映画の録音と、レコードの録音
実際、音を聴いていても、映画の録音スタッフの手によると考えたほうが納得しやすい節があるのだ。
まず、川の音だけでストーリーを組めている、録音物としての完成度の高さ。劇・おはなしの作り方に習熟した意識があったればこそ、という気がする。
それに、なんというかね、録音にガッツを感じるんです。
自然音の聴くメンタリーの場合、僕がここまで耳にした範囲では、一場面に複数の要素が入ることが多い。渓流なら、その水音だけでなく、カワセミの鳴き声、新緑の葉のざわめきも取り込む。立体化によって、ああ、渓流だ……と聴く者が実感できる、一幅の音の風景画を作り上げる方法論だ。
もちろんそれはそれで、正解。本盤のように、川の音のみにマイクを向け、他の音をオミットしているほうが、聴くメンタリーとしては珍しい。
中流の辺りで、鳥の鳴き声が実は入っていて、ほぼ分からない位に消されていることに、僕は何度か聴いているうち気付いた。この、そこまでしなくても……という努力もまた、映像に重ねる目的で音を録る人達の特長であり、職業訓練の賜物ではないか。
カワセミの鳴き声が入ったテープなら、カワセミがいる季節や場所、と映像の条件が限定される。そぐわなければ、どんなにいい録音だろうと素材として「使えない」。それが、映画の録音だからだ。
そこまで推測していけば、本当に全て黒部川で録音したのか、という疑念の問題はスムーズに解消されていく。
A面の、渓流の爽快な響きを改めて聴くと、スタッフはやはり、初夏のシーズンを待って実際に黒部に行ったのだと思う。録音は、前日、前々日に大雨が降っていない日を狙って行われただろう。根拠は、ここまで丁寧なレコードを作る人たちならば、という信頼感だ。
しかし、その上で、機材を抱えて峻厳な谷底まで下りる困難も考える。天候に恵まれたかどうかも分からない。
もし、録ってきた黒部の音が、実地で聴いた音を再現し切れていないとスタッフが感じたならば、違う川の音と差し替えたり、組み合わせたりした部分があったとしても、僕は構わない。
体が記憶する音は、現実の音よりもリアル
小川紳介のインタビューや文章を集めた『映画を獲る ドキュメンタリーの至福を求めて』(1993・筑摩書房)に、カメラと同時に録音した音を、映画ではかなり外す話が出てくる。
田んぼで働いているところを撮影している間、手元の音よりも、遠くのカッコウの声のほうが近く感じられたりする。それが、体が記録する音になっているので、機械で撮った音を聴き返すと、逆にリアルに聴こえない場合がある。だから、そういう部分は音を新たに作る、という。
初めて読んだ時は、目からウロコが落ちた。
「それは記録という意味を狭く考えれば『つくってる』音なわけだけど、そうじゃないよ。これが本当の音だってことに絶対自信があったね。(中略)自分の体に刻みこまれた『音』があるわけだ。それがドキュメンタリーじゃないの」
つまり、僕が(黒部川のレコード、いいなあ……)と感じ入った時点で本盤の録音は、データの記載が無かろうと、黒部川でいいのだ。
川の音をじっくり聴いて、快かったり、威圧されたりして、つくづく、水資源は大事にしなければ、と思った。そっちのほうが大事、と考えたい。きれいな山水が自慢だった国で、毎日何百トンもの「汚染水」が生まれることになった。自然に対して、申し訳なくって仕方ないです。
おまけ。今年になって発売されたエレーヌ・グリモーの『ウォーター』(ユニバーサルミュージック)が、とてもいい。ラベルやリスト、武満など、水がテーマの曲を弾いたコンセプト・アルバムだと知り、クラシック音痴が珍しく購入したら、期待以上に参考になった。
グリモーの演奏も、ブリッジ役を果たすニティン・ソーニーのアンビエントも、水音そのものではないし、雨だれやせせらぎの様子をテクニックで再現、なんてこともしていない。それこそ、自分の体に刻みこまれた自然への畏怖を、いかに自分達の音楽で表現できるか。批評的に考え抜くことをテーマにしている。
川の流れの音だけでストーリーを作った本盤とは、好対照。互いの良さを照らし合うような内容だった。
※盤情報
『ルーツ・オブ・リバー 黒部川』
発売年不明/東宝レコード/2,300円(当時の価格)
若木康輔(わかきこうすけ)
1968年北海道生まれ。フリーランスの番組・ビデオの構成作家、ライター。このところカンフー映画をよく見ていまして。水にまつわる教えが多い世界であると気付きました。いちばん有名なのはブルース・リーの語録「友よ、水と成れ」ですね。ジャッキー・チェンとジェット・リ-の共演作『ドラゴン・キングダム』では、「限りなく柔らかいが、硬い岩をも打ち砕く。相手に逆らわず、流れるように包み込む。名前も型も無い」水の境地を己の内に持つことが、達人への道であると。そうでありたいですねえ……!
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