【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」第20回

ひばりの持つ、再入門しにくい「なにか」

〈歌の世界ではいちばん偉いが、弟がやくざの組員になって紅白に出られなくなった歌手〉

僕の、美空ひばりに対する認識は十代の間、これ以上でも以下でもなかった。
1989年6月に死去すると、2年前の石原裕次郎の時並みに世間が揺れたので、初めて興味を持ち、緊急発売されたベスト盤を買った。なんとなくでも知っている曲が多くて、へえ、ナルホド大した存在だったんだ、と感心した。
数年前、〈肌の色を白くする整形手術を繰り返す、チンパンジーだけが友だちの奇人〉がこの世を去った際、DVDが飛ぶように売れましたよね。「こんなに凄い人だったとは」の声が湧き起り、奇行を嗤う評判がパタッとやんで。僕もあれと同じ。お定まりのコース。

当時好きだった子が、僕の部屋でCDから流れる曲を、次から次と口ずさんだ。「なんでそんなに知ってるの」と驚いたら、「うちでよく親とテレビ見てるもん」。(ああ、こいつんちベタだもんな……)と、そういうナットクの仕方をした。家を訪ねてご両親に挨拶した際、善男善女成分99.5%のようなおふたりとの会話がまったく噛み合わず、逃げ出したくなった。それを引きずっていた。

ベスト盤はしばらくした後、誰かに貸したまま返ってこなかった。それ以来、ひばりをちゃんと聴かない時期はずっと、実はつい2、3年前まで続いた。
なにか、確かに、再入門しにくい壁はあったのだ。虚心で聴けば、凄い。当たり前だ。僕が言うまでもない。しかし、全面的にひばりの歌はいいとは口にしづらい、乗り越えるべき心理的障害となるものが、他ならぬひばり自身から発散されていた。

ここで前節のアタマに戻る。美空ひばりは、俗っぽい。これは否定できない。

戦後の歌謡界唯一無二のディーバであることも、真実である。「リンゴ追分」「人生の並木路」「悲しい酒」などをじっくり聴く時の、胸にそくそくと悲哀の波が迫るせつなさ、喜びは、他ではなかなか替えが効かない類のものだ。

しかしその感動は、「美空ひばりは色眼鏡を外して聴けば、マリア・カラスやマヘリア・ジャクソンとおんなじ位すばらしいんだぞ」式の評価法に則ると、かえって得にくくなるのだ。まさにその色眼鏡の部分にこそ、ひばりの身上があるから。自分の中にある俗っぽさを素直に認めることなしには、ひばりには近づけない。

知った風な顔をして、美空ひばりは素晴らしいと始めるのは気詰まりだ。ほとんど、それだけの理由で長い前振りを書いた。同時に、ここまでを面倒がって飛ばし、レコードの中身をたのしむ文章を書くようになったら、この連載を続ける意味もないだろうと思う。


バッシングを浴びる中でのデジタル録音第1号

というわけで、やっとこさ、中身の話を。

本盤、『美空ひばりオン・ステージ』が発売されたのは1975年1月だが、録音は1973年1月19日、東京厚生年金会館大ホール。2年前に遡る。

実はこのコンサート、『美空ひばりストーリー・ワンマンショー』のタイトルでニッポン放送から放送されたものと同じ場での録音だ。ラジオ用のクレジットをアナウンサーが別マイクで読み上げている声まで拾っていて、おもしろい臨場感がある。
ラジオの波には、生中継と録音、どちらの形で乗ったのかは不明だが、ともかくワンステージを丸ごと1局で独占した、新春特番の目玉のひとつだったのだろう。

それに、日本オーディオ協会のJASジャーナル」2016年5月号に掲載された協会諮問委員・穴澤健明の回顧録によると、本盤はPCM機材を用いた初めての歌謡曲録音。つまり、歌謡ジャンルのデジタル録音・国内第1号だったそうだ。(この記事はPDFで公開されていて、ネットで読むことができる)

一方、ひばりサイドはかなり気が張った状態で、このコンサートに臨んでいた。

○前年(1972年)10月、弟・かとう哲也が暴力行為の容疑で調べを受ける。
○1月17日、鹿児島県内の公共施設が次々と、ひばりのショーに会場を貸さないと言明。哲也が暴力団関係者であること、ひばりがステージの共演者にし続けていることが理由。その後、全国各地でボイコットが相次ぐ。
○1月19日、同公演。
○1月21日、山口組系益田組が、哲也とは無関係と発表。ひばりサイドも、前年11月に縁を切っていると主張。直前の会場キャンセルへの損害賠償を請求し、世論と対決の姿勢を見せる。
○2月24日、哲也の1年間公共施設出演辞退を発表。提訴を取り下げる。(古賀政男の助言だったといわれる)
○年末、16回連続出場だったNHK紅白歌合戦』に落選。以降、(特別枠の出演を除き)紅白出場を自ら拒否。

暴力団追放運動がさかんに言われるなか、ひばりとマネージャーの母は弟をかばい、頭を下げなかった。それが世間には傲慢、非常識と映り、大反発をくらった。

やくざ組織の是非はここでは触れない。僕はものごとに対する倫理観の多くを、鶴田浩二と高倉健の東映任侠映画で勉強しました、実録路線ではありません、とだけ言っておく。

ただ、ひばりは、地方興行は地元のやくざが仕切るのが当然な時代からのひとだった。ファンに塩酸をかけられる事件(1957年)以来、身辺警護をしてもらった縁も濃い。今のモノサシで測って、思慮の足りない芸能人がいきがってその筋と付き合った……なんて解釈をすると、いろいろ間違える。

▼page3 A面からいきなりワン&オンリーの世界 につづく