【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第8回 ポルトガルのフィルムアーカイヴ text 福間恵子

リスボンのフィルムアーカイブ 階段

福間恵子の「ポルトガル、食と映画の旅」

第8回 ポルトガルのフィルムアーカイヴ(第7回に続く)

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2016年12月29日、わたしと夫が観たいポルトガル映画を4本にしぼって、リスボンシネマテカの館長であるジョゼ・マヌエル・コスタにメールを送った(これは、夫が英文で書いてくれた)。

今後日本で観ることのできる可能性がとても低い作品、といってもそれは大量にある。何を選ぶか、悩みに悩んだ。しかし、まずは『トラス・オス・モンテス』の共同監督アントニオ・レイスとマルガリーダ・コルデイロの、その後の2本だった。そしてやはりポルトガル映画祭で上映された『トランス』(『Transe』2006)の監督テレーザ・ヴィラヴェルデの2本。この女性監督の作品は『Os Mutantes』(「ミュータント」1998)をDVDで観てただならぬ才能を感じていたのち、『トランス』を観て圧倒されたのだった。

以下の4本をわたしたちはリクエストした。

●アントニオ・レイス&マルガリーダ・コルデイロ共同監督作品
『Ana』(「アナ」1985)
『Rosa de Areia』(「砂漠の薔薇」1989)

●テレーザ・ヴィラヴェルデ監督作品
『Três Irmãos』(「三兄妹」1994)
『Cisne』(「白鳥」2011)

どこで、いつ、どんなふうに、これらの映画を観せてもらえるのか想像もつかなかったが、わたしたちがリスボンを発つのは1月6日早朝だと館長に伝えてあった。

翌30日午後一番に、フィルムアーカイヴの担当者からメールが届いた。おどろくべきスピードである。1月2日にテレーザ・ヴィラヴェルデ2本、4日にアントニオ・レイス&マルガリーダ・コルデイロ2本。上映するのはシネマテカではなく、リスボンから車で30〜40分ほどの田舎にあるフィルムアーカイヴ。これでどうだろうかと。願ってもないスケジュールだった。やりとりが矢つぎ早に続いて、そのアーカイヴに行くには独自の交通方法を使うこと、そのためにはカンポ・グランデの駅そばの場所に午前9時に行くこと、田舎なので近くにカフェなどがないから昼食の用意をしてくるように、ということだった。この丁寧な案内をくれたのはルイス・ガメイロさん。わたしたちふたりだけのために、設定された上映スケジュールだった。すべて了解である! こんな幸運がどこにあるというのだろう。興奮して、また日本のNさんにこの感激を伝えた。

 シネマテカは年内は30日で終了するので、館長にじかにお礼を言いたくて夕方になってから行った。ブックショップでジョアン・セーザル・モンテイロのりっぱな本を見つけていて、やはり買っておこうという気持ちもあったのだ。ブックショップの彼に、あらためて先日のペドロ・コスタ『ホースマネー』招待券のお礼を言って、ささやかな日本のお土産をプレゼントした。彼の名前はジョアン・コインブラ・オリヴェイラ。ポルトガルには、たくさんのジョゼくんやジョアンくんやオリヴェイラさんがいる。

ジョアンにDVDについて尋ねている若い男性が「マサヒロ・コバヤシ」と言っているのが聞こえて、びっくりした。わたしたちは彼に話しかけた。

「マサヒロ・コバヤシとは親しいよ」と言ったら、彼もまたおどろいて「『BOOTLEG』が大好きだ。彼の作品をもっと観たい!」と興奮して言った。彼は短篇作品をつくっているとのことで、マサヒロ・コバヤシのような作品を撮りたいと話した。

小林政広監督のDVDは残念ながらブックショップにはなかったが、彼とわたしたちはこの奇遇を喜んで別れた。それにしても、さすが「世界のコバヤシ」である。

ロビーに降りたところで、運よく館長と会えた。心からのお礼の気持ちを伝えた。ジョゼ館長は「ポルトガル映画に興味を持ってくれて、とてもうれしい」と言った。こんな機会を与えてもらえて、信じられないほど喜んでいるのはこちらの方だと話した。

31日、大晦日。ポルトガルでは、新年よりもクリスマスなので、店や会社などは31日と1日を休むだけで、カフェやレストランなどは31日夕方まで開けているところもあった。1日はスーパーもカフェもすべてお休みなので、31日の午前中に食料を確保。そして、アーカイヴに行くための集合場所カンポ・グランデ駅の下調べをした。わたしたちが31日までステイしたアパートから地下鉄1本で行けるカンポ・グランデ駅は、リスボン旧市街の中心からほぼ真北の郊外にある。大きなサッカー場に隣接し、近郊と中距離のバスターミナルでもある。駅もバスターミナルも広い。さてと、ルイスさんの説明どおりに歩いて、ほぼこのあたりだろうと見当をつけた。バスの停留所ではなく、乗用車が乗り入れられるところ、つまりはルイスさんか誰かが、ピックアップしてくれるのだろうと予想した。

 2017年1月1日。きのうまでずっと晴天続きだったリスボンは、あたらしい年を迎えて雲が多い一日となった。元旦早々に、アパートからすぐ近くのホテルに引っ越した。以前に泊まって気に入っていたところだ。もちろんキッチンはないけれど、部屋は広くてバスには浴槽があり、最上階がとれたので見晴らしのいい広いテラスが付いている。ツインのベッドもそれぞれ広くて、6泊280ユーロ。リスボンの中心地にも、こんな格安のいいホテルはある。

1月2日。7時前から開けているカフェで朝食をとり、お昼用のサンドイッチを買った。カンポ・グランデ駅に8時30分すぎには着いた。約束の場所あたりに行くが、どういう車を探せばいいのか見当がつかずうろうろしていると、マイクロバスから出てきて手をふる人がいた。それがルイスさんだった。挨拶してバスに乗りこむ。バスには行き先も何も記されていない。9時までにはほぼ満席になった。男性・女性ほぼ同じぐらいの人数計15人ほどを乗せて、バスは出発した。これは路線バスなどではなく、アーカイヴで働く人たちの通勤バスだったのだ。

北へ向かう高速道路をしばらく走ってから、田舎道を西に入っていった。初めての景色ばかりで、どこをどう走っているのかわからなかったが、野菜畑やオリーブの木や小さな工場のようなものが点在していた。「Loures」という地名の標識が確認できた。9時30分、マイクロバスは「A.N.I.M.」と書かれた大きな表札のあるりっぱな門を通って、まるで山の中に入っていくような坂道を登り始めた。ほとんど大荘園に入っていくという感じである。まもなく建物が見えてきて、その主たる建物とおぼしき玄関の前にバスは止まり、全員が降りた。玄関にはかわいい犬が尾をふりながら到着を待ちかまえていて、皆は犬に挨拶しながら中に入っていく。迷宮の館に連れてこられたような顔をしているわたしたちを、ルイスさんは笑顔で中に招き入れてくれた。 

玄関ドアをあけて、入館者記録にサインして、大理石の階段を上がるとおもわず声が出た。古い映写機の数々、廊下にずらりと貼られたポルトガル映画の歴史と作品のポスター。ここがA.N.I.M. Arquivo Nacional das Imagens em Movimento(直訳すれば「国立動画アーカイヴ」)であった。ポルトガルが保有する動画フィルムの、収集・保存・復元などを行なっているところである。日本のフィルムセンターの相模原分室に匹敵するものだと思う。

アーカイヴ2階にある古い映写機

ここは20年ぐらい前に建てられて、シネマテカにあったものがごっそりこちらにきて機能し始めたとのこと。職員は常時30人ほど。

午前に1本、昼食のあと午後に1本上映してくれて、17時30分にまたバスでカンポ・グランデまで戻る。これが今日のわたしたちのスケジュールだと、ルイスさんが説明してくれた。上映準備ができたらまたくるからね、とルイスさんは自分の仕事に向かった。

待つ間、1階から吹き抜けになったコの字廊下を見てまわった。ここに展示されたものをじっくり見れば、ポルトガル映画史がわかる。この2階は、別な棟につながっている。廊下伝いに部屋がいくつもあり、そこで仕事が行なわれているようで、人が出入りしている。

10時すぎ、ルイスさんが映写室に案内してくれた。そこへの廊下にも数えきれないほどの映写機が置いてあり、わたしたちは感嘆しきり。映写室前で、映写技師の人が待っていた。挨拶を交わして中に入ると、それはそれはりっぱなところだった。革張りの椅子、スクリーンへのほどよい傾斜、大きいスクリーン、キャパは100ぐらいだろうか。東京の試写室の豪華版という感じ。そんなりっぱなところで、わたしたち二人だけのための上映が始まった。

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