【Review】人はなぜ踊るのか 『躍る旅人 能楽師・津村禮次郎の肖像』によせて text 志賀信夫

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古希から見えるもの

70を越えて、なぜ、これほどさまざまな人々と、舞台でコラボレーションを繰り広げるのか。この映画を見た、最初の感想である。

能の重要無形文化財、一般には人間国宝といわれる津村禮次郎。柔和な表情の好々爺といった雰囲気を持ち、厳しい表情にも優しさがにじむ。

その動きと身軽さは、アスリートともいえる。ただ、アスリートは老いと戦い、いずれ破れていくものだが、津村はそうではない。

70歳の年に、「古希に舞う」として能の『鷺』と『砧』を舞うときには、「古希で自分を振り返るのではなく、老境に入る前、何かをやって、何か見えるかなという期待感。肉体は衰えていくが、そのなかで見えるものがあるはず」と語る。能には枯淡の美、うつろう儚さもある。だが、津村は安直に老境や「能の定型」に入りたくないのだ。運動能力ゆえに、肉体の限界を極めつつ、踊りそのものを追求し続けようとしている。

能の踊りは通常「舞い」という。能を舞うので、踊るとはいわない。例えば、「舞い」は手と上半身を中心とした、緩やかで優美で静的な動き、水平移動や回転、踊りは足と下半身を中心とし、跳躍などの上下の動的な動きを含むということができよう。津村の能には、その舞いの要素と踊りの要素、両方がある。そして日舞や洋舞の「踊り」とも違う。それゆえに「躍る旅人」としたのかもしれない。

津村は早くから、他ジャンルとのコラボレーションを行ってきた。筆者もその名を見聞きはしていたが、実際の舞台に触れたのは、この5年ほどの間だ。いずれもバレエやコンテンポラリーのダンサーとの共演だったが、「能」がイメージさせる定型的、古典的な動きや雰囲気を抑えて、あくまで相手と同じダンサー、踊り手として対峙しているという印象だった。特に、優れたバレエダンサーとの共演は、見事に一つの作品を作り出す。

能楽師、津村禮次郎は1942(昭和17)年、福岡に生まれ、一橋大学在学中に能に魅せられて津村紀三子に師事。1991(平成3)年には能楽分野で人間国宝(重要無形文化財)となった。

この映画はその津村を5年間追い、撮影したものだ。監督の三宅流(ながる)は、『面打 men-uchi』(2009年)や『究竟の地―岩崎鬼剣舞の一年』(2012年)、また2010年には『朱鷺島―創作能「トキ」の誕生』で津村禮次郎を撮るなど、伝統芸能や身体表現を追求してきた。

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踊る人たち

この映画には、数多くの舞踊家が登場する。最初に出てくるのが、小尻健太。コンテンポラリーバレエのダンサーとして、国内外で活躍し、振付にも取り組む若手のホープだ。そして酒井はなは、周知のように、英国ロイヤルバレエで活躍したキャリアを持つ、日本でトップクラスのバレリーナ。小尻が津村と酒井に、『トキ』を振り付ける。

『トキ』のコンセプトは津村とあるので、前述の三宅監督が撮った創作能『トキ』とつながりがあるのだろう。それを小尻がバレエ、ダンス作品として表現する。黒い服で小尻、酒井と稽古する津村はとても能楽師とは思えない軽やかさだ。それが衣装を付けて舞台に立つと、酒井はなと見事な絡みを見せ、2人から鳥のイメージが浮かび上がった。「能は人と絡むことがない」という津村だが、RSC(ロイヤルシェークスピアカンパニー)のワークショップの経験もあり、頭も体も実にフレキシブル、柔らかいのだ。

津村がある個人宅の舞台を寄贈され、仙台に移築した仙台市能BOXでは、能の『羽衣』と『石橋』、さらにそれによる森山開次の振付で『HAGOROMO』、『Shakkyo』を踊る。能舞台のホリゾント、鏡板の松の絵は自分で描いたというが、どうして見事なもの。

『羽衣』は民話で知られた羽衣伝説によるものだが、『石橋』は、修行僧が浄土に向かう細い橋で獅子に出会うというもの。そのときに見せる、跳躍して膝を折ってバンと正座する動きは、獅子の衣装と面を着けた70代とは思えない身軽さで、爽快である。また、茶髪長髪の森山の羽衣はその雰囲気が漂っていた。この音楽は種子田郷で、種子田は映像全体の音楽構成も行っているようだ。

新潟のバレエグループNoismでの活動後、ソロ、コンドルズへの加入、自らの振付作品と意欲的なコンテンポラリーダンサー、平原慎太郎は、中原中也の詩を元に作品をつくる。稽古のなかで、津村は膝で進む膝行(しっこう)を教える。能の所作、型の一つだが、合気道などにもある。そういえば津村は、時に武道家のような佇まいも見せる。稽古のなかで、自分はダンサーとは異なり、「打楽器があっても、リズムに反応しない体」だという。音楽とリズム、さらに言葉も、謡とともに、津村の中にあるのだ。そして舞台では、「ほらほら、これが僕の骨だ」と中也の詩を語りつつ、2人とも面に黒衣、マントで中也を踊る。

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