【連載】ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー 第25回 『日本仁義全集』


渡世の仁義を丸々書き起こすと(2)

谷村「客人、お引きください」
津村「どう致しまして、上さんからお引き下さい」
谷村「では、御一緒に願います」
津村「お言葉に従います」

津村「つきましては、ご当家の上さんに初のお目見得叶いまして、重ねての御依頼甚だ失礼さんでござんすが、手前、昨日は『矢部常』の親分さんの厚きお取り持ちに預かりまだ日も高うござんしたが、たってのお言葉に甘んじまして、一宿一飯の御高声に預かり、本朝おいとまの節はさきざきの進物、お小遣いまで頂戴致しました。それよりご順達を持ちまして、御当家の親分さんに伺いました次第でござんす。あちらへの御通行のみぎりは甚だ恐れ入りますが、よろしくご伝言のほどお頼ん申します」
谷村「御念の入った申し様、面談の節は、左様お伝え申します」
津村「懐中、御免を蒙ります」

津村「何かしたためて参るべきでござんすが、御視見(ごしけん)通りのしがない者、旅中にございます。御入用もございますまいが、せめてお姐さんのお手拭きなりと、お納め願いとうございます」
谷村「左様でござんすか、結構な御進物有難うござんす。遠慮なく頂戴仕ります。客人、さあ、お掛けなさいまし」
津村「有難う存じます。御言葉に従います」

これで6分弱。お互い自分を下に下にと譲り合いながら、語呂が良くてキレが良くて、言葉が綺麗で。ふう……と溜息が出る。口伝の大衆文化の、ひとつの完成形ではないか。

といって本盤、街録ドキュメントではないのだ。
これに限らずどの仁義もスタジオで録音され、BGMが重ねられていて、案外と人工的な作り。それにクレジットは全く無くて、仁義を切っているのが本職なのか俳優なのか、聴くだけでは判別し切れない。なにしろジャケットの内側には、
「このレコードに登場する、団体名、人名はすべてフィクションであり、仮名である」
と、わざわざ注意が書かれている。ここは少し、考えさせられた。

考えた結果。おそらく、演者は両方が混ざっている。親子盃の口上人のような格上の存在だと、声にどっしり貫禄がある分、それこそフィクションを感じる。個々の仁義の場合、ピリッとした口吻の人もいれば、訥々として、かえって実体味を醸し出す人もいてまちまち。
本職をスタジオに呼んで、修業で身に沁みついた仁義をマイクに向かって実演してもらう、その手間と配慮―気を使わずに済むわけが無いヨネ―を考えた場合。
〈若い者の仁義はなるたけ本職に頼み、親分クラスはさすがに俳優が演る〉
となったと想像するのが最も腑に落ちる。本物のやくざ屋さんに出向いてもらって録音したのにそれは使わず、その口上を俳優が覚え、様になるまで指導してもらう……なんて作業はお互いに遠回りだろう。映画じゃないので見た目は関係ないし。

ただ、そうだとしても、今まで覚えてきた口上そのままでは差し障りがある。本職も架空の団体名、名前を覚え、改めて演じ直す必要が出てくる。つまり、ナマを重んじた録音だからこそスタジオで収録し、クレジットも伏せて「すべてフィクション」にする、というスレスレの方法論で制作されている。聴くメンタリーとしては相当に面白い。


発売当時は大人気で、しかしもう過去のものだった仁義

では、どうして日本コロムビアのようなメジャーが、多少のリスクを背負ってまで本盤を作ったのか。当時、東映を筆頭にしてやくざ映画が大人気だったから、以上の理由は無いだろう。
封切館で、二番館で、オールナイトで、ストイックな侠客の仁義に惚れ惚れし、自分もなりきってやってみたいとなれば、手近にお手本が欲しくなる。市販のビデオが普及するなんて先の先の話。実用としては持ってこいのレコードだったはずだ。

一方で当時の、大衆芸能や地方の祭礼・風物を積極的に録音するレコード業界全体の機運とも、需要は重なっていたはずだ。失われつつある風俗、民衆芸術として。


僕は若い頃(1980年代後半から)、この手の映画を専門的に上映する三本立ての名画座でアルバイトしていた。新宿昭和館と言えば、覚えている方もいるかな。主な客は日雇いにあぶれた労務者や無職者で、たまに本職が来る、ちょっとばかりガラの悪かったところ。
「アルバイト募集」の貼り紙を見つけただけの理由で、別にやくざ映画なんかに興味は無かったのだが、モギリに座る合間に眺める、を繰り返すうちに、それなりに身体の奥に入った。しまいには、

「手前、北海道は赤鬼が地獄谷で笑う温泉町、登別の生まれでござんす」

から始まるオリジナル口上をこさえ、部屋で練習したりして(だから本盤の用途は、すっごく分かる)。でも、披露する機会は一度も無かった。後で『映画芸術』424号(2008)に、思い出ついでにチョロッと書かせてもらった程度。
大体、間近に接した何人かの本職も、先輩に耳打ちされるまで、まるでカタギと見分けがつかなかった。たまに「飯食ってるか」と千円札を握らせてくれるヒョロッと痩せた常連客のおじさんが、近くの事務所のそれなりの顔だったと知るのも、後になってだった。多分マンション経営をカミさん任せにしているヒマな人、位に思っていた。自慢話できるような体験は、あいにく一つも無い。


そう、仁義を切るようなやくざの像は、遥か昔の話だった。本盤が出た1972年当時でも、すでに。
これは、高倉健主演の二大人気シリーズを思い起こせば、すぐに諒解されることだ。
『日本侠客伝』シリーズは毎回、明治後期から大正期が舞台。『昭和残侠伝』シリーズは主に昭和初期が舞台。どちらも、軍国化の時勢に上手く乗った新興やくざが、代々続いた一家の縄張りを荒らし、ついに堪忍袋の緒が切れたリーダー格/若頭(健さん)が殴り込みをかけるのがパターン。実質は半・時代劇であり、そこで尊ばれる侠気の精神は、大局的には時代に置いて行かれるほうの倫理だった。だから、タイトルが『残侠』。

さあ、だんだんと仁義はどこから生まれ、消えて行ったのか確認していきますよ。ちょっと大変でしょうが、出来ればこのままお付き合いください。


▼Page3 やくざ者とかつて呼ばれたのは、博徒・テキヤ・愚連隊  につづく