【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」 第27回 『THE MANZAI』

ツービートや紳助竜介を全国区にし、
テレビと芸能の歴史を変えた番組『THE MANZAI』をレコード化。
チャンスを掴んだ男たちの闘争の記録。


『THE MANZAI』という番組があった


廃盤アナログレコードの「その他」ジャンルからドキュメンタリーを掘り起こす「DIG!聴くメンタリー」。今回もよろしくどうぞ。

4ヶ月以上ぶりの更新となるが、その間も聴くメンタリーは動いていました。
10月に「山形国際ドキュメンタリー映画祭2017」開催中の山形でイベントを行い、それに急遽、テレビ番組化されることとなった。

BSフジ『珍盤アワー 関根勤の聴くメンタリー!』がそれ。僕の本業は構成作家なので「企画・構成」としてスタッフに回り、連載で紹介したり東中野ポレポレ坐の定例イベントでかけたりしてきた盤を、タレントさんに聴いてもらう趣向の番組をこさえた。
全2回で、第2回放送が15日(金)23時からあります。22日(金)の同じ時間にも再放送あり。ぜひご視聴ください。

この間、連載に取り組む時間がなかなか確保できなかった。イベントも番組仕事もやりがいがあるが、部屋にこもって1枚ずつ感想をコツコツ書く時間も大事。書きたくてウズウズしていたので、ちょっと今回は気合いが入っています。

今回は、『THE MANZAI』(1980・キャニオンレコード)だ。


A面は、島田紳助・松本竜介、ザ・ぼんち、B&B。
B面は、ツービート、西川のりお・上方よしお、横山やすし・西川きよし。

合計6組の漫才。一世を風靡したギャグ「コマネチ!」(ツービート)「オレは私立やぞ」(紳助竜介)「ボ~ボゲギョ」(のりおよしお)「♪潮来の~……あれ?」(ぼんち)などがまとめて聴ける。
もろにジャンルは演芸なのだが、放送史に残る音声のレコード化という視点で、聴くメンタリーとして捉えさせてもらう。

僕(1968年生まれ)と年の近い人、それに笑いが好きな人なら年齢関係なく問答無用、説明不要の内容だ。今、人気芸人のライヴやコント番組がまめにDVD化されるのと同じ。そのハシリといっていい。
しかし話は急がず、丁寧に説明しよう。『THE MANZAI』は、番組のタイトル。これはそのレコード化なのだ。

1970年代後半、テレビの笑いはやや停滞期にあった。リアルタイムでは小学生の僕は萩本欽一とザ・ドリフターズの番組で十二分に満足していたのだが、僕より年上の、いわゆるヤングにとってはピタッとくる笑いが少なかった。漫才はあくまで関西のローカル芸で、しかももう古い、おっとりしたジャンルの典型位の位置にいた。

そんな時期に大阪で、やすしきよし、B&Bらがオーソドックスなボケとツッコミの型にとらわれない、スピードのある展開で台頭する。1980年1月、関西テレビ製作・フジテレビ放送『花王名人劇場』の1枠である「激突!漫才新幹線」に両者が出演したところ、高視聴率を上げたため、すぐにフジテレビは漫才に特化する番組を製作した。それが1980年4月1日放送の『火曜ワイドスペシャル THE MANZAI』だ。

テレビ演芸の歴史は『THE MANZAI』以前と以降に分かれる

大阪で活きのいいコンビだけでなく、トリオやコントの強い東京で気を吐いていたツービートらも加え、東西の若手を一堂に集める趣向。とはいえ、まだ全国的には無名揃い。20時から2時間枠のゴールデンタイムでは心もとない布陣なので、

・漫才ではなく「MANZAI」と、新鮮なイメージのタイトルに
・演芸場からの録画中継でなく、スタジオにアメリカのショー番組風のセットを作っての収録
・出囃子の代わりに、ジャズと小林克也の英語ナレーション
・スタジオ収録の観覧者を、若い年齢層に限定

などの演出を施した。そして何より、ここに集まった奴らは精鋭揃いであり、それがまとめて見られるのだ、というムーヴメント感を打ち出した。

これが当たった。とんでもなく当たった。出演者を少しずつ変えながら5月、7月、10月、12月とシリーズ放送するほど視聴率は上昇。12月には32.6%を記録。
個々のコンビが、同時に大ヒット番組の常連でもあることで魅力を増幅させるパッケージ効果は、後続世代の活動やモーニング娘。やAKB48などアイドルのプロモーション、或いはプロスポーツの応援(日本代表とリーグの関係)などに参照され続けている。


ブーム到来時のソワソワを、僕は強烈に覚えている。テレビ小僧としては最初は迷惑だったからだ。
前述したように欽ちゃんとドリフで満足していたし、ただでさえアニメブームとニューミュージックの人気で多忙を極めていたので、『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日)と『8時だョ!全員集合』(TBS)、それに『カックラキン大放送‼』(日本テレビ)以外に面白い番組は欲しくなかった。
それが、出てくるどれもガラが悪いし、しゃべる内容がどぎつい。今まではそんなにチェックせずに済んでいたチャンネル―〈母と子のフジテレビ〉が、急に何を張り切ってるんだろう。一過性の人気で終わってほしい、と実は心から願っていた。

諦めたのは、翌年。『THE MANZAI』のレギュラーに明石家さんまが加わる形で『オレたちひょうきん族』が始まってしばらくした頃、もう耐えられない……と、土曜の夜に見る番組をドリフからひょうきん族に変えた。初めてホッとして、タケちゃんマンにワクワクしながら、シーンとしたものが心の奥に残った。漫才ブームの記憶は僕の中で、一種の敗北感、ドリフを裏切った後味の悪さとセットになっている。

ドリフの天下を終わらせ、ひょうきん族の母体となった番組。軽音楽の世界だと、セックス・ピストルズに歴史的存在感は近い。実際、本盤の印象は、パンク初期のオムニバス・アルバムとよく似ている。

▼page2  3枚通して聴いて浮かび上がる、ブームの渦の激しさ につづく