【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」第17回 『ルーツ・オブ・リバー 黒部川』

「同じ川」は、二度と存在しない

川の源流から河口までを、凝縮した人生ドラマのように聴かせる。この狙いが、適切な録音の積み立てによって成功している。本盤は、いい聴くメンタリーだ。でも、実は、そういう聴き方をせざるを得ない位、ビジュアルを含めた情報が無い無い尽くしのレコードでもあった。

まず、前述したようにインデックスは「最上流」「中流」「下流」と書いてあるだけだし、写真もジャケットの表裏と、解説書の2枚、合計4枚限り。キャプションが無いから、場所を特定できない(アウトドア愛好家や旅行好きな方なら別でしょうが……)。
解説を書いているのは、『山と渓谷』編集長だった節田重節。地理やダムの説明に、明治までは未踏の地だった黒部渓谷の遡行に、登山家・冠松次郎が初めて成功したエピソードなど、さすがに情報ばっちり。しかし、あくまで黒部川のガイドであって、音のレコードの解説にはなっていない。




例えば「上流の音は十字峡より下流の谷で録音」など、ポイントが特定できるクレジットか解説があれば。そりゃあ僕だってさり気なく、黒部が舞台の小説『高熱隧道』(1967)の話なんかしたかったところだ。吉村昭作品について好きに語ってもいいなんて、ライターには滅多にないチャンスだし、未読の読者には情報提供になるし、WIN-WINだったのに。

そうなると次第に、おそろしい疑念が湧いてきたのである。
あまりにも周辺情報が無い。これ、ほんとに黒部川での録音だよね……という、テーブルを引っくり返すような疑念だ。

もしかしたら、渓谷の岩の形や季節による水量などで、ある程度は音だけで絞り込めるのかもしれない。鉄道ファンにおける「録り鉄」さんのように、
「この川の音は……4月の空知川ですね。北海道と日本アルプスとでは雪質が違うから、雪解け水の響きに、空知川ならではのサムシング・エルスがあるんですよ」
なんて、凄まじいことをペロッと言える人が、存在するのかもしれない。
僕はムリだ。特に下流なんて、最寄りの河川・多摩川と聴き比べても違いは分からないだろう。

ただでさえ日本って、川、めちゃくちゃ多い国だからね。
一級水系に指定されているだけでも、14,000近くだ。信濃川、大井川、四万十川、長良川などの名川になると大抵、山間部を源流にし、急流が多い共通点を持つ。ダムがあるなどの特徴は抜きにし、清流の音だけで黒部川との違いを特定できるものだろうか?

もっと言えば。同じ黒部川であっても、厳密には一時たりとも同じ音で流れることは有り得ない。だから川から人は、己のライフサイクルをなぞらえて慈しむ感性を育てやすかった。

中世期の人気エッセイスト鴨長明は、日本文芸史上の大ロングセラー『方丈記』(1212)で、

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

と、無常スピリット溢れまくったフレーズをクールにキメて大評判をとったわけだが。物理的に見たって、長明先生は正しい。


まぼろしのレーベル、東宝レコード

まあ、そうは言っても。こっちだって(黒部川のレコード、いいなあ……)とカンゲキさえしちゃったんだから。この川の音は黒部川でいいんだ、と納得できる理屈を構築せねば。

そこで、発売元が東宝レコードであることに注目してみる。
1970年から約10年間だけ存在していた、あの東宝のグループ会社だ。もっぱら東宝製作・配給映画の主題歌やサウンドトラックを発売していた。僕も最近になって知ったのだが、歌謡曲も少し手掛けており、それらは現在、幻のカルト歌謡と見なされているらしい。

ちなみに僕が持っているなかで、いちばん「らしい」東宝レコードは、シングル「七人の侍―侍のテーマ―」。オリジナル・サウンドトラックではなく、黒澤明が詞を付け、ジ・オールドタイム・フォークシンガーズという、おそらくセッション用に集まったグループが歌ったものだ。クレジットに「ディレクター・黒澤久雄」とあるので、久雄がリーダーだった、ザ・ブロードサイド・フォーのメンバーが参加しているかもしれない。

演奏の感触からして、1975年のリバイバル公開に合わせた制作と考えていいだろう。企画物の珍作のようでいて、これがなかなか。もとの曲自体、映画を見たら誰でも口ずさみたくなるものだし。
詞がクロサワらしい、高潔と豪気を重んじる倫理観で書かれている。まるで、自作の人物は常にこういう男に描いてきたとナイーヴに明かす、演出ノートを読むような感興がある。

 



と、情報が少ない盤なので、少し寄り道紹介をさせて頂いた(稀少盤持ってる自慢とも言います)。

この東宝レコード、帯の裏を見ると、他にも聴くメンタリーをこさえ、発売していたことが分かる。大きな決め手に欠けたレーベルらしい試行錯誤……と思う一方で、本盤と、グループ内に映画会社があることは、どうも無関係ではない、と思われてくる。

 


あくまで僕の推測だが。
本盤の録音・制作に携わったのは、ひょっとしたら東宝の、映画の録音・整音技師なのではないか。

東宝レーベルが存在した期間は、映画の自社製作の本数が激減した斜陽期に当たる。(今では信じられない人も多いだろうが、当時の東宝は全体にパッとしない、松竹、東映よりも人気の無い存在だった)
撮影所で、技術系の社員もしくは契約スタッフの手が空いてしまった。出向で、レコードの仕事もしてもらおう―。そういう、グループ会社内での互助・人的補填の流れは想像しやすい。
これは今の話だが、東映が、東映太秦映画村を運営する理由のひとつに、時代劇に必要な技術と人材のプールと継承がある、と聞いたことがある。


▼page3 映画の録音と、レコードの録音 につづく