『道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48』より ©DOCUMENTARY of NMB48製作委員会
【補遺】フィルム・ノワールとアイドル
本映画には、本文中で指摘した曇天のほかに、夜景を捉えた印象的なイスタブリッシング・ショットが少なくとも四つある。このうち大阪の夜景を大俯瞰で捉えたショットは『ブレードランナー』(およびそれが下敷きにしている『メトロポリス』[フリッツ・ラング、1927年])を思わせる。これは文字通り、大都市(メトロポリス)大阪の夜の顔を捉えた美しいショットである。これ以外の夜景のイスタブリッシング・ショットは、二つが渋谷のスクランブル交差点を、残りの一つが広島の夜景を映し出したものとなっている。夜闇のイメージも曇天と同様にやはり映画の暗さや重さを強調する方向に作用するわけだが、映画史にはこのようなイスタブリッシング・ショットを多用してきたジャンルがある。フィルム・ノワール(暗黒映画)である。
都市における「孤独と退廃をめぐる犯罪映画」たるフィルム・ノワールがなぜアイドルのドキュメンタリー映画と関係するかと言えば、このジャンルのトポス(図像的指標)と言うべき「霧、蒸気、雨」といった装置が、『道頓堀よ、泣かせてくれ!』で積極的に利用されているからである(定義を広くとればここにヴォイスオーヴァー・ナレーションの技法を加えてよいかもしれない)。またフィルム・ノワールが基本的にハッピー・エンドを欠いたジャンルだという点も本映画と重ねあわせられるだろう(本作のラストは宙に吊られている)。先ほど触れた『ブレードランナー』はSF映画である前にフィルム・ノワールとして理解されるべき作品であるし(霧と雨と闇がこの映画の大半の画面を文字通り支配している)、『道頓堀』の夜の渋谷のショットのうち、後に出てくる方では雨が降っていた(傘を差している人の姿が見られる)。
むろん、これだけの材料で両者を同一のジャンルとして括るような粗雑な議論を押し通すつもりはさすがにないが、ここで重要なのは、本作の監督が映画史に通暁している舩橋淳だという点である。舩橋はじっさい優れた劇映画を何本も監督しており、その中で夜や雨の場面を巧みに演出してきたという事実がある。その舩橋がフィルム・ノワール的な演出をドキュメンタリーに持ち込んでいたとしたら、それは非常に実り多き試みと言うべきだろう。
フィルム・ノワールというジャンルの詳細については加藤幹郎『映画ジャンル論 ハリウッド的快楽のスタイル』(平凡社、1996年)を、映画『ブレードランナー』におけるSFとフィルム・ノワールの混淆の実態については同じ著者の『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』(筑摩書房、2004年)を参照されたい。本稿を通して筆者が執拗に劇映画との類比を議論しようとしてきたことを不審に思われる向きもあるだろうが、両者をまったくの別物として最初から分けてしまうことは、むしろそれぞれの映画的豊かさを不当に減じかねないと考えるからである。
そもそも劇映画とドキュメンタリー映画との間に、それほどの距離があるとは思われない。レニ・リーフェンシュタールやフランク・キャプラのプロパガンダ映画を参照するまでもなく、ドキュメンタリー映画は劇映画に多くを負ってきたし、その逆もまた然りである。
*1 アイドルの活動を追ったドキュメンタリー映画で食事の場面が描かれることの意味について簡単な考察を試みておきたい。AKB48およびその派生グループのような(たとえばメンバー数の多さや素人同然の少女の成長過程を見せるスタイルなどを特徴している点で)新しいタイプのアイドルたちのドキュメンタリーを撮るにあたって、どのように映画の構成要素を確保し、それを配列するかという問題は、それほど簡単なものではない。もっとも単純かつ説得的なのはメンバーのインタヴュー映像だろう。
じっさい、それを中心に置きつつ、その周囲にライヴや総選挙などの大きなイヴェントを配列していくという方法をとったのが「DOCUMENTARY of〜」シリーズ1作目の『10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』(寒竹ゆり、2011年)だった。この映画は明らかに演出されたメンバーたちの女子会風食事シーンで幕を開け、それに対応するように、エンディング・クレジットでは、レッスンや仕事の合間に食事をとっている(限りなくオフに近い)メンバーたちの様子がモノクロ調の映像で集中的に映し出されている。アイドルの光と影/公と私の両面を映画の構造にあわせて印象づける好編集と言えるだろう。
この作品以来、食事の場面はAKB関連のドキュメンタリーにとって欠くことのできない必須の構成要素となった。ここでは個々の作品における食事シーンの意味について詳述する余裕はないが、AKBグループおよび彼女たちを撮影したこのドキュメンタリー・シリーズ全体の特徴として、アイドルたちの栄光(光)と苦悩(影)の両面を、公私にわたって切りとって見せるという方針を指摘することができる。
このとき、栄養摂取のための食事は、当然その後に伴われることになる排泄を連想させかねないため、アイドルの人間的な側面を強調することになる(一作目では食事の後に睡眠の場面を集中的につないでいた)。食事は、華やかな面ばかりでなく、弱さや人間臭さを備えた少女の姿を描き出すための格好の道具立てとなるのである。さらにこの場に友人や家族を加えれば、アイドルたちの「私」の部分をより際立たせることができる。この方向に「インタヴュアーとの食事」という新たなパターンを持ち込んだのが、『道頓堀よ、泣かせてくれ!』と同日公開のHKT48のドキュメンタリー『尾崎支配人が泣いた夜』である。これは映画の監督がメンバーの指原莉乃であるために可能となった戦略であり、同作はその強みを随所で遺憾なく発揮した佳品に仕上がっている。
『道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48』より ©DOCUMENTARY of NMB48製作委員会
【作品情報】
『道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48』
(2015年/日本/カラー/121分)
企画:秋元康 出演:NMB48
監督:舩橋淳(『フタバから遠く離れて』)
エグゼクティブプロデューサー:窪田康志
製作: 吉成夏子 、 大田圭二 、 秋元伸介 、 北川謙二 、 井上啓輔 、 奥井剛平
プロデューサー:石原真 、 古澤佳寛 、 磯野久美子 、 松村匠 、 牧野彰宏
ラインプロデューサー:清水哲也
撮影:戸田義久 録音:近彰彦 編集:青木孝文
制作:ドキュメンタリージャパン
制作:AKS 東宝 秋元康事務所 ノース・リバー NHKエンタープライズ KYORAKU吉本ホールディングス
配給:東宝映像事業部
公式サイト→http://www.2015-nmb48.jp
TOHOシネマ新宿ほか、全国各地で公開中!
【執筆者プロフィール】
伊藤 弘了(いとう・ひろのり)
1988年愛知県生まれ。映画研究=批評、テニス評論。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍中。「國民的アイドルの創生――AKB48にみるファシスト美学の今日的あらわれ」で「映画評論大賞2015」受賞(『neoneo』6号に掲載)。