誰もが知る「歌謡曲の女王」は1970年代、逆境にあった。
バッシングのさなかに発売された〈ニッポン対ひばり〉の音楽ドキュメント。
段ボールの中から出てきた、大当たり盤
廃盤アナログレコードの「その他」ジャンルからドキュメンタリーを掘り起こす「DIG!聴くメンタリー」。今回も、よろしくどうぞ。
今回は、初めて音楽ジャンルのレコードを取り上げる。『美空ひばりオン・ステージ』(1975・日本コロムビア)。コンサートの実況録音2枚組だ。
地元の友達が、どこかからLPレコードの詰まった段ボール箱を2つ手に入れた。演歌と歌謡曲ばかり。まるごとネットオークションに出しても入札が無かった、とボヤいていたのを、ろくに確認もせず着払いで引き取った。その中に入っていたのが、これ。大当たりでしたね。
大半は、知っている店に買い取りに出した。数千円かかった送料を埋めるつもりが、全部で350円……。でもだいじょうぶ、ひばりのオン・ステージひとつだけで、じゅうぶんに僕はもとが取れた。他にも、まだ聴けていないものの、藤圭子とクール・ファイブの異色コラボ、ムード歌謡の伏兵的存在だったアローナイツなどが手元に残っているぞ。まあ、こことは別の話。
もともとこの連載では、音楽と落語は除外しようと決めていた。どちらも数が多い。聴くメンタリーのうちに含め出したら、キリがなくなるからだ。
それでも本盤を取り上げるのは、以下の理由から。
○ジャズやロックと比べると、演歌・歌謡曲のライヴ盤は今では珍しい。
○いったんはCD化されているのだが、ジャケットも含めたオリジナルの形では未復刻。
○美空ひばりの全キャリアの中でも激動の時期にあたり、楽曲を聴く以上の、ドキュメンタリー作品としての興趣がある。
そう、音楽のライヴ盤でも、趣味の目的に留まり切らない、時代や世相の記録になっているものがある。『ウッドストック/愛と平和と音楽の3日間 オリジナル・サウンド・トラック』(70・ワーナー)が、いちばん典型的な例だろう。
ひばりのこれも、そうなんです。吟味するためにもまず、美空ひばりとは何なのか、から順を追って書いていく。
なぜ僕らは、美空ひばりを「ふだん聴き」しないのか
戦後ながらく、歌謡曲は低俗であり、正統な音楽鑑賞の対象とはみなされないもの、という考えが幅をきかせてきた。もちろん教養主義の名残は、今でも知的層の人々がAKB48グループやEXILE TRIBEを、特に根拠もなく毛嫌いする姿に(あるいは前線への理解振りを示したい評論家が、推しメン論議に必要以上にはしゃぐ姿に)まだまだ残っている。今、これを読んでいるアナタだって、多少の差はあれ、身の覚えのあるところでしょう?
芸術と、大衆が支持するものは、別物なのか。そこに懸けられる橋は無いのか。
その相克の矢面に、常に立ってきたのが美空ひばりだ。戦後初の大ヒット・レコードを出した「天才少女」は同時に、サトウハチロー、飯沢匡、徳川夢声ら文化人から畸型扱いされた、インテリに嫌われる「マスコミが作った虚像」のはしりでもあった。
しかし、彼女は「不世出の天才」であった。歌手としての才能に、ケタがまるで違う、有無を言わさぬものがあると、間もなくみなが認めることとなった。
その歌声で焼跡の混乱と貧しさに光を照らし、復興に汗を流す人々の心を支えてきた。彼女こそが、敗戦から一等国となった戦後ニッポンの輝かしきシンボルなのだ!
……という公式的なプロフィールは、実際問題、その通りだと思う。
女性初の国民栄誉賞を受けて以降、ひばりの名の周りにあるのは美しき神話のみだ。リアルタイムではどれだけ高収入を妬まれ、高慢ちきで粗野な無学者と嫌われていたかは、国会図書館や大宅壮一文庫で当時の雑誌を調べる以外に知りようがなくなっている。
今や、よほど偏固な人と会うことなしに、美空ひばりはキライ、と本心から言う声を聞くのは難しい。20世紀の録音文化に与えた影響力において、ルイ・アームストロング、エルヴィス・プレスリー、ザ・ビートルズに肩を並べ得る存在は、日本では美空ひばりのみ。こう唱えても、まず、異論は出てこない気がする。
芸能ニュースの雑音が洗い流され、残った歌だけを聴けば、心が動かないわけがない。ふだんJ-POPには興味が無く、ジャズやブルースに造詣が深い人であればあるほど、ハマりやすいのではないか。そういう、情動の芯をいきなり、まっすぐ打ってくる力がひばりのレコードにはある。
にも関わらず。にも関わらず、である。なぜインテリは未だに、ひばりを聴かないのか。
いや、僕の周りには音楽好きでクレバーな人は多い。訊けば、みんなきっと「ひばりはいいですよ」と返すだろう。でも、ふだんからCDを買い、聴いていそうな人となると、めっきり数は限られるのだ。
僕がまず、そうだった。
▼page2 ひばりの持つ、再入門しにくい「なにか」につづく