せるとするならば、アイドルの背中という被写体ではなく、この背面ショット自体が、誰かの視線を表しているのではないか、という可能性においてであろう。
紅白歌合戦パートでの大島優子を捉える背面ショット、そして選抜総選挙での選抜メンバーを捉える背面ショットが連関していることから読み解けるのは、AKB48グループの先頭を切っていくメンバーを見つめる若手の、言うなれば憧憬の視点が画面に配置されている、ということだ。AKB48グループの選抜であること、特にセンターやエースであることは、大島優子が示した通り、その立場にしかわからない「孤独」を背負う業がある。だが、そのポジションには前方の観客からの喝采が浴びせられるだけではなく、後方から支え、自分も続こうとする誰かの優しい視線が注がれている。そしてその視線が渡辺麻友を始めとするAKB48グループ第2章を担うメンバーへと移行した時、本作は真の意味で大島優子が次世代へとバトンを渡す「物語」として、観客の前に現れるのだ。
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『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』は、題名にある通り、大島優子というエースの「背中」を見つめ、やがて次のAKB48グループの未来を担う全てのメンバーの「背中」を想う物語=ドキュメンタリーであった。前作までのスキャンダルを含めた暴露的な表現形式を越え、グループの誰もが陥るであろう「卒業」までの「寿命」という問題に向き合い、これからのメンバーが背負っていくべきものを描き切った本作は、『DOCUMENTARY of AKB48』シリーズ最高傑作であり、AKB48グループ第1章のこれ以上ない幕引きであったと、断言したい。
ラストショット、ハワイの海に浮かぶ大島優子が映る。かつてスキー場でスノーボードを抱えていた少女は、サーフボードに乗り換えている。そこには、かつてグループに憂いを持っていた少女と同じ姿はない。AKB48グループがこれから大島優子と別れて歩みを進めるのと同じように、彼女もまた一人、大海原へと旅立つのだろう。
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|公開情報
DOCUMENTARY of AKB48
The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?
企画:秋元康
監督:高橋栄樹
出演:AKB48
主題歌:「愛の存在」(発売未定)/作詞:秋元康
<歌唱メンバー>渡辺麻友、指原莉乃、柏木由紀、松井珠理奈、松井玲奈、山本彩、島崎遥香、小嶋陽菜、高橋みなみ、須田亜香里、宮澤佐江、横山由依、川栄李奈、北原里英、入山杏奈、峯岸みなみ、木﨑ゆりあ
製作:窪田康志 大田圭二 秋元伸介 北川謙二 吉田智彦
プロデューサー:古澤佳寛 磯野久美子 松村匠 牧野彰宏 関山幹人
ラインプロデューサー:篠田学 橋本淳司
音楽:大坪弘人 world’s end girlfriend
撮影:高橋栄樹 角田真一 木村太郎
録音:久連石由文 編集:伊藤潤一 制作:ノース・リバー
製作協力:KRK PRODUCE パイプライン
製作:AKS 東宝 Y&N Brothers ノース・リバー NHKエンタープライズ
(c) 2014『DOCUMENTARY of AKB48』製作委員会
2014年/東宝映像事業部/120分
公式HP:http://www.2014-akb48.jp
★池袋HUMAXシネマズほかにて全国公開中!
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|プロフィール
杉田卓也 Takuya Sugita
1991年生まれ。総合文学ウェブ情報誌 文学金魚で「映画に内在するものを巡る論考」を連載中。日本大学藝術学部映画学科卒業。同大学では映画理論を専攻し、卒業論文『清水宏再考-旅行する映画哲学-』で映画学科奨励賞を受賞。現在は青山学院大学大学院に在学中。