【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」第18回 『ARTHUR MILLER READING』

 朗読から伺える、戯曲家の意図

『アーサー・ミラー自伝(上・下)』(倉橋健訳/1987-1996・早川書房)を図書館で借りると、『セールスマンの死』の初演では、演出のエリア・カザンも、ビフ役のアーサー・ケネディも、ホンを理解するまでかなり苦労したと書いてあった。
主人公ウイリー・ローマンを初演で演じたリー・J・コッブ、映画版で演じたフレデリック・マーチ、どちらにもミラーが不満を持っていたと明かしているのには驚いた。
僕は映画のマーチを見て、くさみも重さもたっぷり、堂々たる名優芝居を堪能したものだが、作者としては深刻な表現にあまり凝ってほしくなかったようだ。語り草になっているリー・J・コッブの演技に対しても、いささか役に感情移入し過ぎている、「泣きすぎる」と。それだけ入れ込んでくれた感謝の念も交えながら綴っている。

ここらあたりの微妙な戯曲家の心理が、本盤にも、自分のホン読みを参考にしてほしいというかたちで、投影されている気がする。
特にそれを感じるのが、先に書いた『るつぼ』第二幕の後半、プロクターが叫ぶ場面だ。
映画ではダニエル・デイ=ルイスがかっこよく演じ、日本での民藝による初演(62)では鈴木瑞穂が演じた。当時絶賛された鈴木瑞穂によるプロクターは、教会のタテマエの権威に屈しない、独立心の強い農夫だったと演劇関係の本で読んだ記憶がある。

ところが、ミラーが“自演する”プロクターは、ピリピリとした焦りが表に出る男だ。正直に罪を打ち明けなければさらに破局が待つところまで追いつめられた小人物が、その状況に対して嘆き、激怒に転化している。
ここでの怯えた早口は、B面でのウイリーの、泣き落としが通じないと分かった途端にバクハツするところと質が同じなのだ。
ミラーは、『セールスマンの死』と『るつぼ』は「血を分けた兄弟」と書いている。本盤の朗読を聴くと、まるで別の話がミラーの中でどうつながっているか、作者自身による解釈として知ることが出来る。

 

今年の2月、都内で、JOKO演劇学校修了公演の『セールスマンの死』を見た。
この学校のことは存じ上げず、ただ、アーサー・ミラーの上演なら何でも見ておきたくて。関係者でもないのに当日券を求める客は珍しかったらしく、受付の人を少し戸惑わせてしまった。

拙かろうと文句は無い、というつもりで見たら、とても良かった。

いや、正確にはおぼつかないところの目立つ、素朴な舞台ではあった。ウイリーを演じる若い卒業生のアマチュア感は相当なもので、セリフを覚え、演出を付けられた通りに動くので精一杯……のようすだった。しかしその余裕の無さが巧まずして、ミラーが高いレベルの俳優に、名演以上に求めていたもの―滑稽な不安定さ、精神の胡乱さを垣間、鮮やかに表現し得ていた。
自分でコントロール出来ていない、ぎこちない演技の、そのぎこちなさを誉めるのは筋がどこか違う、失礼な話ではあるが、実際に感動したのだ。

 

「自分になじめない」ひとの恋

本盤のおかげでずいぶんアーサー・ミラーのファンになったけれど、自伝を読み通す前に返却日が来てしまった。
ただ、あくまでもページをざざっとめくった印象のみで言うが、ユダヤ人家庭に生まれ、大恐慌の時代にティーンエイジャーで、第二次世界大戦の頃は海軍工廠につとめ……という経歴は、特に参考にならない気がした。ミラー自身、育った環境に自分の内面のエクスキューズを求める作業に、さして興味を持っていないようだ。

「なんだか自分に、なじめない感じなんです」というウイリー・ローマンのセリフが、書いた当時は「生涯を通じての自分の状態を集約しているとは思わなかった」とは、ミラーは打ち明けている。いつもそう感じる人間の質は、戦前のニューヨークに生まれようと、「美しい国、日本」のはじっこで暮らそうと、あんまり変わらないのかもしれない。
そのくせ、1956年に再婚したマリリン・モンローとの〈付き合い始め〉のあたりだけは、がっちり探して読んだ。どうもすみません。芸能人手記のベストセラーは、こういう人間によって支えられている。

なんでも、ミラーの内気さ、臆病さにマリリンは安心し、しっくり来たらしい。しかしミラーは、初めて会った無名時代から誰もが振り返る存在だった彼女に、傾斜していくのが怖かったらしい。
とても脆いところを知り、「きみは悲しい子だな」とつい呟いたら、男から「かわいい」とばかり言われてきたマリリンは、ミラーに軽蔑されたと思い込んでしばらく凹んだそうだ。

な、泣ける……。なんてブキッチョな愛の始まりなんだろう。

『橋からのながめ』初演の頃、2人は映画館で一緒に評判の『マーティ』(55)を見て、近くの小さな食堂でごはんを食べる。マリリンはすっぴんにメガネで地味な厚編みセーター、額まで隠れる毛糸の帽子。誰にも気づかれない田舎の高校生みたいな恰好なのだが、中年の女給仕は何かを感じたのか、彼女にやたら親切に話しかける。
女給仕が立ち去ったあと、ミラーはぽつんと言う。

「どうやったら、きみからうまく離れられるか分からない」

マリリンは不安そうに、思いやりのある笑顔で返す。

「どうして離れなきゃいけないの?」

ちょっともう、胸キュン過ぎるからやめて。これじゃあまるで、よく出来たドラマの一景じゃないか……って、そらそうだ、アーサー・ミラーだもんなあ。

 

盤情報

『ARTHUR MILLER READING
発売年不明/SPOKEN ARTS


 若木康輔(わかきこうすけ)
1968年北海道生まれ。フリーランスの番組・ビデオの構成作家、ライター。今回は、さすがアーサー・ミラーと言うべきか、今の分量の倍ほど書きたいことが湧き出ました。『セールスマンの死』が日本のホームドラマに与えた影響を考えると途方もなさそうなこと。先に作られていた小津安二郎『一人息子』との、ブルッとくるほどの相似性。そして『るつぼ』の、いつの時代のどこの集団でも当てはまる洞察。本当に怖いのは、嘘つきアビゲイルでも融通を失った聖職者でもなく……という。そうそう、小学生の時に見て洋画に親しむきっかけになったドラマ『ファニア歌いなさい』がミラーの脚本だと知ったのもカンゲキでした。

http://blog.goo.ne.jp/wakaki_1968

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