|「現在」から解釈/編集しないこと
では第4作『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』は如何なるドキュメンタリー映画に仕上がっているのか。過去の3作に共通するのは、冒頭に作品の主題がある程度まで集約されているということだ。1作目ならば、1期生から3期生の楽しげな会話。2作目ならば、AKB48グループ唯一の被災者であり直前に研究生となった岩田華怜を始めとした、「震災」に対する想いの独白。3作目ならば、誰もいない舞台に集まる研究生を後方から捉えたショットがそうである。
そして4作目は、各チーム代表が新戦力と見なしたメンバーを指名するドラフト制度によって選ばれた1人である西山怜那が、故郷の青森を離れて東京へ向かう電車に乗る場面から始まる。3作目と同様に、新しい世代への視線が感じられる。当然、対置されるのは、大島優子を始めとした初期メンバーであり、この冒頭はやはりAKB48グループ第2章へ向けた動きを印象付けるものだろう。
では本作の特徴は何か。これまでの『DOCUMENTARY of AKB48』シリーズにおいては、複数のカメラマンが撮影した映像を集めて編集していたが、本作では高橋自身がカメラを持ってメンバーに寄り添い、リアルタイムで活動を記録している。そのため、前作までにあった、メンバーたちのどこか達観した視点による、年度の振り返りは存在しない。
捉えられた期間は2013年冬から2014年の大島優子卒業までだが、前作までを鑑賞した人間ならば、本作の大胆な省略に驚きを隠せないだろう。なぜならば2013年は、あの指原莉乃の総選挙第1位獲得、篠田麻里子や秋元才加などの初期メンバーの卒業など通常ならば編集段階で決して外すはずがない事件が数多くあったにもかかわらず、それらは画面に現れないからだ。本作に限って2013年に起きた事件にまつわる映像がそもそも存在しなかったとは考えづらい。
特に前作公開直前にYouTubeでアップロードされ物議を醸しだした峯岸みなみの謝罪映像の「裏側」については、一切の情報が提供されない。恐らく今回の構成を考えるにあたって、こうしたスキャンダラスな素材を組み込むことも予定としてはあったと思われる。平たく言えば、『DOCUMENTARY of AKB』シリーズが注目された要因として、そうした下世話な「残酷ショー」的要素があったことは否めず、仮に本作においてもそれを追求すれば、より簡易に観客の目を引くことができたであろう。しかし、高橋栄樹の目的は「現在」からの達観した視点から過去の出来事を解釈することではなかった。彼は自らカメラを持ち出し、リアルタイムにメンバーに迫ることで1つの「物語」を創造/編集するのではなく、捕まえようとしたのだ。
|「組閣」から浮かび上がるアイドルの「寿命」
実は本作は、3作目の冒頭と呼応し、ひいては作品全体の主題をある程度継承しつつ、1つの物語を紡いでいる。前田敦子というエースが不在である状況における世代交代の主題が3作目の冒頭であるならば、本作の冒頭はその延長線上にあると言えるだろう。そしてそこから展開されるのは、新世代の台頭と表裏の関係にある初期メンバーの卒業、つまりはもう1人のエースと言うべき大島優子についての物語であることは必然である。結果的に禁欲的ですらある本作には、大島優子とその周縁にまつわる「物語」が鮮明な形で表れている。
アイドルがアイドルでいられる時間は決して長くはない。何かしらの理由で必ず卒業が待っており、これについての問題意識の抱え方はメンバーそれぞれによって異なるが、いずれにせよ気楽なものではない。2014年2月24日に実施された第3回「AKB48大組閣祭り」において、それは露わになり、カメラはそれを見逃すことはない。過去2回行われたこの「組閣」は、運営側が当日まで詳細を告知しない大規模なチーム再編成であり、最終的にメンバーそれぞれが決定を受け入れるかを判断する権利が与えられている。好意的に見れば新しい可能性を模索する絶好の機会ではあるものの、自分の培ってきた立場の喪失や、なによりも慣れ親しんだチームとの別れがある者もいる。
「組閣」当日は移籍、研究生からの昇格によって、それまで一緒にいた仲間と離れることでパニックになるメンバーが続出する。特に岩田華怜と佐藤すみれの間で生じる断絶は、「組閣」の業(ごう)、そしてアイドル活動を続ける上での過酷さを表している。岩田はシリーズ2作目においてグループ唯一の被災者としての自覚を踏まえ、活動への決意を強めるが、本作においてはAKB48チームAからSKE48チームSへの移籍についての迷いを露わにする。
岩田は同じように移籍を告知された佐藤すみれとともにSKE48での活動していくことを望む一方で、家庭の事情でそれがままならないことを悔やんでもいた。結果、岩田は東京に残るが、彼女を励ます佐藤もまた、自分もグループに長く残って2年だと発言する。佐藤は今年で20歳になるが、彼女にはあと1、2年でグループに在籍する意義はなくなる、という確信があるのだ。
家庭の事情といった外的要因による身動きの不自由さ、あるいは年齢を重ねた身の上でグループに居座り続けることの不可能性。いずれも個人がグループに残る辛さを増長する。AKB48の若手メンバーのこうした苦悩と葛藤は、大島優子卒業と並行して、次世代が歩んでいく道が決してゆるやかではないことを示唆している。そして「組閣」のパートにおいては、若手ではない、ある人物に注目しなければならない。小嶋陽菜だ。
会場の舞台裏で席に座っている小嶋が、近くにいる後輩メンバーが立っているのを見て、隣に座って休むことを促すが、彼女らは入って間もない若手であるからか、遠慮して立ったままである。若手もまた普段から小嶋のような立場の者と絡む機会はないのだろう。小嶋もそれを察したのか、苦笑気味にその場から離れる。小嶋が普段見せている間の抜けたキャラクターのせいもあり、一見重くは感じられない場面ではあるが、決してそうではない。この場面からわかるのは、グループの人数が多くなればなるほど若手が増え、所謂ベテランである小嶋たちも全体像を把握できず、後輩との距離が生まれてしまう、ということだ。同じパートで大島優子は後輩から楽しげに絡まれているが、必ずしもこのように連帯が取れるわけではないだろう。まだ馴染みのない後輩が矢継早に増える中、同期のメンバーが相次いで卒業した小嶋からは、「孤独」になっていく哀愁を感じさせる。
20代であるならばアイドルを続けられるという安易な物言いがあるとすれば、「組閣」を巡る場面の数々はそれを排除する効果を持つだろう。仲間と離れる辛さや、後輩に絡んでもらえない寂しさを抱えてアイドル活動を続けるということは、生半可なことではないからだ。アイドル活動において最も重要なのは、グループにおける連帯に関わることであり、それがアイドルとしての「寿命」を伸ばすことも、縮めることもあるのだろう。