【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜 中野理惠 すきな映画を仕事にして 第48話、第49話

筆者(1990年頃)

開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして

第49話 『美しい夏キリシマ』②

<前回 第48話はこちら>


「残る仕事をしたい」

一言一句正確ではないが、次のような内容であった。

「40歳になるにあたり、残る仕事をしたいと思い、『美しい夏キリシマ』を製作した」

 当時、私はすでに40歳をとうに過ぎていたが、そのように考えたことがなかったからだ。それから10年近くを経た今は、ほんの少し考えるようにはなっているとはいえ、大して変わらないとも思う。計画的人生設計などとは無縁の日々であり、穴があったら入りたいほどである。

 

監督やプロデューサーの役割

さて、来訪された仙頭さんから、完成に至るいきさつを聞いて、よく完成まで持ち込んだものだ、と感心した。一本の映画が完成するには、多くの出来事の起きるのがノーマルな状態だと思う。資金問題を始めとして原因はさまざまではあるが、頓挫する作品は決して少なくない。また、完成後、上映されずに埋もれていく作品もある。特に文化庁が映画製作助成金制度を始めた当初は<お蔵映画>(※)の増加は顕著であった。

 『美しい夏キリシマ』にも難事はあったようだが、見事に完成まで漕ぎつけた。監督とプロデューサーが、自作に対して熱意と誠意をもって責任を果たしたからだと思った。

『美しい夏 キリシマ』のポスター

配給は手間がかかる

また、すんなりと丸投げのような形で配給を任せてくれたことについて仙頭さんに問うと、自分たちで製作から配給まで担った経験があるそうで、「配給は手間がかかる」とのことだった。

製作スタッフに公開までパンドラに席を置いてもらう

仙頭さんに、宮崎での製作現場に参加していたスタッフに、公開までの期間、パンドラに席を置き仕事をしてほしい、と依頼したところ、曽根晴子さんという20歳代の女性を選んでくれた。曽根さんは、宮崎でのロケチームに参加していた製作デスク担当のスタッフであり、当時はまだ一般的ではなかったコンピュータの操作に詳しい、優秀な女性だったので、業務を進めるうえで、随分助けられた。

その他、配給を受託するにあたり、仙頭さんにいくつかの希望を伝えたところ、何も言わずに、すべて、クリアにしていただいた。

制作関係者からの大きな協力

体制が整うと、村山さん(※第20話参照)がスタッフと共に、予告編やチラシを始め、宣材作りに取り掛かる一方で、黒木監督は曽根さんや宮重(※第10話参照)と一緒に、ご自身に縁のある集まりや、組織をはじめ、関係各所に、数カ月間、宣伝に回ってくださった。時によると同じ日に二か所以上に行くこともあった。会合の始まる前に監督が参加者に向かい、ぜひ、上映成功に協力してほしい、と頭を下げてお願いし、こちらのスタッフは監督の傍らで、ポスターを貼ったり持ったりし、監督挨拶後はチラシを配り、チケットを販売する、という段取りだった、と今でも宮重が鮮明に覚えていて話す。


チラシ(クリックで拡大します) 

高校生に見てほしかった

ところで、劇場公開が決まった段階で、監督に一件だけ内容について要求したことがあるのを思い出した。石田えりさんと香川照之さんのセックスシーンを切ってほしい、とお願いしたのだった。というのは内容的に、高校生にぜひ、見てほしいと思ったからである。監督は言下に断ってきた。

高野悦子さんから

さて、封切り日の前日に、高野悦子さんが会いたい、と言ってきた。岩波ホールの会議室に通され、二人きりになると、両方の手でテーブルの上をなでるようにしながら、

「ウチは共産党の人たちや創価学会やキリスト教の信者の人たちも、たくさん来てくださるんですよ」とゆっくり話し始めた。すると、続いて口にされたのは、それまでの高野さんのイメージからは想像もできない言葉だったのである。

 ※お蔵映画 オクラエイガ 
公開されない映画のこと。蔵とは倉庫を意味し、公開されないとフィルムが倉庫にしまったままの状態になることから、このような呼称が生まれたのだと思う。

(つづく。次回は6/15に掲載します)



中野理恵 近況

GW、中央区はお祭りシーズンであり、各所に、鉄砲洲稲荷の御祭礼の幟がたなびいている。人々が法被姿で歩き、最近では新富こども歌舞伎も行われ、町内会は賑わう。

鉄砲洲稲荷の御祭礼の幟