3枚通して聴いて浮かび上がる、ブームの渦の激しさ
『THE MANZAI』と銘打っているが、収録されているのは1980年7月1日に放送された『火曜ワイドスペシャルTHE MANZAI3』の音声。3回目で初めて20%を越えたと記録にあるので、いよいよブームが本格化したところで商品化されたのが分かる。
これがヒリヒリしていて。6組の漫才を通して聴くと、疲れる。どれも熱に浮かれたようなテンションの早口。スピード漫才を先駆けたB&Bでは、島田洋七のしゃべくりの半分が聴き取れない。
しかしレコードも好評だったらしく、続けて2枚が出ている。3枚とも入手できたので、一部繰り返しになるが内容を整理しておく。
『THE MANZAI』(1980/キャニオン・レコード)
1980年7月1日放送の第3回を収録
A面―島田紳助・松本竜介 ザ・ぼんち B&B
B面―ツービート 西川のりお・上方よしお 横山やすし・西川きよし
『THE MANZAI PART2』(1980/キャニオン・レコード)
1980年10月7日放送の第4回を収録
A面―島田紳助・松本竜介 西川のりお・上方よしお B&B
B面―ザ・ぼんち 春やすこ・けいこ ツービート
『THE MANZAI PART3』(1981/キャニオン・レコード)
1980年12月30日放送の第5回(銀座博品館劇場から生中継)を収録
A面―島田紳助・松本竜介 西川のりお・上方よしお ツービート
B面―ザ・ぼんち B&B 横山やすし・西川きよし
3枚とも、くたびれるほどの高速漫才の詰め合わせなのは同じ。
『THE MANZAI』は苦しかった、真剣勝負の場だった。出番はその場の抽選で決められるので、気が抜けなかった。楽屋ではお互いにじっと黙って、口も聞かなかった―ビートたけしや島田紳助らが、大物タレントになってからも繰り返し述懐してきた話だ。
実際、1枚目は特に空気が刺々しい。どの組も、他を食わんとする闘争心が剥き出し。それが2枚目の『PART2』では、明らかにみな自信が付いている。B&Bは、この3ヶ月の間にコマーシャルや映画のゲスト出演の話が舞い込んだと自慢し、紳助竜介は結婚を報告して温かい拍手をもらう。時折、客席から「かわいいー」と女の子の声が飛び出す。
もう、どんなことをしてでも自分たちの存在を客や視聴者の脳裏に刻み込んでやる、と気負わなくてもいい。ブームの渦の中に入り、フワッと体が浮いているような。
しかし『PART3』では、売れているのに、まだこんな勝負が続くのかという疲労が話の合間に滲み出るようになる。「このブームは来年も続くんでしょうか」と、複数のコンビが自虐的にぼやいている。
わずか半年間の音と音の間に刻まれた、サクセスを掴んだ者の高揚と消耗の軌跡。なぜ、こんな大爆発が起きたのか。
いったん、漫才の歴史を踏まえてみると
今年(2017年)、ポレポレ坐でのイベントで『PART3』のツービートの漫才を一部かけた。ところが、これがまるでウケが悪かった。お客さんの誰も笑ってくれない。
おっかしいなあ……と思っていると、打ち上げの席で何人もから、「半分も聴き取れなかった」「もしかしたらピッチを早くして収録しているのでは」と言われた。
後日、同じ放送の録画を動画サイトで見つけたので比べてみたら、全く同じスピードだった。そして、表情や動作を見ながらだったら、話に付いていけた。
ツービートに限らず、どのコンビも身振り手振りの動きが激しい。勢い優先なので、マイクから離れることも気にしていない。そうか、最初からテレビ映えを意識した漫才はこの辺りから始まったのか。
ここでいったん、さらにそもそものところから勉強。
芸能を考える時によく開く『日本の大衆芸術 民衆の涙と笑い』(1962・現代教養文庫)の森秀人による漫才の章を改めて読み、呑み込みやすい解説書『上方漫才入門』相羽秋夫(1995・弘文出版)も手にした。ざざっと要約すると以下になる。
★もとは、神楽を起源とする芸能「萬歳」。農閑期に村々を回って歌舞音曲を披露する門付け芸・放浪芸だった。全体を進行し芸を披露する「太夫」と、たまに合いの手などを入れる「才蔵」の役割分担。
★明治の末期に、名古屋の芸好きの卵行商人が「万才」と銘打って興行を打ち、玉子屋円辰と名乗って自分も出るように。この円辰が、寄席の芸にした開祖といわれる。音頭や民謡、俗謡などの合間に、行商先で仕込んだニュース、エロ話などを面白おかしく話した。
★昭和に入るとラジオ放送が本格化し、同時に、軍国主義が進む世の中に。警察の寄席の出し物への干渉が強くなる。アンダーグラウンドな「万才」は、廃れるか生き延びるかの二択を迫られ、あからさまな猥談やお上への嘲笑を捨てる道を選ぶ。
衣装を初めて洋服に替え、洗練された話題を掛け合う横山エンタツ・花菱アチャコの登場。
★エンタツアチャコが売り出す時、「漫才」という呼称が採用される。先にラジオに出ていた「漫談」から一字もらったとも、すでに人気の出版表現だった「漫画」をヒントにしたとも(或いは両方か)。
歌や踊り無しで舞台に立つ挑戦にエンタツアチャコが成功したことで、〈漫才=コンビによるしゃべくり〉が定型になる。主の「太夫」と従の「才蔵」から、「ツッコミ」と「ボケ」の対等な掛け合いへ。
昭和に入ってからの経緯は、現在放送中のNHK連続テレビ小説『わろてんか』にエンタツアチャコをモデルにしたコンビが登場するので、これから広く知られることになるだろう。
ともあれ、まずはラジオ放送に合わせて近代化を果たした点が、聴くメンタリー的には重要である。
耳で聴くメディアに馴染んできたものが、テレビ向けの「MANZAI」になると、レコードでは聴いていてよく分からない、付いていけないものになった。これを僕は、一種の先祖返りだったと解釈する。
▼page3 ロックやバイクの仲間として復活した漫才 につづく