代島治彦監督
現場は持久戦だった
——実際の撮影現場では、どのような事を心掛けていましたか。
代島 支援の人たちの生きざまや、本気で三里塚と関わった人たちが、その後どういう人生を送ったのかを知りたいと思った時に、その人が抱えるいちばんの哀しみを聞きたいと思いました。どれだけの哀しみを抱え込みながら、それを自分の生きる力に反転しているか。管制塔を占拠してヤッタ!と言っても、その後はどこかで哀しみを抱えてしまうわけですからね。
でもどんな表情をするかは、実際にカメラを回さないと分からない。そういう意味では、撮影は加藤さんに頼りきりでした。「回すよ」と言わずとも話し始めて、それを追っかけるように加藤さんがキャメラを回し始めて僕が2時間も3時間も延々と話をして、「終わり」とも言わず、その間加藤さんがずっとキャメラを回し続ける感じでした。僕のクセで長く聞くところもあるから、加藤さんには大変な持久戦を強いたんだけれども。
例えば加瀬勉さんが、糞まみれになった母親の身体を介護する、みたいな話は、もう闘争の話からは離れていますよね。軍国少年だった加瀬さんが81歳になって、お父さんもお母さんも死んで今は一人であの家に住んでいるんだけど、そこに加瀬さんの生きざまが見えてくる。そういう話にたどり着くまで、5、6時間はかかっているんです。
加藤 撮影時間の長さは、あまり気にならなかったですね。 現場に行って実際に話を聞いて、初めて分かることは多いですからね。撮れたものから考える姿勢がないと映画はできないから、その辺の曖昧さに耐えられる人、という意味で、代島さんであれば1本の映画にまとめてくれるだろう、と思っていました。
代島 加藤さんは、僕の曖昧さによく耐えて下さっていたと思います。僕も「ここ撮って」とか言わないから。加藤さんは現在の人工的な空港周辺の風景を拾ったり、柿の木の蜜を吸う畑の虫を食べる野鳥など生き物にキャメラを向けたり、映画の調味料となる映像をよく撮っていましたね。
加藤孝信キャメラマン
——三里塚という土地の特殊な「空気感」が、加藤さんのキャメラワークでふんだんに取り入れられているように思いました。例えば辺田部落が1997年に移転したことなどは、一般には知られていない事実ですが、映った風景を観ていると、そうした事実や時の経過がうっすら感じられるのです。土地の「空気感」を取り入れる為に、撮影でなにか心掛けたことはありますか。
代島 ひとつだけ、僕の決めごとで加藤さんを悩ませたのは、登場する人々を現地に連れていくことです。必ず闘争をした現場に連れていって話を聞く。当時は団結小屋が建っていた空間が、今は空港公団の用地になって、草ぼうぼうの荒れ地になっている。その荒れ地の上空を飛行機が飛んでいく。そういう過去と現在が交錯する場所で話を聞きたいと思っていました。中川さんだけは自分のマンションで旗を広げて、ヘルメットを被って聞くこともありましたが、あとは全部現地。そうしないと、闘争が行われていた時代と現在とのギャップが出てこないというか。
加藤 登場人物を現場に連れていったことが何となくでも観客に伝わらないと、撮る側としては失敗だから、かつての現場であることを理解できる画を撮ろうと意識していました。もちろん飛行機が飛んできたりすると、それだけで空港の近くだと分かりますが、辺田部落の跡のように、家の痕跡もなにも無くなって、草っ原の中に時々機動隊の車がやってくるような場所で「昔、このへんに家があって…」と話をされる方もいましたから、そういう話題にキャメラが反応できるように心掛けてはいましたけどね。
——飛行機が飛んでくる時の間が絶妙でした。その下で今も暮らしていることの意味や、そうなってしまった意味を考えさせる時間になった、というか。
代島 飛行機が近づいてきて去って行く轟音というのは、不思議と時間を感じさせますよね。そこで話が中断されるんですが、深読みをすれば、飛行機が語ろうとしている言葉を中断させているのではないか、と思ったりして。
加藤 そこで話の流れは断ち切られるわけですが、逆に撮影期間の後半では、むしろ断ち切られるのが面白いと開き直って撮っていましたけどね。
代島 加藤さんは心配していたけどね。編集、大丈夫ですか? って。
『三里塚のイカロス』より
——加藤さんは、前作のキャメラマン・大津幸四郎さんに師事された時期もありますが、監督から見たおふたりの資質の違い、みたいなものはありますか。
代島 加藤さんは、現場では冷静な人です。大津さんのキャメラワークはエモーショナルで、相手が熱くなったり、気持ちよくなったりするとグーッと寄ったりするのですが、加藤さんは動かすけれども、冷静にフレームを見て、きっちり画を作ってくれる。感情に流されない。だから編集では使いやすい。
加藤 内面は動揺しているんですどね(笑)。もちろん僕も人間なんで、撮りながら感情が動かされることはありますが、キャメラマンの感情が画面に出ててもしょうがないでしょ? と常日頃から思っているので。まずは出てくださった方の言葉なり表情なりを、きちんと捉えることを前提に考えます。こちら側の感情を出して相乗的に画がよくなれば良いのですが、失敗することのほうが多いと思います。
あとは、出演された方がライフストーリーを話していて、時々、エモーショナルな反応をする時があるじゃないですか。そういう時は搾取的にならないように、逆にカメラを動かさないようにして、彼らの思いにキャメラが土足で踏み込まないように心掛けました。出演者の中には自分の思いをうまく話せる人もいれば、シャイで、キャメラを向けるとふっと横を向いてしまうような人もいます。しかし、そういう時でも、無理をして正面に回ったりはしていません。余計な細工はせずとも、相手の表情や音声が必要最小限記録されていればそれで十分、と思っていました。
『三里塚のイカロス』より