【特別企画】対談「東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13」より 田代一倫(写真家)×倉石信乃(写真評論家)〜いま 肖像写真を撮るということ〜


田代一倫『Bulbs』

Bulbs

倉石
 この「Bulbs」というタイトルについて、説明していただけますか。

田代 はい。今回の展示は「Bulbs」っていうタイトルです。タイトルは、すごく悩みました。この「Bulbs」にするまで、ずっと「署名」にしようかと思うぐらい、自分の署名で発表することに悩んでいた時期があったんです。Bulbと聞くと、写真をやっている人は「バルブ撮影」を真っ先に思い浮かべると思うんですが、球根という意味もあります。様々な意味を辞書で引きながら、「椿」や「はまゆり」という、花の分布やあり方で既存の概念を開こうとするよりは、もっと写真を撮ることと、生活することと関係や狭い部分について、ぐちゃぐちゃ考えていたんです。それと同時に「東京が地方化しているな」と感じたこともありました。ある時、葛飾区を歩いていると、郊外によくある巨大ショッピングモールがあったんです。閑散としていた道を歩いて辿り着いたその場所には、たくさんの人がいました。それは、私の故郷である福岡や、東北で良く目にしていた光景でした。「東京には地方出身者が多い」って言われても、何かピンとこなかったんですが、東京も地方なんだと思うようになりました。そう考えると、私もいつの間にか、東京での生活に慣れている。根なし草が生えるのではなく、球根のようにどこに行っても根っこを引きずりつつ、その土地に埋まることができるんだと思い返し、「Bulbs」というタイトルを付けました。

倉石 いま自分で署名をつけて発表していいのかどうか葛藤があるという話をされましたが、そういう問いが起こるというのは、「肖像」というジャンルに特に固有のことですね。肖像は、歴史的には本当に古くて、ルネサンスや中世よりもっと古代まで遡れるでしょうが、さしあたって近代では肖像写真というジャンルがあって、その一方でスナップ写真というものもある。ざっくり聞くと、これは肖像なのか、あるいはスナップなのか。ご自身ではどのように思いますか。

田代 僕は、肖像だと思っているんですけど。

倉石 なるほど。例えばスナップというのは、声をかけては撮ってはいけないということ?

田代 そうですね。近いような遠いような感覚です。許可をとっているから良い、というような倫理的なものではなく、声をかけて、こっちを向いてもらっているということは、こちらも見られているわけです。私はそこで、見る=見られるという関係で悩むより、対等だと思う方が、前に進めるように思えました。カメラの前に立ってくれた方の心境は知る由もないですが、その瞬間だけは、私を意識してくれていることは確かです。その矛盾の渦の中の、瞬間の静けさのようなものを感じられるのは、肖像にしかできないと思います。

倉石 伝統的には肖像には通常、モデルになる人がいて、しかも当のモデルが、画家に注文することになるから、二つの問題がそこで生じます。

まずひとつには、モデルとなる人の素顔を忠実に明らかにするということがあって、個性や特徴を描くというふうに言い換えても良いかもしれない。もうひとつは、本人以上に理想化しなければならないという課題が生じます。こうして、自然主義と理想主義という、相反する二つの要求を満たすことが、アカデミーのような制度的な場で生まれる肖像画の中では、定式化されていくことがあると思うんですね。それを打ち壊していくのが、おそらく19世紀に登場してくるリアリズムといわれるものですが、そうなると、今度は別の審級が現れてきて、素顔というものと仮面というもの、この簡単には解きほぐすことのできない二面性が現れてくる。

肖像の表現を考えるというのは難しいところがあると思うのですが、哲学者のジャン=リュック・ナンシーが『肖像の眼差し』という本の中で、肖像画を分かりやすく定義し直しています。ナンシーは「肖像はヌードを退けると言わなくてはならないだろう」と言い、その理由として「もうひとつの裸を、つまり主体が裸であることを露呈させるからである」と言っています。さらにおもしろいことに「通常のアイデンティティと肖像画は関係がない」とまで言い切るのね。つまり、身分確認とか、本人を言い表すっていうことで留まっているものは、通常の肖像画の目的ではない、と。身分確認というのはモデルの属性に関わるんだけれども、肖像というのは、ただ自分自身に関わる自己の肖像である、ということです。自己の肖像というのは、その人にとって、モデルにとって、ということだけれども、逆に見る側にとってみると、「他者としての自己の肖像」ということですね。要するに肖像画とか、肖像写真というのは、自分が何者であるかというアイデンティティや属性の提示の次元を超え出ていくときに、あるいはそれを超えた何かになるような自己をさらけ出しているときにのみに限って、はじめて語るに足る肖像画とか肖像写真が成立するわけです。そのように私は理解しました。

だから、そう考えると、さっきの制服を着た警備の人というのは、警備員としての肖像というよりは、制服を着た人間が、そのまま主体として裸であるから、あるいは主体として、自分自身としてさらけ出されているからこそ、なにか我々を感動させたり不思議な気持ちにさせたり、あるいはちょっと当惑させたり、困った気分にさせたりする。そういうことではないかと思います。特に、この警備の部屋のシリーズと東京のシリーズが両方並んでいることによって、何かが露呈しているという感じが強まるように今回思ったんですね。

このシリーズだけではなく、田代さんの写真の特徴というのは、ある特定の階層とか、ある特定の職能とかに属する人たちだけを撮影し、その属性を提示するのではないところにあると思います。本展のキュレーターである藤村里美さんが、展覧会カタログの中で興味深い指摘をしています。つまり田代さんと20世紀前半のドイツの写真家アウグスト・ザンダー(*2)と比較しています。様々な階層や職能に属する人たちをザンダーは撮影したわけですが、ザンダーは社会全体を把握しようと試みている。田代さんの場合、かなり位相は異なります。階層・職能に属する特定の人を撮るというよりは、もう少しざっくりとした「みんな」というか、「みんな」のポートレートという、ある共同性の次元を目指しているように思えます。

田代 『日本カメラ』での連載が2015年末に12回で終わり、2016年の年明けに、藤村さんから今回の展示の話をいただきました。だから私の中ではずっと、オファーがあって、それに答えているという感覚なんですね。それはもう今までにないことで。しかも、話を進めていく中で、その写真が収蔵されるとお聞きして。収蔵されることを前提に撮る機会なんて、最初で最後だなかもしれないと思いました。その中で自分に何ができるのかと考えると、客観的とはいいませんが、今までとは少し違う次元から見ている自分がいました。

今の私の状況で東京をあらわすとしたら、自分が住んでいる、暮らしているということと、その一方で、記録としての写真、その両極があって成立するんじゃないかなと思いました。収蔵されるということは、未来に使ってもらうということですよね。私は自分の写真を未来に残すとか、そういうことを今まであまり真剣に考えたことがなくて、現在の興味だけで撮っている感じがありました。メモを取らないというのと、スケジュール帳を埋めたくないっていうのが、癖というか体質だったくらいですし。

でもそのような中で、頑張って具体的に未来を想像できるのはいつごろまでかと考えると、東京の現在の大きな転換点は、4年後の2020年に開催されるオリンピックですね。たぶん街の状態も、政治を見ていても、状況が目まぐるしく変わっていかざるを得ないと予想する中で、じゃあ、東京オリンピックの次のオリンピック、要するに8年後ですね。8年後の自分や東京に住む人に見せる。それぐらいだったら想像できるかなと思って、撮影と作品のセレクトをやっていました。東京オリンピックに反対っていうことは私の意見として強くあるんですが、それはそれとして、8年後に、私の写真はどう映っているだろうという興味もあります。

倉石 アーカイヴされることをある程度想定した場合、田代さんは、特定の階層に属する人や職業の人たちに特化してポートレートを作っていくのではなくて、幅広い階層というか、バラエティを必要とすることになりますか?それとも、それは自然にそうなったということなんですか。

田代 それも両方なんですけど。撮影をする時に駅に降りて、その駅で一番多いタイプの人というか。その駅にサラリーマンの人、スーツを着た人が多かったら、とりあえずスーツを着た人にを撮ろうかなって、しばらくブラブラしてるんですけど。その短時間の調査、調査というまでもなく典型の溜め込みですが。そうやって典型を溜め込む最中でも、撮りたいと思った人には声をかけたりするんです。だから、こういう人を撮りたいというのをあらかじめ決める中で撮ってみて、そこからさらにぐちゃぐちゃにしていく感じです。

倉石 うんうん。「Bulbs」というタイトルのついたこの東京のシリーズも、ひとつ前の「はまゆりの頃に」もそうなんですが、こういう仕事がどこで終わるかということが、問題になってくると思います。前の「はまゆりの頃に」の場合は、どうして2年間でやめようと決めましたか?

田代 いや、1年でやめるのは嫌だなって思っていたのと、春にやめることだけは決めていました。あとは、本当にさっき言ったような、体力、経済力の限界という感じですね。続けることで正しさを確保するっていうのも、あんまり好きじゃないなとも思っています。

倉石 そうするとこの東京のシリーズは、オリンピック後まで届く射程を勘案して、続けているのですか。

田代 あ、いや。「オリンピックまで続けるぞ」とは言い切れなくて。だからといって、これでやめますとも言えない。全部行き当たりばったりなので、今回の展示を見ながら、どうするか考えようかと思っています。

倉石 なるほど、わかりました。最後に田代さんがザンダーについて考えたというお話をうかがいたいと思います。

ザンダーは、ワイマール共和国からナチスが台頭してくる時期に、ドイツ国民の肖像を、できるだけ多くの階層にいる人たちを、巨大な建築物のように造り上げようとしました。実際に結果としてはバベルの塔みたいな未完のプロジェクトというか、オープンエンドなひとつのプロジェクトとして放置されているという印象を持ちます。でも、あの時代のドイツのザンダーにとって、大地に根ざした農民っていう存在が、プロジェクト全体の「典型」(タイプ)のひとつであり、しかも基本ファイルとして認識されていて、そこに様々な階層と職能に属する人たちを積み上げていくという理念によって成り立っていました。恐らく21世紀の東京のような場所だと、基本ファイルとして想定できるような存在はもう想定できないから、ザンダーと同じような写真による建築は当然立ち上げられないですよね。ですから、田代さんのプロジェクトを実現していくことについて、ザンダーと比較するという観点から、どのようにお考えですか。

田代 ごめんなさい。そこまで難しくは考えてはいなくて、今回の展覧会図録に収録された藤村さんのテキストに、「はまゆりの頃に」よりも、今回撮った「Bulbs」の写真は冷徹だと書かれていて、なんで冷徹なんだろうと自分なりに考えました。

それで、人との関わり方の何が変わったかなと考えた時に、2年くらい前から福祉関係のアルバイトをするようになったことが大きいんじゃないかと思いました。その職場では、障害者と言われる人たちと、私たち健常者を、「従事者」と「援助者」というかたちで、はっきり線引きしているのです。初めは違和感があったんですけど、はっきり分けるということは、自分と相手は違う人間であることを、きちんと認識できるところがある、と気付いて。その経験の中で、違っていると認めることが、人はどれだけ大変なのかが、身にしみてわかりました。観念的に「一人一人違う」とか、言葉では言えると思うんですが、やはり他人と接する時に、目の前にいる人を自分の価値観の中で判断したくなってしまう自分もいるわけです。そっちの方が楽なんです。今の政治や社会や、自分自身を振り返っても、自分と違う意見に不寛容だなと思うんですけど、それはやはり違いに対する恐怖というか、そういうところから生まれると思っています。

要するに、人との関係を考えた時に、諦めも含めて、自分とは違うということを前提に人と接するように心掛けるようになったんです。それと私は東京にそこまで思い入れがないので、「東京なんて撮れるわけがない」という諦めも、いろんな距離感を生んでいると思っています。

倉石 東京がない感じっていうのは、もう少し説明すると?

田代 『日本カメラ』で連載をしていた時に、「目の前の人」というタイトルでやっていたんですが、「撮り下ろしで」というオファーが出ていました。その頃は東京にいることが多くて、東京で撮った写真が多く採用されたんですが、私には「東京」とか「中央」という言葉を反射的に嫌ってしまうような、田舎者的な感覚があって、実際、地方から来た人間なんですけど、「はまゆりの頃に」での自分を「東京から東北を侵略しに行った」と仮定するならば、今度は「東京を侵略してみよう」と思って撮影していたんですね。

でも、1年の連載で、その侵略の対象となるべき相手がいないということに気がついたのです。「私には、東京なんて撮れない」という諦めが出たのも、その連載で、私がいかに、「東京」とか「中央」ということに観念的に反発していたのかが、身にしみてわかりました。

先ほど「典型」のお話をしましたが、いわゆるマジョリティの人を撮ることで、東京を撮ることに少し近づけるような気がしたんです。ところが私は写真でも美術でも本でも、マイノリティに立たされた人たちのエネルギーや、叫びのほうに敏感に反応してしまいますが、普通の人間の普通の意見ほど、怖くもあり、考えるべき点もあるんじゃないかなとも思って、「普通の人」を撮ろうと思ったのだと考えています。

倉石 たぶん普通の人を普通の人が撮っても、普通でないものが写ることがあるでしょう。ザンダーの話で言うと、ザンダーはそれぞれの階層や、それぞれの職業に属している人たちの「典型」を撮ろうとしたわけですが、結局そこで写し出されているのは、典型的なるものであると同時に、さらにそれを超え出て、はみ出していく剰余の部分というのが、彼の写真を強くもし、かけがいのない、唯一無二にしている要素だと思うんですね。

だから、典型を目指しても、そうでもないものがどうしても染み出してくるみたいなことが、優れたポートレートには必ず起こる、たぶん、田代さんのポートレートに写っている典型とか「普通の人」って今おっしゃったことの中には、「普通の人」に一見見えるけれども、普通ならざる何ものかが含まれていて、むしろそれが写真のクオリティを決めているのではないか。それが田代さんのポートレートの魅力と、これまでも言われてきたものの内実のひとつだと思います。そのことと、もうひとつ大事なのはこの「Blubs」はおそらく、東京の行く末というか、東京が空洞化していくというか、その過程を捉えているのかもしれません。

1964年のオリンピックもそうですし、その前の1940年の幻のオリンピックもそうですけれども、よく知られているようにオリンピックは常に復興とセットで企画されてきたという歴史的経緯があります。それは確実に、東京と日本を変えていったわけですよね。64年のオリンピックは、45年の敗戦にも増して、復興の名の下に日本全体の自然風土を根底から破壊してしまったところがある。野外ロケをした日本映画に出てくる風景でも、東京とその近郊については特に、50年代と、60年代のオリンピック以降を比べると、明らかに異質だと分かります。東京は記憶の連続性を絶たれてきた、不幸な都市だと思う。恐らくこの先の東京も、そして日本も、次のカタストロフに向かって進んで行くプロセスの中にあるかもしれません。そうした観点からも、2020年のオリンピックを見ていく必要があるでしょうし、ポートレートもまたそうしたプロセスと無縁ではない。それが田代さんのような写真家によってどういう形で残されていくのか、注目していきたいと思います。

*2 アウグスト・ザンダー(1876-1964)…人物の肖像写真で社会を記録する方法を実践した、20世紀を代表するドイツの写真家。代表作として『Menschen des 20. Jahrhunderts(20世紀の人々)』シリーズなど。


東京都写真美術館 総合開館20周年記念 
東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13

【会場】東京都写真美術館
〒153-0062 東京都目黒区三田1-13-3
恵比寿ガーデンプレイス内
TEL 03-3280-0099

【開催期間】~2017年1月29日(日)
【休館日】毎週月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は開館し、翌平日休館)
【料金】一般 700(560)円 学生 600(480)円 中高生・65歳以上 500(400)円 

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