【特別企画】対談「東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13」より 田代一倫(写真家)×倉石信乃(写真評論家)〜いま 肖像写真を撮るということ〜

田代一倫『警備員』

does generic viagra work 警備員

倉石
 それでは東京のシリーズについて観ていきましょうか。今回の出品作ではないものも、少しスライドの中に入っているということですね。警備のシリーズからにしましょうか。これが、東京のシリーズに入っていくひとつのきっかけになっていく。

generic viagra from canada 田代 展示では、真ん中の壁に3点だけあるんですけど。何も考えずに撮ったのは、この警備員のシリーズだけというか。何も考えないというのは、後でご説明します。私は、2014年の春から夏にかけて、都内のある駅でアルバイトをしていました。夕方に通勤して、終電まで無事に見送ったら、仕事が終わりっていう勤務なんですけど。その後、始発で帰宅するので、3時間ぐらい空くんです。それを、駅の中の休憩室で同じ勤務をしていた人たちを撮影したものです。あ、この方、カフェオレを毎日飲んでました。

http://viagra-online-sr.com/ cheap viagra online 倉石 これは同僚のポートレートということですね。だから、これまでのポートレートとは距離感がちょっと違うのかもしれません。もうひとつには、明らかにこれは横位置から撮るという、フォーマットの変更があります。このことに関してはどのように考えていますか。

http://batemanimation.com/books/medshop/ Viagra Online 田代 あのー。室内だと縦で撮ってもあんまりピンとこないというか。単純に縦のフレーミングで引いて撮ると、床と天井が写って圧迫感を感じたんです。それよりは、テーブル囲んで一緒に休んでいる時に撮るってなると、いつ撮っても同じように、ボヨーンとした横に膨張した時間が流れていると感じました。

crestor 5mg price uk 倉石 警備員室というのは。非常に特殊な空間ではありますよね。職場としては男性だけしかいないことが圧倒的に多いですし、そういう意味ではとても「男性的」な社会空間というか、そういう雰囲気がよく伝わってくる。私は美術館に勤務していたことがありますが、美術館には警備の方々の部屋があって、夜遅く残業していた時、一緒に雑談した時のことなどを思い出したのですが、やはりこれもくつろいでいる時間ということですよね。

田代 そうですね。フリーです。

倉石 フリー。だけど制服を着ている、ということなんですね。この空間から、東京の街に展開していくわけですね。

田代 はい。「はまゆりの頃に」というシリーズを撮影している時は、1年のうち3ヶ月ぐらいは東北で過ごしていたと思います。展示も季節ごとにやって、とかしていると、いろんな出費がかさんで、経済的に行き詰まっていきました。同時に、それをまとめて写真集として出して、初めて美術館の企画展に出品しました。傍から見ると、写真家としてステップアップしているように見えると思いますし、私も嬉しく思っていたのですが、一方で、「私の名前で発表されることを、撮影された人たちはどう思うのだろうか」とか、そういう形で発表する自分は何者なんだろうとか、そういう葛藤に苛まれはじめたのです。

もし、写っている事実だけを広めたいなら、私の署名無しで出せば良い話です。それでも私は自分の作品としてこの人たちを出している。その問答でぐるぐるしていました。その葛藤は、被災の当事者とか当事者じゃないとか、撮る資格があるのかという撮影現場の葛藤とは違う次元で、徐々に効いてくるようなところがあって、人を撮って発表するということへの閉塞感というか、自分への不信と、経済的に閉じこもっていたというのが、だいたい同じ時期に来たんです。

それでも写真を撮ることでしか、答えは出ないだろうと思う一方で、撮ることで、さまざまな問題に向き合うことを麻痺させていたようにも思います。警備員の毎日というのはとても辛くて、労働条件もそうなんですが、人として扱われていないように感じました。カカシと同じように、風景の一部なんです。写真家をやっている自負もあったのでしょうが、私じゃなくてもいいことをしているのが辛かった。そこで人を眺めながら、ボンっと意識を飛ばすような感じで、宇宙から自分を見ると、私の悩みなんて小さなものに思えるんです。まあ現実逃避ですね。でも、そういう状況に置かれた自分は、社会、特に都市にたくさんいる「アルバイトをする人」の一例になり、それを残しておくのは意味があるんじゃないかという、今思えばよく分からないことなどを考えて、撮影をしていました。アルバイトが終わり、撮った写真を、会った人の何人かに見せました。その中の一人に『日本カメラ』誌の編集をされている村上仁一さんがいて、編集部にかけあってくれて、次の年に連載が決まりました。決まったのと同じぐらいになって、ようやく街に出て撮影を始められたのです。

▼page5 最新作『Bulbs』に続く