【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜 中野理惠 すきな映画を仕事にして 第48話、第49話

     1964年国立近代美術館前にて  ミロのビーナスを見に母と上野に行った。

開拓者(フロンティア)たちの肖像〜

中野理惠 すきな映画を仕事にして 

<前回(第46話 第47話)はこちら>

第48話 『美しい夏キリシマ』①

監督によると、プロデューサーの所在が不明なため、作品が宙ぶらりんのままだとのことだった。断っても諦めずに来社される。20代で見たその監督の作品が<邦画マイベスト10>に入っていたこともあり、根負けして、まず作品を見せていただくこと、お金の責任を取る人をはっきりさせることと、その方に会わせてほしい、ロードショー劇場として岩波ホールを決めてきてほしいなどを始め、いくつかの条件を伝えた。

条件を次々とクリアした監督

作品は素晴らしかった。監督は自ら岩波ホール総支配人の高野悦子さんと交渉して上映を受け入れていただき、ついにお金の責任者であるプロデューサーご本人が、パンドラに来訪されるところまでに漕ぎつけられたのである。確か2003年の春になっていたと思う。


『美しい夏キリシマ』

その映画とは、黒木和雄監督、仙頭武則プロデュースによる『美しい夏キリシマ』である。黒木監督については、土本典昭監督から、時々、話を聞いていただけで面識はなかったのだが、腰が低く、周囲に気配りをするお人柄で、自作を最後まで面倒をみる(責任を取る)、つまり観客に届けるまで、自らこまめに歩きまわる方だった。思い起こすと大島渚監督もそうだった。

このように書くと「当たり前だろう」と思う人もいるかもしれないが、必ずしもそうではない。中には、「どうして自分が製作資金集めに協力しなければならないのか?チケットを売る?そんなことはしません」と、平然と口にする独立プロダクションの監督と出会ったこともあるのだ。


『美しい夏キリシマ』製作チーム作成のチラシ(クリックで拡大します)

<マイベスト10>の黒木作品

<邦画マイベスト10>に入っていた映画は『竜馬暗殺』(1974年)と『祭りの準備』(1975年)であった。黒木監督の<戦争レクイエム三部作>の第一作目『TOMORROW明日』(1988年)を、公開当時に岩波ホールで見て、庶民の日常生活の中から戦争を描くつくりのうまさに、感服したことを覚えている。

記憶に間違いがなければ、黒木監督への紹介者は大阪の映画館シネ・ヌーヴォの景山理支配人である。この場を借りて、景山さんにいい作品を手掛ける機会を与えていただいたことに、深くお礼申し上げたい。

柄本佑のデビュー作

『美しい夏キリシマ』の主演は今やテレビや映画で活躍する柄本佑さん。本作がデビュー作でもあり、まだ高校生になったばかりだった。戦争という大情況の中で不安に怯える少年を見事に演じ、第77回キネマ旬報ベストテンの新人男優賞や、日本映画批評家大賞の新人賞を授与されている。

3年前、2014年5月にオーディトリウム渋谷で『美しい夏キリシマ』を上映した際、日向寺太郎監督(※)と対談をしていただき、10年ぶりくらいでお会いしたところ、すっかり成長して(当然だが)、立派な青年になっていたので驚いてしまった。

開口一番の言葉

ところで、仙頭さんが、最初に来訪された際に口にした言葉を、今でも忘れることができない。

 

※日向寺太郎(ひゅうがじ たろう) 映画監督
監督作に『誰がために』(2005年)『火垂るの墓』(2008年)『爆心 長崎の空』など。
『美しい夏キリシマ』では黒木監督の助監督を務めていた。

第49話につづく)


中野理恵 近況

GWに『365日のシンプルライフ』を沼津(静岡県東部で伊豆半島の付け根に位置する)のスキマシネマで自主上映していただいたので、帰省途中に立ち寄った。沼津は子供の頃、姉弟と親に連れられ、海沿いを走るバスに1時間近く揺られて買い物に行った懐かしい街である。『十戒』『ベン・ハー』『風と共に去りぬ』『ウエスト・サイド・ストーリー』など、映画を見るのも沼津の映画館だった。バスが漁師町を通る時、魚のにおいがバスに漂ったものだ。そして、大漁の時には、駿河湾が大漁旗をたてた漁船で埋まる。確か、中学1年生の時だったと思うのだが、大漁旗の代わりに、石油コンビナート進出反対を書いた幟や旗をたてた漁船が、駿河湾をびっしり埋めた光景を見た記憶がある。

スキマシネマ(https://www.sukima-cinema.com/)さんは、月に一回、映画を自主上映していますので、お近くの方はぜひ、お出かけください。

JR東海道本線沼津駅

スキマシネマでの上映会場の様子(主催者撮影)