【連載】ドキュメンタリストの眼⑯ イオセリアーニ監督インタビュー text 金子遊

——イオセリアーニ監督の映画は、人びとがどんな厳しい環境におかれたとしても、ユーモアをもって大らかに生きることの大切さを描いていると思います。ところが『皆さま、ごきげんよう』(15)には、多くの死が描かれており、画面から悲痛さが伝わってきます。何か最近、心境や作風の変化というものがあったのでしょうか。

イオセリアーニ わたしがグルジアで撮影したシーンでは、兵隊が亡くなり、蜂起した人たちが次々と人が死んでいきますが、それは戦争をカリカチュアしたものです。勝利した兵隊たちは女性をレイプしますが、それは年をとった女性です。マカロニを食べて、絨毯やマットレスなど役に立たないものばかりをを盗みます。つまり、勝った方の兵士たちも飢えていたわけで、あまりおもしろいことはないわけです。

その後、兵士たちはきちんと整列して川のなかで神父から洗礼を受けます。そして自分たちがいた場所に火を放ち、立ち去っていきます。次にはじまる現代のパリを描いたシークエンスは、いうなれば、現代社会における戦争を描いたものだといえます。人間社会は矛盾に満ちています。感じの良い泥棒がいれば、意地悪な警官もいます。感じの良い浮浪者たちがいて、年老いた人たちの若いころの恋愛の物語が語られます。『皆さま、ごきげんよう』は、そのような映画になっています。

——『皆さま、ごきげんよう』は、フランス語の原題が「冬の歌」というグルジアの民謡からきているということですね。映画のなかでも、聖歌だったりシャンソンだったり、音楽自体が物語を語っているようなところがあります。音響や音楽を緻密に設計していると思うのですが、監督の演出意図などを教えてください。

イオセリアーニ わたしにとっては、映画は字幕なしでもわかるものではなくてはならない。人間が口を開いたとしても、そこからは大したものはでてきません。そこから出てくるのは、その人間の実存が奏でる音楽にすぎません。わたしが好きなのは、雰囲気や雑音です。ときには映画のなかでノイズを強調します。それから、フレームのなかの映像ではわからないけれど、フレーム外で何か音が鳴っているというのを観る人に知らせることが、とても好きなのです。しかし、音楽そのものに関していえば、フレームのなかのどこからその音楽がきているのか、見えてなくてならない。

『皆さま、ごきげんよう』では、盗むべきものをすべて盗んだあと、兵士が廃墟のなかで盗んだピアノにむかって演奏しているシーンがあります。そのまわりを他の兵士たちが取りかこんでいる。そして、罪を犯した兵士たちに聖職者が洗礼を与えるシーン。あそこでは、画面内でテープレコーダーを示していて、そこからグレゴリオ聖歌が流れてきます。それから、レコードをかけるグラモフォンが登場します。かつて恋人同士だった老人ふたりが、悲しそうにレコードを聴いているシーン。あそこでも音源を示しています。グラモフォンから出ている音楽を電話越しに聞くシーンもあります。わたしの映画の場合、どこともつかない空から音楽が鳴り響くことはありません。現代のテレビやアメリカ映画とは、音楽の使い方が異なるといえるでしょう。ですから、音楽も映画のなかのひとつの要素であり、それがどこから来るのか見えなくてはならない。わたしにとっては言葉も、音楽も、雑音も、等しく映画の一要素なのです。

——現代の娯楽的なアメリカ映画とはちがって、アンドレ・バザンのリアリズムや、ヌーヴェルヴァーグの作家たちが、音楽についてとった姿勢と共通のものを感じます。

イオセリアーニ ふつうに映画を撮る力がない映画監督の場合、その映像に重厚さを持たせるために音楽を使います。(唐突に歌いだして)パパパパーン、パン、パパパパ—ン、パン、パパパパーン、パンパ、パンパン…。フランシス=フォード・コッポラの『地獄の黙示録』(79)という映画で、米軍のヘリコプターがジャングルで、ヴェトナムの人たちに爆撃を浴びせかける有名なシーンがありますね。ヘリコプターのエンジン音を響かせるだけで充分なのに、彼はそこにワーグナーの「ワルキューレ」をかぶせました。

わたしはコッポラの家に招かれたことがあります。彼はすばらしいワインセラーを持っていて、そこにはたくさんのワイン樽があって、フランシス・コッポラという銘柄のワインがあります。その階上には録音スタジオがある。わたしはコッポラに「フランシス、君は知っているかわからないけど、ワインは音が大嫌いなんだよ。ワインがイライラするとおいしくなくなるんだ」といいました。

たとえば、ワインは女性の生理が苦手で、グルジアのワイン醸造所では、女性の従業員はその時期は働かないようにしています。樽がおいてある場所では、音を立てないように底がフェルトの靴を履いて歩きます。それからタバコも苦手です。なのに、コッポラはもの凄い音の出る録音スタジオの下で、葉巻をくゆらし、ワインセラーに入っていく。背が低いので、かかとの高い靴を履いています。その靴でカツカツ音を響かせながら、ワインセラーのなかを歩いている。そして、自分の名前のついたワインボトルをわたしにくれました。何をいえばいいのでしょう? それがアメリカ人というものですから。

(通訳=福崎裕子)

『皆さま、ごきげんよう』©Pastorale Productions- Studio 99

『皆さま、ごきげんよう』
(121分/カラー/フランス=ジョージア合作/2015年)

監督・脚本:オタール・イオセリアーニ
撮影:ジュリー・グリュヌボーム
出演:リュファス、アミラン・アミラナシュヴィリほか
配給:ビターズ・エンド

公式サイト www.bitters.co.jp/gokigenyou/

12/17(土)より、岩波ホールほか全国順次ロードショー