【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第8回 ポルトガルのフィルムアーカイヴ text 福間恵子

テレーザ・ヴィラヴェルデ監督 1994年の作品『Três Irmãos』(「三兄妹」)。

リスボンに生きる貧しい複雑な家族。上の兄ジョアンと、弟のマリオ(たぶん彼だけが父が違う)と、年の離れた天使のような妹マリア、三兄妹の父と母。真面目に働いて恋人との幸せをつかもうとする兄のジョアン。まともに働かずいざこざばかり起こしている下の兄のマリオ。そのマリオに階段から落とされて心身が不自由になり車椅子生活をしている父。夫の世話をマリアに任せ、家を出ていく母。ふたりの兄を慕い、母を愛し、父の面倒もみて、アルバイトをして家計を助けながら高校に通うマリア。マリアはなんとか家族の心をつなぎとめようとする。街を歩くマリアに、子どものころの兄との会話が、子どもの声で聞こえてくる。それは詩になり、マリアの夢となる。

しかし、家族も夫婦も崩壊してゆく。母は自殺し、マリアは自分を守るために男を殺す。兄を求め、街をさまよい、ついには正気を失って、屋上から飛び降りて死んでゆく。それがすべて悪夢であったかのように、子どものころの声が聞こえてくる。


『Três Irmãos』(94)のポスター

なによりも、マリアを演じたマリア・デ・メデイロスがすばらしかった。この世の罪と罰も善と悪も清らかさも汚れも背負う「天使」として、輝きを放った。暗く悲惨な物語であるにもかかわらず、そこにとどまらない何かを目ざめさせる力を、マリア・デ・メデイロスの目は語っている。   

テレーザ・ヴィラヴェルデは、監督第2作ですでに、現実感のある風景と幻想性を独特に結びつける力を発揮している。それは『Os Mutantes』 や『トランス』へとひきつがれるものだ。画の使い方と、つなぎの飛躍に、わたしが映画に求めるものが凝縮している。

マリア・デ・メデイロスは『Três Irmãos』で、ヴェネツイア映画祭最優秀女優賞を受賞した。1965年生まれのマリアは、15歳のときモンテイロの『Silvestre』(「森」1981)で主演デビュー。広いおでこと大きな目が特徴の個性的な女優で、オリヴェイラ作品含めたポルトガル映画のみならずフランスやスペインでも活躍し、監督作品も数本ある。『Três Irmãos』のとき28歳。彼女の役者人生の中でいちばん輝いているころかと思う。人も殺す17歳の「天使」を、28歳で演じられる女優はそうそういないだろう。


お昼の休憩を2時間以上はさんで、午後2時半から、テレーザ・ヴィラヴェルデ監督の2011年の作品『Cisne』(『Swan』「白鳥」)を上映してもらった。『Três Irmãos』は英語字幕だったが、これはイタリア語字幕。もう字幕なんかどうでもいいという気持ちで、スクリーンに向き合った。

両手で鳥(鳩?)を持つ少年の手と鳥のアップから始まる。少年が鳥を離すと同時に何発もの銃声がして、撃ち落とされる鳥、それを探す少年たちが見えてくる。そこは荒れた林のようで、草むらを少年たちが走っている。そこから一気にコンサート会場に場面は移り、女性歌手のアンコールのシーンである。どうやらこれが、世界的に有名な女性歌手ヴェラの引退コンサートだということがわかってくる。満場の拍手に笑顔で退場したヴェラを、会場の裏口で若い男パブロが待っている。パブロはヴェラの熱烈なファンである。ヴェラはパブロとは初対面のようだが、彼の車に乗りこむ。

こうして始まる「白鳥」というタイトルのこの作品は、物語が複雑でセリフが極度に少なく、とても難しかったが、製作・脚本・監督・声の出演までやったテレーザ・ヴィラヴェルデが、やりたいことをとことんやったという印象の意欲作だった。現実と幻想を入り組ませながら、大胆で自由でラフな撮り方と、ぎりぎりの省略で、あたらしい映画に挑んでいる。

主な登場人物は4人。ヴェラとパブロ、パブロを慕う少年、ヴェラが愛するサム。

ヴェラは、求めても受け入れられないサムへの愛の苦しみを、パブロとの時間が癒してくれるとも感じる。サムは、人家がほとんどないような田舎に建てられたヴェラの別荘で、世捨て人のように孤独に暮らしている。小説家なのか、アーティストなのかわからない。彼は長く苦悩のなかにあり、ヴェラと一緒に暮らすことができない。が、あるとき食料の買い出しに行った店の黒人の女性との出会いを通して、サムの何かが変化してゆく。

パブロを慕う孤児の少年は、伝書鳩を飼う男のところで過酷に働かされているが、偶発的な事故で男を殺してしまう。男の血が、少年の部屋の壁に描かれた白鳥の羽を赤く染める。それを見たヴェラは赤い涙を流す。少年を救いたいヴェラの気持ちは、自身をも救う兆しとなっていく。悪い予感がしたヴェラは、別荘に駆けつける。サムは自分を傷つけて意識を失っていた。

『Cisne』のベアトリス・バタルダ

テレーザ監督は、ヴェラを軸とした人間関係のつくり方を、遠いところから引きよせるようにつなげていく。4人の過去も関係も描かず、映画のなかのいまから動いていく深層心理を表現しようとしている。それを引っぱるのは、ヴェラのおさえた表情だ。うつむいたヴェラの顔のアップが多用されている。

ヴェラを演じたのはベアトリス・バタルダ。くどくない顔立ちと感情を押し殺したようなうつろな表情が、この主人公にぴったりだった。1974年生まれのこの女優は、1988年にデビューしてたくさんのポルトガル映画に主演しているが、わたしはこの作品で初めて出会った。と思ったら、なんとオリヴェイラ監督の『階段通りの人々』(94)に出ていた。ルイス・ミゲル・シントラ演じる盲人の娘役だった(ベアトリス20歳のとき)。さらには、この前年の『アブラハム渓谷』の、レオノール・シルヴェイラ演じるエマの少女時代を演じた女優の声の吹き替えをやっていた! もうひとつ、この人はレオノールの従姉妹であった。そう言われると、どこか似ている気がする。 

『Cisne』が2011年のヴェネツィア映画祭に出品されたときの、テレーザ監督へのインタビュー記事をネットで読んだ。

「この作品はポルトガルだけの資金で、超低予算だった。何にお金を使い、何を削るかを考えぬいた。ホンは何回書き直したかわからない。だから自分で製作もした。それが可能だったのは、ポルトガルには優秀なスタッフがそろっていて、とても協力的だからだ。撮影中、わたしは監督に徹することができた。ほんとうにすばらしい体験だった」という。そして、ここまでの作品のほとんどが女性を中心に置いているのはなぜかの質問に対して、こう答えている。

「いつか男性を中心に書く、ということはたぶんないでしょう。自分は、男性よりも女性をはるかによく理解できると思っている。でも、それがわたしの欠陥でもある」。

今年ベルリン映画祭に招待された新作『Colo』(「首(頸)」)でも、ベアトリス・バタルダを起用している。

テレーザ監督の1991年からの9本の作品のうち、ドキュメンタリーを除く劇映画のほとんどは、女性が主人公である。わたしが観た4本の3人の女優、『Três Irmãos』のマリア・デ・メデイロス、『Os Mutantes』と『トランス』のアナ・モレイラ、そして『Cisne』のベアトリス・バタルダ。それぞれに個性のまったく違う女優を起用して、自分のなかにある女性を探りだそうとしている。フィルモグラフィーを見ると、『Os Mutantes』の次の作品『Água e Sal』(「水と塩」2001)では、マリア・デ・メデイロスとアナ・モレイラの二人が出演していた。ぜひとも観たい。

『トランス』に象徴されるように、テレーザ・ヴィラヴェルデ監督は、ポルトガルから「国境のない」もうひとつのヨーロッパへと女性を連れ出して、女性がこの世界と対峙するさまざまな局面を描こうとしている。腰の座った大きい監督だ。世界でいま、一番注目されるべき女性監督のひとりだと思う。この確信は、ペドロ・コスタの作品を初めて観たときに感じたものととても似ている。

映写をしてくれたルイスさん(彼もまたルイスさん!)に「最高だった!」と握手してお礼を伝えて、今日のわたしたちのための上映は終了した。

17時20分にANIMの通勤バスはやってきて、仕事を終えた職員たちが朝と同様に乗り込んだ。あきらかに東洋人の若い女性がひとりいて、仲間と英語で話していた。目が合うとお互い笑顔で返したが、声をかけそびれた。今日は雨が降ったりやんだりのあいにくの天気だったので、ANIMの建物の外を歩けなかったのが残念だったが、次の4日に期待した。

カンポ・グランデ駅に着いたら、焼き栗屋が2軒ほど出ていて、その煙ともやがまじりあって、幻想のバスターミナルになっていた。

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