【Interview】私たちが変わる第一歩は、まず状況を知ること―『バナナの逆襲』フレドリック・ゲルテン監督インタビュー text 若林良

「バナナをめぐる“甘くない”ドキュメンタリー」と呼ばれる、スウェーデン発のドキュメンタリー『バナナの逆襲』が、現在東京を中心に公開されている。口当たりがよく保存も簡単なため、日本人にとっても身近な存在であるバナナ。しかしその裏に隠された事実は、決して「甘く」はないものだった。もともとはフレドリック・ゲルテン監督による、『Big Boys Gone Bananas!(ゲルテン監督、訴えられる)』『Bananas!(敏腕?弁護士ドミンゲス、現る)』というそれぞれ独立した映画。しかし今回、その2本が『バナナの逆襲』として一挙公開されることとなった。製作順序としては『ドミンゲス』の方が最初で、『ゲルテン監督』は『ドミンゲス』の公開からある多国籍企業に提訴され、裁判にのぞむ監督自身の姿を撮影したものである。この2本の作品の製作動機や演出方法について、来日中の監督に話をうかがった。
(取材・構成=若林良、通訳=野川未央)


——監督の背景について、まずお聞きできればと思います。ゲルテン監督は、もともとは海外特派員やコラムニストとして、ラジオ・テレビ・出版業界で働かれていたとお聞きしていますが、映画の世界に入るにはどのような契機があったのでしょうか。また、そもそも「メディア」の世界に入ったきっかけは何なのでしょうか。

フレドリック・ゲルテン(以下F・G) ジャーナリストとしての仕事を始めたのは、私が25歳のときです。もともとは大学には通わず、フォークリフトのドライバーとして働いていました。ただ政治や社会情勢、また旅をすることには強い興味を持っていましたので、「ゆくゆくはマスメディアで働きたい」という思いは自身の中にありました。そして、ドライバーとして4年間働いたあとに、ジャーナリズムについて学べる1年間のプログラムに参加したんですね。その修了後、幸運にもメディアで職を得ることができ、現在の活動の第一歩を踏み出しました。

順序としては、最初は新聞社やラジオ局の嘱託としての職務が中心だったのですが、やはり自分自身が世界を旅したい、外に出たいという願望が強かったので、フリーランスとして独立し、自身が取材した映像や記事を、各メディア社に売り込む形をとるようになりました。だんだんそういった成果が認められて、比較的大きなテレビ番組でも、私が製作した映像が取り上げられるようになったんですね。

業務の中では、南アフリカや中南米、韓国などに長期滞在して取材をする機会も豊富でしたが、そうした過程で、自身のメディアにおける“軸”も確立されていったように思います。たとえば新聞などに掲載される、何らかの事件についての短い記事を執筆するよりも、劇場で公開されるドキュメンタリーのように、ひとつのテーマを掘り下げて考え、映像という形で表現したい。メディア人としての歳月のなかで、そのような姿勢がしだいに醸成されていきました。

フリーランスとなってからは、国際的な事象を中心に伝えていたので、ドキュメンタリーにしても、そういった系譜を受け継ぐものにしたいと考えていました。最初は地元に密着したドキュメンタリーを作っていたのですが、2005年に製作した、『Ordinary family』が私にとっての分岐点となります。2001年にアルゼンチンで起こった経済危機によって、すべてを失った家族を追ったドキュメンタリーなのですが、私にとって初めて、国際的なテーマを扱った作品になったんですね。こちらはNHKで放映された、つまり私のフィルモグラフィーの中で、日本ではじめて公開された作品でもあります。今回こうして日本でインタビューを受けることができたのも、この作品があったからだと思いますし、そういった意味でも、私の「原点」と言えるかもしれませんね。この作品の編集担当者は、今回の『バナナの逆襲』も同様に担当しています。

——ゲルテン監督は作品を製作する上で、どのようなことを意識されていますか。

F・G まず、財政面の問題ですね。実際のところ、ドキュメンタリーの製作会社が生き延びるのは非常に厳しいことです。私自身もまた財政面での困難に直面していますし、自分たちが生き延びるためには資金源を見つけなければなりません。私の場合は、製作費の25%はスウェーデン国内の資金ですが、残りの75%は海外のテレビ局に作品を売るなどして、なんとか賄っているという状況です。

そのような現状ですので、作中に描かれた問題を、できるだけ多くの人に知らしめたいというのももちろんですが、次の作品の資金を賄うためにも、自分たちが製作した映画は世界中で見てもらいたいんですね。それゆえに、作品の舞台もさまざまな場所を設定しようと心がけています。ただ、どこを舞台にしたとしても、ただ地元のことを映すというのではなく、いかにグローバルな視点や側面を入れ込むかが、非常に重要であると思います。

たとえば今回の『敏腕?弁護士ドミンゲス、現る』はニカラグアが舞台になっていますけど、ニカラグアについて伝える映画ではありません。どういうことかと言えば、作中で描かれる問題はニカラグア一国に留まることではなく、同じくバナナの生産地であるフィリピンや、バナナの輸入国である日本にも当てはまることなんですね。ニカラグアの場合、国内政治においてさまざまな問題はありますし、そういったテーマでも作品は作れると思うんですけど、それは果たして国外でも観客の興味を引くものなのか。「グローバルな視点」が大切ということですね。

そして今回の『ドミンゲス』は、観客がバナナ農園の労働者たちの顔を実際に画面で見ることができますし、それによって、ニカラグアの人たちのことだけではなくて、基本的には同じ状況を強いられている、フィリピンのバナナ生産者のことも理解できるはずなんですね。私はそういった作品作りを心がけています。

「『バナナの逆襲』第2話 敏腕?弁護士ドミンゲス、現る」より©WG FILM

——作品の内容につきまして。ニカラグアという一国のみにとどまらず、フィリピンなどについてグローバルな視点から理解するということでしたけど、スウェーデン出身であるゲルテン監督が、国際問題のなかでもニカラグアの農業に関連した問題に関心を持たれたのにはどういった経緯があったのでしょうか。

F・G 他国の問題に興味を持つのはなぜか、という問いですけど、まず、「地球は小さい」とお答えしたいと思います。

ご存知の通り、バナナというのは本当に一般的な果物で、日々の生活の中に当たり前のように存在しています。子どもが最初に食べるフルーツかもしれませんし、また老人が、人生の最後に口にするフルーツかもしれません。スウェーデンでは、スーパーマーケットで売られているすべての商品の1%をも占めるのがバナナだと言われています。こういった非常に大きな割合を占めるもの、自分たちが消費しているものについて多くの観客に伝えることが、私の使命なんですね。自分たちが口にしており、そのために遠くから運ばれてくるバナナが、その生産過程でどのような影響を及ぼしているのか、私たち消費者は知るべきなんです。

たとえばバナナの農園では飛行機によって農薬が散布されており、農園労働者が日々亡くなっています。また、子どもが腕や足がない状態で生まれてくるなど、生活の基盤となる環境自体が、農薬によって完全に破壊されているという現状もあります。日本人が食べているバナナの産地はフィリピンがほとんどですが、そこでもまた、同じことが起こっているのです。

ですので、私はそうした事実を世界中に伝えていく必要があると感じていますし、またそれができるのも、ドキュメンタリーの力であると思っています。実際にスウェーデンでは、私の作品が大きな成果を生んだと自負しています。というのも、私の映画が公開された後、いわゆるフェアトレードのバナナの売り上げは、公開前の600%になったんですね。スウェーデンの小さなドキュメンタリー製作会社が作った作品でも、そうした力を持っていることが証明されたと思います。

『バナナの逆襲』第2話 敏腕?弁護士ドミンゲス、現る より©WG FILM

——ちなみに、監督がこの問題をお知りになったのはいつごろでしょうか。

F・G 最初に知ったのは70年代です。ただ、おそらく社会問題に関心を持っている方であれば大体そうだと思うんですけど、「食」の問題はクラシカルな、昔から語られている問題ではあるんですね。自分も若いころにエドワード・ガリアーノという方が書いた、バナナの農園会社に関する歴史をつづった本で知りました。ただ今回、私はロサンゼルスをベースに活動する弁護士がニカラグアに行くという、いわゆる北の国であるロサンゼルスと、南の国であるニカラグアというところの移動という、古くから語られている問題を新しいアングルを使って伝えることを意識して行いました。

——監督は裁判の問題を知ってから撮りたいと思われたのか、もともとドミンゲス弁護士などの人物と関わりがあってそこから始められたのかでは、どちらでしょうか。

F・G 最初に労働者の問題をニカラグアで調べていた時には、まだ裁判のことは知りませんでした。調べていく過程で最初の裁判を知って、同時にホアン・J・ドミンゲスのことも知ったわけですね。映画の中に出てくるので詳細な言及は避けますが、非常に面白い宣伝を掲げていまして、私はそれがとてもいいストーリーメーキングのポイントになると思いました。

こういった人権問題を語る時に、すべて正論で固められると見ている人にとっては非常につまらない映画になってしまいますし、それは作品として褒められたものではないと思います。本作の場合は、ドミンゲス弁護士はまったく人権派っぽくないことがポイントでした。それも含め、彼は非常に色彩豊かな、人間味あふれる人物だったので、非常に好ましいと思いましたし、観客が彼にどのような印象を抱くかも、直感では分からないわけですね。それが面白いと思いました。

ドキュメンタリーは、みる人にとって感情的な影響が大きいことが非常に重要だと思うんですね。それによって映画とみている人の距離が近くなることがあると思います。そのためには出てくる人のキャラクターが非常に重要になります。

たとえば『敏腕?弁護士ドミンゲス、現る』にすれば、弁護士のドミンゲス、またもうひとりの弁護士のデュエイン・ミラーのキャラクターが強く影響していますし、もちろんニカラグアの労働者たちですね、彼らはあまり映画には出てこないんですけど、非常に重要な存在で、観客に感情的なインパクトを強く与えてくれています。人によると思いますけど、恐らく映画をみた人たちは弁護士のドミンゲスよりもニカラグアのバナナ労働者に思いを寄せるケースが多いのではないでしょうか。感情に訴えかけることが非常に重要であると思います。

もう一作の『ゲルテン監督、訴えられる』の方は、非常に大きな言論の自由、報道の自由という社会において大きな問題をみなさんに伝えるために作った映画ですね。つまり、私についての映画ではありません。巨大な企業がどのように小さなジャーナリスト、もしくは個人に圧力をかけていくか、言論の自由を奪うのかが重要なテーマで、ここでの私は、こういった問題に直面している他の人、これから直面するであろう社会全体を代表しているんですね。大切なのは映画を通じて、こうした問題が世界で起こっていると伝えることです。

「『バナナの逆襲』第1話 ゲルテン監督、訴えられる 」より©WG FILM

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