【連載】ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー 第11回『おとうさんの童謡 ~サトウハチローとメルヘンの世界~』

 
サトウハチローは、20世紀の超ヒット・メーカー

廃盤アナログレコードの「その他」ジャンルからドキュメンタリーを掘り起こす、「DIG!聴くメンタリー」。今回も、よろしくお付き合いください。

さて、どなたにも、こんな存在がおありでしょう。〈大メジャーでなおかつディープ。把握したくてもどこから手を付けていいか分からない昭和のレジェンド〉。例えば手塚治虫、井上ひさし。あるいは高倉健。
僕の場合は山ほどいる。そのひとりが、サトウハチローだ。
とっかかりが欲しくて中古屋で買ったのが、帯に「追悼盤」とある『おとうさんの童謡 ~サトウハチローとメルヘンの世界~』。安かった。確か200円位かな。
ハチローがどんな人だったか、ある程度踏まえておかないと話もしにくいので、まずは外郭から。

1903
年(明治36年)生まれ、西條八十に師事して20年代から詩作を始め、30年代から童謡、流行歌、映画の主題歌などの作詞を手掛ける。73年に死去するまでに残した作品数は2万以上。
こう書いてみても、今一つピンとこない。作家の佐藤紅緑が父、やはり作家の佐藤愛子は異母妹というサラブレッド振りを強調したプロフィールは、僕が十代の頃にはすでに有難味は無かった。

もちろん、代表作を挙げれば綺羅星のごとくだ。
初期から挙げてみると、34年には童謡「うれしいひなまつり」を発表。35年は作曲家・古賀政男とコンビを組んだ「二人は若い」(ディック・ミネと星玲子)がヒット……いきなり、これだけで音楽史に名を残せるナンバー連発じゃん! きりがない。
今でもよく聴かれ愛唱される、最大公約数的な名曲を3つだけ絞ると、以下のようになるか。

「リンゴの唄」
45・万城目正作曲)
「ちいさい秋みつけた」55・中田喜直作曲)
「悲しくてやりきれない」68・加藤和彦作曲)

並べてみて、ほぼ初めて、凄さが実感として分かる。超売れっ子状態を
30年以上続けながら、各ディケイドで大名作を生み出す息の長さ。それに、分野横断の幅。
ハチローは浅草で、エノケンこと榎本健一の座付作家として頭角を現した。長編トーキー(音の出る映画)の先駆けとなった松竹『マダムと女房』31・五所平之助)の主題歌も作詞している。つまり、若いうちから業界の最前線に身を置けた人だ。「リンゴの唄」を手がけた経緯、よく分かる。この曲は松竹の、並びに日本映画の戦後初の企画・製作となった『そよかぜ』45・佐々木康)の主題歌なので。

(ちなみに①―「日本初のトーキー作品」と紹介されることの多い『マダムと女房』だが、それまでにも試作品的なものは幾つもあったらしい。「その後のトーキー生産の目処を付けた、初の成功作」が正しいようです)

そんな、(娯楽の王様だった時代の)映画と深くコミットするヒットメーカーになった後も、かわらず童謡をつくり続け、関西のアンダーグラウンド・シーンからやって来たザ・フォーク・クルセダーズに詞を提供。息子よりもずっと若い、今までの自分のナワバリを壊すタイプの表現者と一緒に仕事をしている。
「悲しくてやりきれない」は今やJ-POPのオリジンとしての評価、人気に揺るぎがない。むきだしの寂しさが、若手ミュージシャンにカバーされるたび新曲のように瑞々しい。

(ちなみに②―同曲の僕のおすすめは、フォーク
ル本人の当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)』68)でのライヴ・ヴァージョンです。熱心に聴く女性客たちの口ずさみが、だんだん大きくなり合唱になっていくさまの、時代の純情)

要するにサトウハチローって、大過去の存在であることと、メチャメチャ現役であることが両立しているのだ。歴史の殿堂にまだ納まり切らない人ほど、把握しにくい。ナットクしたところで、いよいよレコードを。


ハチローも、アナタのおとうさんも、みんな子どもだった

『おとうさんの童謡』は、ハチローが逝った
73年に発売されている。タイトル通り、童謡作家としてのハチローに焦点を絞ったレコードだ。販売は長らく専属契約を結んでいた日本コロムビア。当然、流行歌のヒット曲をまとめた追悼盤も出ていたろう。

買った時は、「ちいさい秋みつけた」をしっかりレコードで聴けるものとゴキゲンだった。おそらく僕の〈人生の1曲〉といったら、これだ。
小学校高学年の時、放送部員だった。おひるの放送を任されることになり、給食時間に放送室に詰めてダークダックスの盤をかけた。緊張しながら初めてやった、ひとりでのオンエア。窓の外で、銀杏の葉がすっかり黄色くなっているのを見た。この時の、説明しようのない痺れが総身を走る感触、よく覚えている。決して向いてはいない構成作家業を続けている理由の、原点かもしれない。

しかし。てっきりダークダックスかボニージャックスの歌が入っていると思っていたら、曲は全てインストゥルメントなのだった。非常にがっかり。ハチローの肉声収録なのだから、聴くメンタリー的には貴重なんだよ、と自分に言い聞かせても、がっかり。
歌の無い童謡レコードに、一体なんの意味が……?
納得するためにも、内容を整理しておく。

〈A面〉
[インスト]「かわいいかくれんぼ」(中田喜直作曲)
[語り]両親が東北生まれ。その血のせいか、東京生まれなのに、田舎の風景を詩にするのに苦労したことがない。
[インスト+本人の詞朗読]「お月さんと坊や」(中田喜直作曲)
[インスト]「うれしいひなまつり」(河村光陽作曲)
[語り]動物の詩が非常に多い。子どもの頃、動物園にはよく通った。
[インスト]「めんこい仔馬」(仁木他喜雄作曲)
[インスト]「プンプンポルカ」(高木東六作曲)
[語り]好きな季節は、野球が出来る春なのに、秋の詩が多い。
[インスト+本人の詞朗読]「秋の子」(末広恭雄作曲)
[インスト]「三色すみれ」(古関裕而作曲)

〈B面〉
[インスト]「もずが枯木で」(徳富繁作曲)
[語り]賑やかな子どもで、昔から友達に好かれた。友達のおかげで暮らしてきたのが私の人生。小笠原で(感化院に行く代わりに)暮らすことになった時もすぐに友達が出来た。島にいたゴンザレス牧師の子ども達。
[インスト]「お山の杉の子」(佐々木すぐる作曲)
[インスト+本人の詞朗読]「ちいさい秋みつけた」(中田喜直作曲)
[インスト]「おばあさんのおかあさんの歌」(藤山一郎作曲)
[インスト+本人の詞朗読]「かゆいかゆいうた」(桜井順作曲)
[インスト]「秋風の中で唄う」(中田喜直作曲)
[語り]酒を覚えたのは14歳の時。野球部の先輩に呑まされた。何倍呑んでも平気で、それ以来の付き合い。先に逝く友達が多くなり、もうじきそっちに行くよと言いながら、杯を傾けている。
[インスト]「涙はどんな色でしょか」(三木鶏郎作曲)

ブチブチ言いつつ、通して聴いてみると、良かった。
まず、前回紹介した『四季の星座 《春・夏編》』同様、音楽がなかなかの聴き応え。編曲は、作曲家でもある甲斐靖文。演奏は会社専属のコロムビア・オーケストラ。「めんこい仔馬」ではミュート・トランペットが『笑点』のテーマ曲のようにユーモラスで、「三色すみれ」はアコーディオンをフィーチャーし、往年のアルゼンチン・タンゴ風に仕立て上げている。ラウンジ・レコードのような鑑賞を可能にしながら、錚々たる作曲家陣に敬意を捧げている。

(ちなみに③―童謡はもともと、唱歌やわらべ歌とは別の純粋子ども向け歌謡の必要を唱えた、創作運動から始まっている。西洋音楽を学んだ若い作家達が新しい大衆の歌づくりにチャレンジした点では、和製ポップスの源流の一つだと言えるのです)

しかし、メロディをアレンジで大きく崩すところまではいかない。掲載された歌詞を見ながら口ずさめる程の良さ。
『おとうさんの童謡』ってタイトルは、当時のレコードのメイン購買層=おとうさん、のための童謡のことだったんだと合点がいく。
の上での、ハチローの肉声だ。

▼Page2  肉声のアクセントから滲み出る、人となりにつづく