【Review】南北分断の下に暮らす女性の「生き様」とらえた『マダム・ベー –ある脱北ブローカーの告白-』 (ユン・ジェホ監督)text 小林蓮実

来日したユン・ジェホ監督(6月7日、ユーロライブにて)

「脱北」した「ブローカー」。それだけで、禍々しさを感じる人もいるかもしれない。わたしは、『neoneo』2016 WINTER号(No. 08)総特集「アジアのドキュメンタリー」に、「朝鮮を外から描くドキュメンタリー」は「妄念」を抱え、「類型に堕した作品が多い」と書いた。さらに、訪朝経験をもとに、このサイトでも繰り返し、「真実」を伝えたいと考え、執筆してきたのだ。そのため、本作もタイトルをかんがみれば過剰な朝鮮批判映画の可能性はあるが、監督が韓国人であることに期待と関心を抱いていた。

「背景」に翻弄されつつたくましく生きる女性描く「人間ドラマ」

大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国は休戦状態に据え置かれているため、韓国から北朝鮮には入国できない。日本もご存じのとおり朝鮮との国交正常化にはいたらず、関係も悪化している。ただし、日本人の誰もが入国できないわけではないし、在日コリアンの方も訪朝が可能だったりするのだ。わたしは南北分断の現状を「超えよう」とする韓国人監督にインタビューしたことがあり、朝鮮も撮影した在日コリアンの監督と話したこともある。一般試写後、ユン・ジェホ監督に対する質疑応答でも朝鮮に関する質問が出て、監督は「主人公マダム・ベーが中国在住時から撮り始めた」と話していたが、彼はそもそも訪朝できない。

また、会場からは「想像と異なっていたし、不十分。説明不足」という意見もあった。たしかに上映時間72分で、説明的でないこともあってわかりづらい個所はあっただろう。だが、本作は、そもそも多くの人やわたしが想像していたような「朝鮮の実態を描く映画」というより、「マダム・ベーという1人の女性が『背景』に翻弄されつつも、母として女としてたくましく生きる姿が描かれた『人間ドラマ』」なのだと、わたしは観終わった現在、考えている。まぁ、この「背景」が重要であり、知人でも「背景」が特殊だったり複雑だったりすると、一般には理解されにくそうな状況に生きていたりするものではあり、そこに興味深いポイントがあるわけだが。とにかく感情の横溢は愛するが「大仰で安易で陶酔的なセンチメンタリズムや自己憐憫は唾棄すべし」と考えているわたしは、マダム・ベーを好ましく感じた。

『マダム・ぺー』より ©33BLOCKS

朝鮮の田舎のアパートで暮らしていた(結婚前は鉄工所で働いていたこともあるそうだ)マダム・ベーは2000年代、家族を養うため、仕事を求めて中国へと渡った。ところが監督いわく「彼女が住んでいたよりもさらに貧しい中国の農村」に嫁として売り飛ばされる。プレスシートによれば脱北女性は、20〜24歳で7,000元(11万円超)、25〜30歳が5,000元(8万円超)、30歳以上でも3,000元(5万円弱)が相場のようだ。取材・撮影対象を探す監督に対し「私を記録しなさい」といったマダム・ベーは、中国農村の日常生活でも、牧歌的ではあるが混沌の中でこそ輝くエネルギーにあふれる。そして、中国人の夫にいいたいことをいい放って暮らしながら、朝鮮にいる夫と2人の子どもに仕送りを届け続けるのだ。そのため彼女は、「脱北ブローカー」として、あらゆることを仕事にしている。この生々しさは、1つの見どころだろう。

彼女はその後、2人の息子と夫を脱北させて韓国で生活をするように促し、息子たちのために自身も韓国への移住を決意する。監督は、「中国からタイに抜ける旅が最も(危険性としても体力的にも?)大変だった」と語っていた。彼女は無事、韓国にたどり着くが、中国の暮らしにみられたようなエネルギーはかすんでいくかにみえる。朝鮮人の夫とはほとんど口をきかず、夫や息子たちは朝鮮にいても韓国でも権力に監視され続けるのだ(警察が一緒に酒を飲んだりする朝鮮内の監視のほうが、ゆるいものだったかもしれないが)。脱北者は韓国政府や各国の団体から支援を受けるが、資料によれば「5人に1人が支援金を狙う詐欺の被害に遭っている」「定職に就ける者の割合も5人に1人」「子どもの多数が退学」「高校への進学率は10%」という。

自らの運命を嘆きつつも善悪とは無関係に自分と家族たちの命を守り抜くマダム・ベーの姿に、圧倒される。加えて、ラストシーンにふと、愛とは何かを考えさせられたりもする。現在、彼女は中国の家族とも朝鮮の家族とも離れ、ソウル郊外のバーで1人、ひっそりと生活しているそうだ。ただし、監督は、「韓国社会では、脱北者はあまりよくみられず、偏見を抱かれ、政治的に利用されてもきた」「メディアの報道は、政権によってかなり変わる」とも口にした。

「分断以降世代の混乱や苦悩を、映画を通して投げかける」

わたしが監督のティーチイン(トークショー)後にもっとも疑問に感じていたのは「監督の政治的スタンス」。ユン・ジェホ監督作をほかに観ていないが、作中では監督の説明によれば「右寄りの組織の大会でおこなわれた12歳少女のスピーチ」として共産主義と核の脅威についての批判メッセージが流れる。いっぽう、「文化によって社会を変えたい」と監督はいうが、詳細は語られなかった。関係者の方によれば、「監督は過去の作品においても政治的な立場を強調していない」という。そしてプレスシートで監督は、「脱北者より分断に関心がある」「朝鮮族のルーツが気になり、歴史を学んだ」「分断という結果論的現象によって我々の世代—分断以降に生まれた世代—が経験する混乱もあると思う。そんな苦悩や質問を、映画を通して投げかけているつもりだ」と説明している。つまり、ユン・ジェホ監督自身、変革の意味や方法を自らにも問いかけつつ、模索しているところなのだろう。

世界や社会というものは、単純なものじゃない。だけど、誰もが知りたいのだ。自分や人がどこからきてどこへ行くのか。どこへ行ける可能性があるのか。ただし最近、自らの政治・思想的な面の強さを自覚させられることも多いわたしは、ここでレビューを終わらせることは、今回もしない。

『マダム・ぺー』より ©33BLOCKS

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