【Interview】原一男、90分インタビュー『ニッポン国VS泉南石綿村』 text 原田麻衣

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で、裁判の過程をずっと撮っていて、5、6年が経ったときに、大阪のテレビ局がアスベストに注目したんです。大阪ではいくつもキー局がありますが、番組を作るネタってそんなにたくさんないんですね。だからアスベスト問題は恰好のネタなんです。僕らが撮影に行っていると、なんとかという局が、番組を作るということで取材を始めましたというんです。3、4ヶ月すると、あっという間に番組を作って1時間なり、90分なりのものを放送する。よくこんな簡単に早く作れたものだなぁ、と。しかもそれなりにちゃんと丁寧に番組を作っている。僕らは急いでも、撮れたという気がしないものだから、もっと撮らなければ、思うようなものは撮れないっていうことで、続けて撮るわけです。さすがの弁護団も、テレビ局の人たちはあんなに早いのに原さんは何をやってるのかしらというふうに思ったはずです。それでも、すでにだいぶ撮っていたので、運動の場で使える1時間くらいのものを作ってくれませんかと言われたんです。それで、わかりましたって言って編集をして作ったんです。67分のものができました。

いろんな集会の前に、映画を60分見せて、そのあとにいろいろなイベントを、というような使われ方です。せっかく作ったので、東京のミニシアターで上映も1週間やったんです。その頃になると、私の焦りというか、映画をどういうふうに作ろうかという悩みが解決されていないまま残っていたんですが、なんかあの人たち、人間がよくて、本当にこの人たちが好きだなぁっていう気持ちが大きくなっていたんですね。でもだからこそ余計に、こういう運動の仕方でいいのかしらって思うわけです。国家を成立させるための一機関である裁判所で、国の犯罪性を問うということがもうじれったくて仕方がなかったんです。裁判は裁判という秩序の中で、物事を受けいれなければならないじゃないですか。そういう欲求不満が私にはあったわけですが、泉南の人たちはこういう不満を持っていないのかしらって、ずっと思っていたんです。

で、60分バージョンを映画館で上映するとき、普通ロードショーって90分の長さが必要なんですが、30分足らないので、その30分を使って、私が持っている欲求不満や疑問を、運動の関係者にぶつけて意見を聞くイベントをしたんです。その準備をしながら、それを撮影してそのまま映画に入れちゃえと、ふと思ったんです。それですっとしたわけではないですが、私がどういう問題意識を持っているのかという、映画の中の一つのストーリーの布石みたいな意味合いを込めて、映画の中に入れました。解決というか、道筋すら見えているわけではないので、まだまだ撮影が続いていくと、いろいろあるわけですが、裁判は終わっていきます。高裁が終わった段階で6年経っていたので、もうここでやめて、映画を完成させて、さて裁判はまだ終わっていません、これからどうなるでしょうかという構成の立て方を考えたんです。だけど、終えられなかったんです。

それには2つの理由があって、1つは撮れたというふうに思えないから。もう1つは、みなさんが頑張っているのに、私たちはもうこれで結構です、編集して終わりますって言えないからです。だから、その時点からもう最後の最後まで付き合って一緒に進むしかないと思っていました。そして最高裁までいったんですね。で、最高裁までいっても、私の中では撮れたっていう気がしなかった。でも、運動は終わっちゃって、編集するしかない。それで編集に入るんですが、映画っていうのはやはり2時間の長さでなければいけないんだという前提が私の中にあります。観る人の体力を考えると、2時間がちょうどいいんです。なんとか2時間の長さでまとめようと思って、編集に入りました。それで、2時間17、8分くらいの長さになったんです。これでできたと、思った。私は別のところでシネマ塾というのをやっていて、大島渚とか今村昌平といった巨匠たちを呼んで、勉強する場を作っています。ドキュメンタリーとは何かという問題意識をもってその人たちにインタビューして、本にしたかったんです。それがうまくいって作りましょうという話になった。本を出すので、出版記念上映会をやろうという話があって、その巨匠たちの旧作をまとめて上映するんですが、旧作だけでは寂しいので、せっかくアスベストの新作を作ったんだから、その中にいれようと、2日間だけ新作を入れるという形でプログラムを組んだんです。

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それで、渋谷で実際に上映をしたんです。そんなにお客さんが来たわけではないですが、お客さんに聞きました。私は、普通の人を撮った映画が面白いのかどうか疑問に思っていたので、本当に正直にみなさんに聞きたいと、質問したんです。そしたら、普通の人が持っている魅力は描けていますよって、非常に好意的な意見を言ってくれるんです。でも、私は話半分で聞かなければいけない。というのは、そういうところに来るお客さんはもともと私たちの映画のファンなので、やはり励ましてあげようという優しい気持ちで言ってくれているに間違いないと。ただ、いろんな話の中で、もうちょっと長くてもいいのではないでしょうかという意見が結構あったんです。それで、2時間半くらいならいいかなぁというふうに少し考えるようになりました。全部で回したテープの量は、700時間あるんです。全部は観ていないです。2時間の長さを想定していたので、これは使わないだろうという記憶だけではずしているシーンもあります。ただ、外したシーンで、あれだけは入れたいなぁというシーンがいくつかありました。もう一回編集し直そうとなったときに、構成の小林と編集の秦さん、そして私の3人でどうしようかと考えたんですね。

それで秦さんが、入れたいと思うものを全部入れましょうと、そこから落としていきましょうと言ってくれたんです。一番大変な編集マンがそう言ってくれたので、入れたいものを入れたんです。そしたら4時間を超えたんですね。これは明らかに長いと、それでぎりぎりまで落とす作業を始めて、3時間38分、40分くらいまでいったんです。その作業中にも、たくさんの人にインタビューをさせてもらっているうちの、あの人のインタビューは落とせない、落としたくない、というのがあるんです。でも、悩んだ末に何人かのインタビューを落としていった。それで3時間40分くらいになったときに、もうこれ以上落とせない、ってなったんです。もう胸が張り裂けそうになって、今回は長くてもいいんだっていうふうに言いながら、細かい作業をやってぎりぎりで3時間35分になりました。でも、なおかつ、私の中では不安がぬぐいきれないんです。これは本当に面白いのかしらって。

それで、第一回目の上映はまず泉南の人たちに見せなければならない。出来上がったものを大阪芸大の映画館で見てもらいました。泉南の人たちは当事者ですから、長いとは思わないですよね。自分も映っているので、いろんな反応がありました。そのお客さんの中に、大学の同僚がいました。なかなかよかったと褒めてくれました。少しほっとしましたが、同僚だから悪口なんて言わないと思っているわけです。

それで、まずは東京で映画ができましたというような意味合いの試写会をやりました。上映が終わって、また同じく、私は非常に不安で、本当にこの作品が面白いかどうか自信がないのですが、どう思いますって聞いたんです。相当弱気にみえたんでしょう。みんなが口々に、原さんこの長さでいいよ、いけるよって、言ってくれたんですね。ただその中でも一人だけ、映画館の支配人に僕は長いと思いますって言われたんです。頭に来てね、この野郎、てめえ何言ってやがるんだって。おかしいよね。人間って、長いんじゃないかという不安がある反面、長いって言われるとむっとするんです(笑)。それでも、周りの人はこれは絶対に短くする必要なんてない、これでいけるよって言ってくれたので、少し気を取り直して、どこの映画館で上映するかという作業が始まりました。

繰り返しますが、そこまではみんな身内みたいな人なので、本当に不安な気持ちがまったく解消されないままに、今回初めて一般向けの上映を迎えたわけです。長い話ですけれども、不安を抱えて私はここ[山形]にやってきたわけです。それで、2回上映があって、観た人がかなり面白いって言ってくれて。ここの人たち、本当に私の顔を見て、面白かったですよって、そういう人のそういう反応は信用できるなぁと思うわけです。かなりの人がそう言ってくれたんです。初日が終わって、ほっとした。それで、2回目の上映のときに、客席から見たんです。本当にリラックスしてスクリーンを見られました。

それで、結構笑えるんですよね、自分でも。それでなんとか、2回目の反応も面白いと言ってくれる人がそれなりの数いたんです。本当に、ほっとしているというのが、今日の私の正直な気持ちです。ただ、普通の人を描いていかに面白い映画を作るかということを、自分の表現の方法として、消化できたわけではないんです。どこがどういうふうに観ている人の胸に響いたかの分析は、多分これからもうちょっと時間をかけて、自分の中で考えなければならないと思います。だから20代の時に、とんがった人ではなく普通の人を撮ってカメラを向けても面白い映画ができるはずがないという考え方は、基本的に私が変えなければならないものであると今は思っています。

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