【Interview】わたしを魅了した“赤浜魂”〜『赤浜Rock’n Roll』小西晴子監督インタビュー

公開中の映画『赤浜Rock’n Roll』は、東日本大震災で大きな被害を受けた、岩手県大槌町赤浜で暮らす人々に密着したドキュメンタリーだ。「漁師は実業。水揚げしてなんぼ」と漁にいそしむ若き漁師の阿部力さん。国や県の提示した、14.5メートルの防潮堤計画に「海が見えなくなるじゃねえか!」と反対し続ける川口博美さん。この2人を中心に、大槌に生き続ける人々の暮らしや意地を、ていねいに描いてゆく。

海とともに暮らし、自然とともに生きる知恵は、震災のはるか以前から大槌の人々に受け継がれてきた「魂」のようなものだ。そこを見ずして「被災地を知る」だの「復興」だのぬかすな、と、映画を通して言われているようだった。綿井健陽監督の『イラク・チグリスに浮かぶ平和』をはじめ数々のドキュメンタリーをプロデュースし、本作が初監督作品となる小西晴子さんに、赤浜で出会った人々の“魂の極意”を伺った。
(取材・構成=佐藤寛朗)



カメラを向けるまで 

——まず、監督と今回の映画の舞台・大槌町とのご縁を聞かせてください。

小西 2011年の8月に「まごころねっと」という遠野にある団体に登録して、ボランティアに行ったのがきっかけです。遠野からはボランティアバスが気仙沼とか、陸前高田とかに出ていたのですが、わたしはたまたま、大槌に行ったんですね。

その時は、映画にしようという気は全く起きなかったです。不謹慎な言い方だけれども、被災地の現実を見なくては、という思いがまずあって、「何か役立つ事はできないか」という気持ちでした。3月に撮影をする根性が私には無かったから、8月になって行ったんだと思います。

——津波と火事が同時に発生していた大槌町の映像は、東日本大震災の映像の中でも衝撃的なものでした。実際に大槌町に立って、監督はどのような事を感じられましたか。

小西 その時点で、焼けた小学校なんかもまだ残っていましたけど、ガレキはきれいに片付いていました。だけどやっぱり、こんなに何も無くなるものなんだ、っていうショックはありました。夜になると怖かったですね。宿に帰ってくるたびに身体が重くなるような感じもあって。

——ボランティアでは何をされていたのですか。

小西 炊き出し。ご飯を作ることですね。あとはお墓掃除。カメラを持っていったんですが。申し訳なくて撮れなかったですね。お墓掃除は。

震災があってはじめてのお盆で、「松明かし」っていう送り火のようなものを、至る所でやっているんです。簡単に言えば、死者に対して「ここにいるよ、迷わないできてね」という意味だと言われて、なるほどなあと思って。 そこで海を見て過ごしてきた人たちの何というか、感性みたいなものを知りました。大槌の人は、次の世代の事を平気で口にするんです。いろんなところで死者の世界と繋がっていて、ご先祖様を大切にしているんですね。

——そこからでも撮影開始(2012年)までも、少し時間がありますね。その間は、どのような動きだったのですか。

小西 炊き出しをしながら地元の人とお話をしていて、「11月になるとシャケが帰ってくるから、その時期にまた来てね」と言われて、11月にまた行ったんですね。その時にはじめて出演者のひとり・芳賀政和さんに出会ったのですが、採れたシャケを新巻にして出荷するのに、非常に丁寧に、手間ひまをかけて作っているんです。骨を抜くのもピンセットで取るし。鰓もきれいに洗うし。誰もそこまでは見ていないだろう、と思うのに、黙々とやっている。その仕事ぶりに惹かれましたね。

そんな芳賀さんが、なんとか水産加工業を再開したいというので、補助金をもらう申請書類を書く時に、県の人が説明に来たところに遭遇しまして。その時に、県の人が「どうせ決めるのは私たちじゃなくて銀行ですから」みたいな、突き放した言い方をしたんですよ。そこでボッと火がついて。なんだよ、同じ岩手県民なのに、困っている三陸の人たちに対してそんな言い方は無いんじゃないの、と思って。そこから熱くなりましたね。

それでもまだ映画を作るところまでは考えていなくて、ボランティアの延長で大槌に行っていましたが、こんどは川口博美さんに会って、映画に出てくる通りの感じで「防潮堤はいらねえだ」と言われたのに、またびっくりしたんです。

——そこで、映画の核のひとつでもある、防潮堤建設反対の話に繋がってくるわけですね。

小西 川口さんだけでなく、「海が見えないのはイヤだ」って、みんな言うんです。漁師はもちろん、阿部さんのお母さんもそうだし、若い人もそう。これにはほんとうに驚きました。あんなひどい目を見ているから、また津波が来たら困ると思っていると勝手に考えていましたが、「海が見えなくなるのは嫌だ」という声を立て続けに聞いて、その気持ちって何だろう?と思って、どんどんひかれていきました。

2012年の暮れの段階で、あまりに大槌の人たちが魅力的なので、これはやめることはできないなと思って。彼らは同時に行政に意地悪もされていたので、このまま放っておく事はできないと思って、映画にすることに決めました。

——「海にやられたけれど、海を見たいし、海に行きたい」という気持ちを理解するところから、映画作りがはじまったのですね。監督が通って感じられた魅力というものを、もう少し具体的に教えていただけますか。

小西 ひとことでいえば、自分の先入観がどんどん崩れていくことに、喜びを感じたんです。

私なんかは、コンクリートは永遠と思っていたぐらいの都市生活者で、防潮堤は50年しか持たないと現地で聞いて、まずそこに驚きました。西洋近代の建築物は堅固、みたいな価値観があったんでしょうね。海で水分がきて錆びるから防潮堤には寿命がある、その事実にびっくりして。

「だからコンクリートはもたない、自然には叶わないんだ」と大槌の人は言うんですが、そこに生かされている感じというか、懐かしい感覚を覚えたんです。大げさな言い方をすれば、日本人として失ってはいけないものが、暮らしの中に残っているんですね。津波にやられるのは悔しいし、負けたくはないのだけど、自然の脅威の前に対してある意味謙虚というか。自然をコントロールしようという発想は彼らには無いですね。そこにすごく影響を受けたかもしれないです。

『赤浜Rock’n Roll』より ©ソネットエンタテインメント 

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