湘南の海沿い、オーシャン・ヴューの一軒家で男女が共同生活をする様子を“台本なし”でとらえた“リアリティショー”「テラスハウス」。2012年から2014年にかけてのTV放送に続き、2015年2月には劇場版『テラスハウス クロージング・ドア』が公開された。それまで観客動員ランキングで6週連続1位だった『ベイマックス』を首位の座から引きずりおろし、息の長いヒットを記録した同作だが、一方で強い反発や拒否の声も聞こえてくる。
このたびneoneo webでは、無作為に抽出した10000人を対象として、電話によるアンケート調査(*)を実施。そのうち、実際に映画をご覧になった4名の方をお招きして、座談会形式で『テラスハウス クロージング・ドア』について意見を交換してもらった。TV局映画のひとつにすぎないのか、それとも日本映画の新しい可能性なのだろうか。そもそもこれは、ドキュメンタリーなのだろうか?
*コンピューターに自動的に生成させた番号に電話をかけ、応答した相手に質問するRDD方式(Random Digit Dialing)を採用。
(司会・構成・執筆 鈴木並木)
−−まず、おひとりずつ簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。こちらから右回りで。最初にFさん(48歳・男性)から。
F 今日はこんなところに呼び出されていささか当惑していますが、どうぞよろしくお願いします。普段は商社で、原油関係の仕事をしております。
−−ははぁ。油を売っていらっしゃる。では次にAさん(26歳・女性)、どうぞ。
A こんにちは。大学院で映画の研究をしている者です。専門は観客の行動分析なので、もともとこの作品には注目していて、初日に見に行きました。研究室ではあまり話題になっていませんが、いろんなところで話を耳にしますので、ちょっと不思議な広がり方をしているなあという印象です。それに従来のTV局主導映画と明らかに違う点が8つほどあると思うんですが……
−−あ、とりあえずいまはそのくらいで。ご専門の方なのですね。ちなみにどちらの大学院ですか?
A それはちょっと、あの、ナイショにさせといてください(笑)。
−−かしこまりました。お隣はKさん(29歳・女性)。
K 金融会社で働いています。グラビアはやってません。『テラハ』は妹がファンなので、お付き合いで見に行きました。
−−なるほど。最後にEくん(19歳・男性)。
E 大学生です。自分も最初はあんまり興味なくて、友達が「テラスハウス、あれって俺んちの近所だよ」って言うから、へぇーそうなんだって。じゃあ一緒に行くかって。あんま理由になってないですかね。
−−ありがとうございます。Fさん、さきほど当惑とおっしゃられましたが、あまりお気に召さなかったということでしょうか。どういう経緯でご覧になられましたか?
F たまたまフィリピンの山奥にしばらく出張してまして、帰ってきた日に見たんですが、ちょうど家族も用事で遅くなるというので、そのまま帰っても帰らなくてもいいかと。最寄り駅の近くのモールの中をうろうろしていたら、ちょうど時間が合うのがこれだったんです。どうしてこういうものができるのか、わからなくて、困っちゃいましたねえ。みなさんどういうふうに面白がっているのかなと思いましたね。
−−みなさんどうですか?
E (挙手して)自分はすごいドキドキしながら見ちゃいました。男子も女子も全員キャラ立ってるし、展開も速かったのがよかったです。おおーそう来るか! みたいな。ヤラセがどうとかっていうのは、あんまり、別に。
−−気にならなかったですか。
E 気にならないというより、一緒に見た奴らと話してても、あえて触れない、的な雰囲気です。ほかにいくらでも見るとこあるしね、みたいな。
A そうなんですよね、リアリティショーと謳っている割には映像として全然そう見えないというか、つくりが全体にツッコミ待ちなんですよ。たぶん、わかっててそこをあえてスルーしてる層と、引っかかってモヤモヤってなってる層とに分かれてるんじゃないですかね。ツッコミ待ち……脇が甘いと言ったほうがいいかもですね。たとえばneoneo webだと、『テレクラキャノンボール』とか『BiSキャノンボール』、それとか『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』だったら、採り上げやすいと思うんです。でも『テラハ』の記事はいままで載ってなかったですよね。どこか「映画の人たち」にナメられやすい構造がある気がするんですが……
−−あ、とりあえずいまはそのくらいで。そうですね。いまこれをPCのモニター、ないしはスマートフォンなどで読んでいる、『テラハ』をご覧になっていないみなさまのために、やや説明口調で進めますと、そもそもこれは、タイトルにもなっている家、「テラスハウス」で複数の若い男女が共同生活をして、そこで恋が芽生えるのか芽生えないのか、みたいな興味でもって引っ張っている作品というか、もともとは番組、ですね。Aさんがおっしゃった、映画をたくさん見ている人ほど抵抗感があるっていうのは、その共同生活がとても実際におこなわれていることのようには見えないことが理由のひとつだと思います。家の中はいつも片付いていて、ゴミひとつない。ゴミ箱もゴミ袋もない。撮り方もかっちりしていて、いわゆる「ドキュメンタリーっぽい」映像とは相当異なっています。出ているのも素人じゃなくて、芸能事務所に所属している人たちだったりする。
K (イライラした様子で)それでなんか問題あります?
−−あっ。いや、そうですね、自分もあらためて説明しながら、とくに問題はないな、と。
K さっきの自己紹介のときに言いましたけど、うちは妹がTVの頃からのファンで。入れ込んじゃってるんですよ。わたしはそれほどでもないから、まあ若干距離を置いて、TVもたまーに、眺めてたくらいなんですけど。妹の反応を見てて、なにがそんなにいいのかって考えると、やっぱり、「本当のこと」が映ってるからなんじゃないですか。
−−あれは台本があって、いわゆるヤラセなんじゃないかっていう見方をする人も多いと思いますが。
K (あきれたように)すみません、よくわかってらっしゃらないようですけど、さっきそちらの、Eさんが言ったとおりで、どうしてそこを問題にし続けるんですか? いちばん最初に、初対面のてっちゃんと松川さんが話すところの、てっちゃんの瞬きの回数を見なかったんですか? あのキョドリ演技をあれだけできる俳優さん、います? いまの日本に。和泉真弥ちゃんもそうですよ。二階堂ふみなんかとタメ張れるんじゃないですか。
−−いま、演技っておっしゃいましたね。
K だから! そういうことじゃないって言ってますし!
F まあまあ、落ち着いて落ち着いて。なるほどわたしも見ていて、台本はあるんだろうなと疑いを持ちました。それでいて同時に、ここで演じられている、と仮に言っておきますが、若い人たちの姿が、演じている彼ら自身と非常に近いというか。劇映画でいう「あて書き」がたいへんうまく行ったときに似た印象はありました。それは必ずしも、彼らが優れた演技者だという意味ではないにせよね。
E だったらそれでよくないですか。自分があんまり普段映画っていうか、そういうのを見ないからわかんないのかもしれないですけど、どういうところが引っかかるんですか?
A それはたぶん、こういうことなんじゃないかと思……
E いや、お姉さんには訊いてないんで。
A (無視して)つまり、わたしもコテンスキーな人間ですから気持ちはよくわかるんですけど。いままで作られてきたたくさんの映画があって、意識的にあるいは無意識的に、それらによって規定されてきた美的基準みたいなものがある。『テラハ』はそういうものに準拠しているようでもあり、していないようでもあって、要するに年長者に従っていない感じがあるってことなんじゃないでしょうか。もちろん、先行者に対して反発する方法や態度はいろいろあるわけですが、しかし『テラハ』にはそういう突っ張った仕草はないし、イキがった顔もしていない。つまり「映画の人たち」からすると、無視されているような気がする。というか『テラハ』は、とくに映画の人たちを意識してもいないでしょうから、正確に言えば、無視すらされていない。それでいてヒットしていたら、そりゃあ腹は立ちますし、いざ見たら見たで、映画の言葉で語りたくなる要素が少なからず含まれていて……
−−あ、古典がお好き。でもまあ、とりあえずいまはそのくらいで。しかしですよ、映画として見なされていないものを映画の言葉で語ることも、映画批評の重要な仕事のひとつですよね。もしかしたらいちばん重要な仕事かもしれない。
E なんか、めんどくさい。
−−ごめんなさいね。
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