【Interview】国家に長い間拘束された人の傷は深い。それを伝えたかった~『ふたりの死刑囚』齊藤潤一プロデューサー・鎌田麗香監督インタビュー

鎌田に対しては基本、放し飼いでした

 袴田さんのところには定期的に訪問していたのですか。それとも、時期を見計らいながら?

鎌田 タイミングを見ながらです。なかなか行きづらい時もありましたし、ほんと、タイミングでした。袴田さんもお姉さんも基本は家にいるのですが、時間に余裕がありそうな時にお邪魔して。それで話し相手になって、プラス撮影もして。

窓口になるのはお姉さんですが、チャキチャキとしてらっしゃって、ちゃんとスケジュール帳も持っているんです。私なんかより予定が埋まっている月がある位で、本当に凄いなと思いました。

 2年前、このサイトで阿武野勝彦さんにインタビューした際、取材報告をひんぱんに聞いて細かくサジェスチョンする場合と、ほぼ出来上がるまで放っておく場合がある。ディレクターによって違う、と伺いました。齊藤さんは、今回は?

齊藤 ドキュメンタリーのプロデューサーをするのは初めてでしたが、鎌田には放し飼い方式で行きました。

僕はずっと阿武野を見てきたので。やりたいことをやらせてもらったんですよね。もちろん、定期的にこんな取材をしていると報告はするんですけど、編集の第一稿ができるまでは自由で。それがやり良かったんで。

鎌田 それでも、その時々の方向を付けてもらいました。袴田さんをもっと取材したほうがいいんじゃないかと言ってもらったし、それに、再現映像ではセットを組んだ方がいいんじゃないか、とか。

齊藤 そういう必要最低限のアドバイスをした位。基本は放し飼いでした。袴田さんにしても、それまでに厚みのある取材が出来ていたので、ここまでやれているのなら軸で行こうよ、と言えたんです。

 若い頃、大部数の雑誌の副編集長をバリバリやっていた人が管理職になって現場を離れたので、どういう気持ちですかって聞いたことがあるんです。無神経に(笑)。そしたら、玩具を取り上げられた子どものような気分だって。

齊藤 本当にそうですね。まさしくそう。鎌田が編集やっている姿、いいなー、羨ましいなって思いで見ていました。憎たらしいとまでは思いませんでしたけど(笑)。

 口を出したくなるのを我慢する時も?

齊藤 まあ、鎌田なら大丈夫だろう、というのはあったし、あまり口を出さないようにと思っていました。現場をやっている時は阿武野以外にも色々な上司がいましたけど、バーッと口を出してくる上司と仕事する時は、自分の思うような作品もなかなか出来ないものですから。そこは阿武野を見習ってのことです。

だから、プロデューサーと言っても、ほとんど何もやってないんですよ、僕。基本は鎌田が作ったものです。

 「プロデューサーの最もホネの折れる仕事は口を出さないこと」と言っている人もいました。

齊藤 ああ、それはそうかもしれない。

鎌田 私が同じ立場だったら、口出ししちゃうかな。気になって、撮っているところをこっそり見に行ったり……(笑)。

袴田さんの今は、本当に幸せなのか

 鎌田さんは今回が初めての映画演出。番組の時と比べてどう、と考えることはありましたか。

鎌田 無心でした。もともと映画になると思っていなかったこともあって。映画にすると聞いた時も、「映画?」って半信半疑の気持ちでした。自分の中では、1本の長編ドキュメンタリーを完成させられた、よかったっていう流れの延長なんです。

でもその後、ニュースの3分や10分の特集を作ると、短かッ!と思いました(笑)。

 一定の期間、長編を作ると、振り返るとここがきつかった、ここがヤマだった、という局面はあったのでは。そこをお二人にお聞きしたいです。プロデューサーとディレクターではどう答えが違うものか、興味があるので。

齊藤 なんだろうな……。どういうテーマで行こうかって2人で話をしている頃ですかね。

冒頭でも話しましたけど、僕は『約束 名張毒ぶどう酒事件死刑囚の生涯』で、この事件へのアプローチはやり尽くしてしまった。それに名張事件はその後、特に動いていませんから。この状態で、何か新しい視点があるだろうか、と。

鎌田に「作って」とお願いしたものの、なかなかいい知恵が浮かばない。そんななかで、袴田事件を少し取材してみようかとなった。その辺りの頃が一番、辛かったです。

鎌田 私は取材で悩んだりというのは無くて。取材はした方がいいって感じでした。苦しかったのは、構成を立てる時です。検察の取材が出来なかったことがあって。

もっといい見せ方をしたかったのになあ、もっと取材できればよかったのに、と思うところはありますね。なので、次回のリベンジを心に誓っています。

 最良証拠主義に触れる部分は、勉強になりました。

袴田さんと奥西さんのパートが交互になる構成で、最後は奥西さんの墓参りで終わる。袴田さんで終わるという選択肢は? ずいぶんと映画の印象は変ったと思いますが。

鎌田 7月の、最初のOAは、袴田さんが歩く場面で終わっていたんです。でも、その間に奥西さんが亡くなられた。今のラスト、最後は奥西さんになったのは、そうならざるを得なかった、必然的だったと思っています。

齊藤 袴田さんは外に出ることが出来たし、今は好きな将棋を指したり、人と交流できたり出来ているけれど、本当に幸せなのか。そこは今回、問いかけたかったんですよね。

僕はやはり、長い間閉じ込められていたことによって、袴田巌という人間の、人生の大きな部分が失われたことを考えます。だから、国家に長い間拘束された人の受けた傷はこんなにも大きいよ、それにもうひとりは獄死したんだよ、とメッセージとして伝えたかった。

 分かりました。確かに墓参りの場面で終ることで、簡単に消化できないものを見る人は受け取ります。なにより、鎌田さんが大変なバトンを受け取った。

齊藤 爆弾だもんな。

鎌田 はい(笑)。頑張ります。
『ふたりの死刑囚』より ©東海テレビ放送

【作品情報】

『ふたりの死刑囚』
(2015年/85分/HD/16:9/日本)

ナレーション:仲代達矢 プロデューサー:齊藤潤一
音楽:本多俊之 音楽プロデューサー:岡田こずえ
撮影:坂井洋紀 音声:福田健太郎 音響効果:久保田吉根
題字:山本史鳳
監修:門脇康郎
映像協力:テレビ静岡、フジテレビ、アニドウ・フィルム 写真協力:中日新聞社
編集:奥田繁
監督:鎌田麗香

製作:配給:東海テレビ放送
配給協力:東風

3月12日〜横浜シネマジャック&ベティにて上映
4月 大阪・第七藝術劇場 ほか 全国順次公開 

【プロフィール】

鎌田麗華 かまだ・れいか(監督)
1985年愛知県生まれ。明治大学文学部卒業、2008年東海テレビ入社。警察・司法担当記者を経て、今回が初のドキュメンタリー制作。現在は遊軍記者として「みんなのニュースOne」の特集のディレクターなどを担当。趣味は俳句。名張事件について読んだ句は「天高し柵の向こうの古き墓」。袴田巌さんを取材するうちにボクシングと将棋も趣味に。

齊藤潤一 さいとう・じゅんいち(プロデューサー)
1967年生まれ。関西大学社会学部卒業、92年東海テレビ入社。営業部を経て報道部記者。愛知県警キャップなどを経てニュースデスク、ニュース編集長を経て、現在報道部長。2005年よりドキュメンタリー制作。これまでの発表作品は「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」(06・ギャラクシー優秀賞)、「裁判長のお弁当」(08・ギャラクシー大賞)、「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」(08・日本民間放送連盟賞優秀賞)、「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」(08・日本民間放送連盟賞最優秀賞)、「罪と罰~娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父~」(09・FNSドキュメンタリー大賞)、「検事のふろしき」(09・ギャラクシー奨励賞)、「毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~」(10・ギャラクシー奨励賞)。劇場公開作品として『平成ジレンマ』(11・モントリオール国際映画祭出品)、『死刑弁護人』(12・日本民間放送連盟賞最優秀賞)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(13・東京ドラマアウォード・ローカルドラマ賞)がある。

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