F あと引っかかったところを思い出しました。なにからなにまで全部、言葉、言葉で進みますね。ああいうの、Eくんなんかはどう感じてるんですか。
E うーん、仁義、ですかね。
−−というと?
E 松川さんにしても、ほかのみんなもですけど。ちゃんと思ってることを説明するじゃないですか。これこれこうだからご飯には行けない、とか。自分がいちばん好きなところが、小田部さんがてっちゃんに、譲る場面ありましたよね? あそこで、話をするだけでなんとなく収まっちゃうところがいいなあって。
F ああいうところ、本当なら、男ふたりが取っ組み合ったりするもんだけどね。
E その「本当」は、映画の「本当」なんじゃないですか。
−−むむむ。
E そうだ、いま気付いたんですけど、映画で、松川さんが悪女悪女言われるじゃないですか。あれおかしいって思ってて、なんでかなって理由が自分でわかんなかったんですけど、わかりました。本当の悪女だったら、いちいち自分の行動の説明しないよなって。
K 悪女の定義はともかく、なんかそういうふうに印象づけられちゃったのは、スタジオのトーク場面で、EXILEの人でしたっけ、「なんで毎シーズン悪女出てくるかなー」みたいにコメントしてたからでしょ。引きずられちゃってる。
−−登坂広臣さんですね。EXILEではなくて、三代目J Soul Brothersの。
A えーとですね、あのスタジオのコメント部分も、『テラハ』とほかの諸作品とを峻別する、映像面での大きな特徴なわけですが。ここでわたしも説明モードに入らせてもらいますと、『テラハ』には、いままで話題になってきたような男女の共同生活を撮った部分と、スタジオでタレントさんたちがコメントする部分とがあります。タレントさんたちのいるスタジオと、メンバーたちの住むテラスハウスとは交わらないし、タレントさんたちのコメントによって、見ているわたしたちになにか新しい気付きがもたらされるわけでもないんですけど、それでもスタジオ部分がなかったら、単なるつまんないフェイク・ドキュメンタリーになってしまったんじゃないかと思……
−−あ、すみません、とりあえずいまはそのくらいで。
F あそこには、唖然としました。最初、20分くらい見ていて、とりあえず6人のメンバーがひととおり紹介されたところで、来るでしょう、あのスタジオ場面が。TVをご覧になってたら驚かないのかもしれないですが。
K いや、そんなことなかったですよ。わたしも、わかっていたつもりだったのにドキッとしました。あの時点までで、すっかり没入してるからじゃないですかね。
E 自分が見たときも、みんな、軽くどよめいてました。すごいTVっぽいのを大きな画面でおおぜいで見てるのも新鮮で。……さっきから思ってたんですけど、なんかFさん、微妙に気に入ってきてないですか?
F あのね、そうなんです、実は。見てから、会社の若い子たちとか、うちの息子なんかと、この映画について話をするでしょう。すると、話しているうちに、すごくいいもののような錯覚がしてくる(笑)。というのは言い過ぎにしても。
−−どうしてでしょうね?
F 第一印象として、まず、物足りなさがありました。現実の人間関係はこうじゃないだろうというね。巷でよく言われる草食系そのものだなと。あとから振り返ると、これはとても品の良い映画だぞと思うようになったんです。たしかにセックスもないし、タバコも出てこない、感情の高ぶりも暴力もない。でもそうしたものは、映画で、いまさら別に珍しくないでしょ。それに、そうしたもろもろがないことで、なにか不足してるのかっていうと、そんなことない。さっき出てきた言い方をすれば、なにも問題はない、です。
−−依然としてそこを問題だと考えたい人たちはいます。
F そのとおりですね。それは個人の自由でしょう。でもね、こうして、一見すると下世話なようで、実は上品な表現が出てきて、ヒットしてる現実は、興味深いんじゃないですか。支持する、しないにかかわらず、そこは否定できないと感じるようになりましたねえ。
E 見られないものが見られるわけ、ないですよね。
−−どういうことですか?
E だって、普通にやってるTVでしょ。映画になったからって、急になんかすごいものが見られるって思ってる人、そんなにいないと思います。
F 期待もしなかった?
E 期待っていうのが、よくわかんないです。
K あのっ。今日ここに来る前に、妹から、これだけは言っておいてくれと頼まれたことがあるんですけど。TV見てなくて、映画になってから急に騒ぎ出した人たちが鬱陶しい、だそうです。戸惑ってるんじゃないかな。
−−すみません、わたしもニワカなわけですが、映画館でやってて「劇場版」って言われたら、やはり映画のつもりで見て、感想を言ったりってことは普通じゃないでしょうか。
K それは映画の都合、映画の勝手でしょってことなんだと思うなあ。それって結局、映画だったら見てやるかーって上から目線で見に行って、行ったら行ったで、いやこれは映画としたらダメダメで、って、そんなふうに言われたら、そりゃ怒りますって。
A ねじれが生じてますよね。実際に劇場に足を運んでいる層は、映画かTVかを気にしている様子はあまりないと思います。気にはするんでしょうけど、それよりも、見るに値するものかどうかを無意識のうちにジャッジしている。一方で、どうせTV局主導の内容のないものなんだろうと、見る前に決め付けて拒否する人たちがいる。もちろん、過去に痛い思いをした経験に基づいてそういう判断を下していたりするのでしょうから、合理的とも言えます。でもですよ、なにかについて、それがどんなものであれ、「こんなものは見ないよ」と宣言する行為が知的な振る舞いとみなされることがもしあるとしたら、さみしくないですか。で、こればっかりはあとでDVDで見てもダメで、劇場に行かないとわからないことはですね、とにかく客層の中心が3人とか4人とかのグループ、しかも男女比はぱっと見た感じ半々で、それで始まる前なんかにぺちゃくちゃしゃべってますから聞くともなしに聞いてると、必ずしもTV版からのファンというわけでもなくて、そして終わったあと、劇場がちょっと異様なざわめきになるんです。帰りのエスカレーターだとか、あとトイレでもずっと女の子ふたりが化粧直しながら感想言い合ってて、あの、気持ちはわかるんだけど、ちょっとどいてもらえますか、と(笑)。
−−あ、よかった。ひと区切りつきました。そうそう、わたしの見聞きした範囲でもそうですし、先ほどFさんもおっしゃってたとおり、好き嫌いを問わず、見てしまうと黙っていられない不思議な力があるんですね。これは稀有なことだと思っていて、現代の映画っていうのは往々にして、言葉が流通すればするほど袋小路に入りがちで、あとになってくると滅多なこと言えないみたいな雰囲気になりますね。『テラハ』の場合、Aさんの指摘した脇の甘さも理由のひとつでしょうけど、とりあえず反射的になにか言いたくなるし、言ってもいいんじゃないかなみたいな空気をまとってる。
E 自分たちもすぐ、「あの3人の中だったら誰がタイプ?」みたいな話になりましたよ。「お前だったらあそこでどうする?」とか。
K コイバナは女子的にも鉄板。
F ええと。そういう方向性での共感を呼ぶものだったら、いままでもいくらでもあったんじゃないんですか。それこそ昔のトレンディ・ドラマでも。どうしてこれが、爆発的といっていいのかわからないけど、そういうアレになったのか、いくら考えても答えが出てこないんです。
A それはたぶん、こういうことなんじゃないかと思うんですけど、つまり、品があって、本当のものに見えるようなやりとりがあって、言葉による仁義があって、キャラクターがピシッと立っていて、誰もが興味を持つような恋愛模様があって、初めてでもすっと入っていける敷居の低さがあって、映画自体にツッコミが内包されてますから見ている側も気楽に言葉を発することができますし、ドラマとかお話だと逆に身がまえちゃいますけどそうじゃないってことになってるからなにか言ってもいいかなって気になりますし、あのテラスハウスの家そのものの構造的虚構性もあいまって、社会の縮図のようにすら見えてくるんですよね。わたしの友達の山崎さんが言ってましたけど、大島渚が見たら絶賛したに違いない、と。いまからでも遅くないから日本代表でカンヌに出せ、と。そんなところでしょうか。
−−なるほど。全部説明してくださいました。どうもありがとうございました。
※ 注:この座談会はフィクションです
【映画情報】
『テラスハウス クロージング・ドア』
キャスト:菅谷哲也 島袋聖南ほか
監督:前田真人
テーマソング:Taylor Swift「We Are Never Ever Getting Back Together」
(ユニバーサルインターナショナル)
©2015 フジテレビジョン イースト・エンタテインメント 東宝 電通 FNS27社
2015年2月〜全国東宝系にてロードショー
ただいま、YOU、トリンドル玲奈、登坂広臣(三代目J Soul Brothers)、山里亮太(南海キャンディーズ)、馬場園梓(アジアン)、徳井義実(チュートリアル)らスタジオメンバーがコメントを担当する
映画『テラスハウス クロージング・ドア 禁断の副音声版』
2週間限定公開中!
公開情報は公式サイトへ→ http://www.terrace-house.jp