「こつなぎ」 パンフレットの目次頁
開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして
第61話 「こつなぎ」との出会い
<前回 第60話はこちら>
前回、別荘は<下田の近く>と書いたが、手帳を確認したところ下田より少し北の<今井浜>だった。
その女性とは菊地文代さん。時々、イノシシが出るという山荘の敷地内には、畑と、もう一軒、他県から移築したという天井の高い広々とした古民家もあった。入会村創設の意思で1980年代終わりにこの地に暮らし始め、環境問題の催しなどを手がけていた、と、後に知った。菊地さんが語ったのは、カメラマンだった亡き夫の菊地周さんと、その仲間により製作を開始し、菊地文代さんがプロデューサーを担った1本のドキュメンタリー映画の事であった。
撮影開始は1960年
菊地周さんが、1960年(昭和35年)から10数年に渡り、写真家の川島浩さん、ドキュメンタリー作家の篠崎五六さんと共に通ったのは、岩手県二戸郡一戸町小繋地域だった。入会権(※①)をめぐり争われた、日本の裁判史上に残る<小繋事件>(※②)の舞台となった地として、広く知られている。3人は小繋事件の成り行きと、現地の人々の暮らしを記録するために通ったのであった。その結果、スティル写真約5千枚、録音テープ23時間分、ムービーは35㎜フィルム一万コマと16㎜フィルム8千フィート(約4時間分)に及ぶ、膨大で貴重な記録が残された。それを後年、2003年から7年の歳月をかけ、現地にも通いながら、昭和30年生まれの中村一夫監督が、1本の作品に完成させたのである。
こつなぎ 山を巡る百年物語
題名を付けられていなかったその作品は、後に、『こつなぎ 山を巡る百年物語』と名付けて、パンドラで配給したドキュメンタリーである。一言でいうと<すごい>作品であり、現地の人々、戒能通孝弁護士や竹澤哲夫弁護士たち支援する人々の、誇りに充ちた表情や語る言葉は今でも記憶に残っている。中でも原告のひとり、山本清三郎さんの言葉は、この映画のエッセンスを表現し、普遍性を持っていると思ったので、チラシやパンフレットで紹介した。
「土が自然にできているし 山でも川でも地球の一部分でしかないでしょ これが誰のものというのは変なんですよ 我々は地球の子供なんだから 人間をどうする 生かすも殺すも それを自由にできるのは この自然しかないでしょ 地球があって 始めて我々が生きているわけだから」
渋民村
現地にも行った。盛岡駅から山間を走るいわて銀河鉄道に乗り、5駅目に<渋民>の駅名が目に飛び込んでくる。10歳代のころ熱心に読んだ石川啄木の郷里として、記憶にしっかり刻まれていた地名だったのだが、事前に調べてなかったので、驚きの方が大きく、降りたくなったのを我慢して、人気のない無人駅のホームに置いてあった顔の部分を開けた啄木の等身大のフィギュアを、じっと見つめたのを覚えている。渋民から6駅目が<小繋>だった。駅のはす向かいにマーケットがあったと思う。小繋は長閑な山村だったが、今は山に入る人がほとんどいない、とのことだった。村内を歩いたのだが、詳細な記憶は欠けている。
作品完成まで約50年
中村監督の緻密な編集作業にも驚くと共に敬意を抱いた。3人の残した記録と、新聞を始め当時の資料で事実を丹念に検証し、現地に足を運び、関係者にインタビューをし、と気の遠くなるような作業を経て、2時間にまとめたのである。ある時、監督に「時間を取っていただきたい」とお願いしたところ、会うなり、
「時間を短くしてほしいのではありませんか」
と言うではないか。図星だった。すると、
「ダメです」と言下に断られた。
チラシをデザインしてくれた日沼新介さんのことも記憶に残っている。岩手出身の日沼さんが、ある日<行方不明>になってしまった。すると、チラシのデザインに相応しい写真のために現地に行き、「写真を撮ってきた」と現れたのである。それが切り株の写真だ。日沼さんには、今に至るもさまざまなデザインでワガママを聴いていただいている。
他にも、総合地球環境学研究所の阿部健一先生や岩手県生協連の加藤善正会長理事、元朝日新聞記者の木原啓吉さん、農山村文化協会の甲斐良治さんなど、多くの方々に映画上映の実現に協力していただいた。この場を借りて改めて深くお礼申し上げなければならない。
上映会開催
多くの人々の協力により、2010年3月13日に、御茶ノ水の全電通ホールで上映会を開催に漕ぎつけることができた。3回上映し、辻信一さんの司会でシンポジウムも開催した。入りきれない人もいたような記憶だ。それで、ポレポレ東中野での劇場公開を決めたのだと思う。
ところで、上映会当日、ホールのガラス扉の向こう側から女性がくぐもったような声で、
「ナカノさん、ナカノさん、私、ナカノさんに30年くらい前にお会いしているんですよ」
と声が聞こえてきた。
<第62話につづく>
※①入会権(イリアイケン)
村落共同体等が、伐採やキノコを採りなどのために山林を共同で利用する権利のこと。入会権が設定された土地のことを入会地という。池などに設定されるケースもある。英語ではコモンズ(社会的共通資産)であり、エレノア・オストロム教授は、コモンズの研究で2009年ノーベル経済学賞を授与されている。
※②小繋事件
岩手県二戸郡一戸町字小繋にある小繋山の入会権をめぐり、地元農民により1917年(大正6年)に始まる民事、刑事両方の訴訟で、1966年(昭和41年)の第三次最高裁判決まで続いた。小繋地域の人々は、江戸時代より小繋山への入会により生計を立てていたのだが、明治の地租改正で土地の私的所有の考え方が、日本にも取り入れられたことにより、山の所有者=地主が生まれた。当初の地主との間では入会は可能だったのだが、土地が転売され新たな地主が入会を拒否したことで事件は始まった。第三次までの裁判で入会権が認められたのは1959年(昭和34年)、第二次裁判の第一審の盛岡地裁のみで、最終的には入会権は認められず、住民側の敗訴が確定した。だが、住民たちは弁護士や学生たち支援者と共に信念を貫きながら、二派に別れた裁判中も村祭りは共同で行い、小繋で暮らし続けた。
中野理惠 近況
日本語が乱れるというか変わっていくのだろうか。先日は、テレビで大臣が<最大手>と<サイダイテ>と言っていたし、<名告る>と書くと<名乗る>とアカ入れされる。一所懸命はいつの間にか一生懸命に。