【Interview】原一男、90分インタビュー『ニッポン国VS泉南石綿村』 text 原田麻衣

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—ドキュメンタリーの面白さ—
続けていくなかで生まれる感情

——上映時間の問題が上がりましたが、今作では前半、後半に分けて、休憩を入れられていました。そのタイミングはどのように決められたのですか。試写の段階からあったのでしょうか。

原:いやいや、初めからではないんです。これは長いと。休憩しながらじゃないと観ている人はきついだろう、高齢の方たちも観にくるだろうと。そうすると、3時間半ぶっ続けだと肉体的にしんどいし、トイレに行きたい人もきっと出てくる。うるさく言う人もそばにいるもんで。まあいいんじゃないのと思ったりもするんですが、休憩を入れるのはしょうがないと思って。じゃあだいたい半分のところはどのへんかなってなもんで、非常にアバウトに、このへんかななんていって、あ、じゃあここだなって検討をつけたのが、岡田さんの息子さんが出てくるシーンです。で、そのあと私が唐突に出てくる。そこに休憩を入れるとちょうど一部と二部みたいになっていいんじゃないのって話になって。それは厳密にではなくて、たまたまそういうふうに分けたら、それがいかにも狙ったかのような分け方になってるよねってだけのことなんですよ(笑)。あそこに休憩が入るように構成を立てたわけではなくて、あれはひとつながりなんですね。休憩がなければ、自然と私の登場するシーンが繋がっているわけです。だけど内容的に、ここで分けるとちょうどいいかなあって。けれども、分けると分けたところに意味が出てきちゃう、よくあることです。

——物語が進むにつれて、病気に苦しむ姿から裁判で闘う姿に焦点を当てているという印象を受けます。

原:それはやっぱり、病気で苦しんでいるところを撮らせてもらえないんですよ。あの中で、裁判の判決の朝、お母さんが亡くなったんですって人が出てくるでしょう。

——武村さんですね。

原:そう、武村さん。アスベストによる病気の残酷さはいくつか挙げられるんですが、一つは、お母さんが病気になって、娘さんが看護しているという母娘の関係があるでしょう。お母さんが苦しくて苦しくて仕方がないとき、娘にあたるわけですよ。これは、面倒をみている娘の立場に立ってみればものすごく残酷な関係になるんですよね。で、その話をね、武村さんだったらしてくれるんじゃないかって、実は何回か機会を探ってたんです。武村さんの家族はもう何としてでも撮らせてもらいたい。ただ最後まで結局「いいですよ」って言ってくれなかったんです。「今はお母さんが具合悪いからね、今は勘弁してね」って言ってるうちに、亡くなってしまった。

唯一撮れたのが、西村さんのお風呂場のシーンです。あれは僕らが「撮らせてください」って頭を下げてお願いしたんじゃないんです。西村さんが一番気安く私たちを迎え入れてくれて、「苦しんでいる様子を撮っていいよ」って、気持ち良く受け入れてくれた人なんで、行く回数が他よりちょっと多かった。それで、ある日行ったら、息子さんの弁当のおかずを作り終えて、私に、「私これからお風呂に入るのよ」って、それで「お風呂に入ると必ず湯気で咳き込むのよ、原さん、撮りたいんやろ」ってニコニコ笑いながら言ってくれたんですよ。それでもう私は、「是非お願いします」って、狭いお風呂の中に入って、床に体を押し付けて、カメラを構えたんです。そしてら、西村さんがお風呂に入って、いきなりですよ、ゴホゴホ止まらないんだもん、カメラを回しながら苦しかったですよ、私も。だからあれは、西村さんが撮らせてくれたんです。で、他は、撮らせてくれなかったから撮れなかったんですね。それは私の中で悔いが残っています。

——この作品では、病気で苦しんでいる人というよりは、そういう人たちの周りで闘っている人たちを意図的に撮っていらっしゃったかのようにも思えました。タイトルにも「VS」が入っていますよね。もちろん、そこには病気と闘うことも含まれているとは思いますが。

原:現場ではね、やっぱり、アスベストに苦しんでいるんだから、アスベストで苦しんでいる場面を撮るべきであるという考え方はずっと持っています。だけど、ドキュメンタリーってのは、撮りたいと思っていること、撮らないといけないと思っていることが100パーセント撮れるわけではないんですよ。撮れてもたかだか2割、3割だという実感がいつもあります。けれども、僕らは撮れた映像でしかどうしようもないんです。撮れた映像を何とか、いろいろ試行錯誤しながら物語を作っていくんですよ。で、その結果として、僕らが、本当に苦しんだ人の姿を撮らなくても、例えば家族の人の、お母さんが亡くなった人とか、自分の身内が亡くなって苦しかった人とかの様子を撮って、過去形のインタビューで何とか成立させようと思ったんです。インタビューの方が相手も納得して話をしてくれるからね。で、そういうのを編集でうまく構成していって、全体としてアスベストによる病気が、こんなに残酷な病気なんだよっていうふうに伝えることができれば、それはそれでいいっていうように考えるしかないんですね。どんなに苦しんでいる姿を撮りたいと思っても、映像として撮れなかったわけだから、あるものでなんとか伝えていくと。

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——[山形での]上映の後、後半になるにつれて表れてくる、原告者の方の怒りは監督が引き出したのですか、という質問があったと思います。その時に、柚岡(ゆおか)さんをはじめとする関係者の方々は、「そのようなことは一切なかった」とおっしゃっていました。そういったなかでも、監督の心境の変化が、沢山の映像の中から素材を選択する際に何らかの影響を与えているということはあるのでしょうか。

原:ここがドキュメンタリーの面白いところだと思うんですけれど、もっと怒らないといけないんじゃないかと、私は山田さんにストレートに聞いてますよね。自分たちは厚労省の前で焼身自殺しなければばらないのかなんて、嫌味で返されてます。でも私、やっぱりもっと怒っていいんじゃないかって思いを、最初から最後まで持っているんです。実は柚岡さんも、基本的に同じ感情を持っている。弁護団は弁護団で、裁判に勝つためにいろんな戦術を考えるでしょう。でも、柚岡さんは、表現として怒るってことをもっといろいろやっていいんじゃないかって、考えていた人なんですよ。弁護団の考え方とまるきり違うんですよね。柚岡さんは裁判所の中でも静かにしないといけないって言われたときに、静かになんかする必要ないと、頭にきたら裁判長に食ってかかればいいんじゃないかってタイプの人なんです。そうすると、弁護団が、お願いだからやめてくれって、抑えられるって、彼らはそういう関係ですよね。

映画の中で、総理官邸に建白書を持っていって、翌日、厚労省に突入するというシーンがあります。あれはもう考えに考えぬいてそれぐらいやらないと自分は胸に据えかねるってことで、柚岡さんが原告団に呼びかけたんですが、全員に呼びかけると反対されるし、みんなが付いてくるわけがないと、ましてや弁護団に話をすると絶対反対されるってのがわかっているので、私だけが相談を受けたわけです。原さん、僕やりますからねって、わかりました、じゃあカメラも付いていきますってなったんです。そこからは見ての通りです。だけど、そういう柚岡さんの姿を見ても、すぐにみんなが盛り上がったわけではないんです。やっぱり、これだけ自分たちは大臣に会いたいって思っているのに、なんで最も基本的な要求すら国は聞いてくれないのかっていう気持ちが原告団の一人ひとりの中で少しずつ芽生え始めたんだと思いますね。そういう気持ちは運動していくなかで生まれて大きくなっていった。それはきっと、闘争が人間を鍛えるからなんですよね。闘士になっていく。そして、「田村厚労大臣おうてんか行動」をやろうってなったんです。一気にそうなったわけじゃなくて、徐々に、[厚労省への突入が失敗に終わった]帰りの場で、なんとかしなくちゃいけないんじゃないか、いやぁやらないほうがいいって言いながらです。弁護団と柚岡さんって実は怒鳴りあいの喧嘩を何度もしてるんですよ。でも、少しずつ、やっぱりやろうじゃないかってなって、みんなが納得したのが、「厚労大臣おうてんか行動」なんですよ。やったけどやっぱりダメでしたっていうのは映像になって入ってますが。柚岡さんは基本的に、自分の怒りを表現に変えて訴えるべきであると考える人なんですね。だから私は柚岡さんの考え方が一番自分のフィーリングに合うと思うんです。

——「怒り」とは少し違うのかもしれませんが、感情が大きく表に出ているシーンとして、印象的なものがありました。最高裁判の後に、賠償対象者から外れた佐藤さんの演説シーンです。あれはワンカットのシーンでしたよね。

原:はい、そうです。あれはね、編集の途中で、長いんじゃないかってなったんです。で、これは切ろうって思って、頭を切るかケツを切るか、真ん中を切るか、いろいろやったんですよ。ですが、面白いことにね、真ん中で切ると、なんていうか、ワンカットで見た時の印象とはまるで違うんですよ。力がなくなるんですよ。だから真ん中は切れないって判断する。そこで、頭をちょっと短くするかケツをちょっと短くするかいろいろ試したんだけど、何回か試したのちにあの長さじゃないとこれはダメだって思ったんです。それは最初からすぐわかるわけじゃないんですよ。いろいろ編集で切ったり繋いだりしながら探っていって、やっぱり佐藤さんのカットはこの長さが絶対必要であるって落ち着いてくるわけです。そういう過程があってあれができたんです。

——あのカットはもちろん長さに関しても特徴的でしたが、長いスピーチにもかかわらず全く言いよどむことなく、最後までお話しされていた佐藤さんの姿に引き込まれました。

原:佐藤さんは、マイクを持つでしょう。実はあの同じような話を何度もしてるんです。かなり慣れていってます。運動が8年続いているわけですが、佐藤さんはわりと早いうちに街頭で自分のことを話すことを繰り返してるんですね。僕らの言い方だと、女優になっていくんですね。それで、何回かカメラも回してます。毎回、同じような話なんですよ。でも佐藤さんは、明らかに話しているうちに自分の感情が高まるタイプの人でしょう。感情がどんどん出ちゃうんですよね。意識して出すんじゃなくて、そういうキャラなんです。だから私は毎回佐藤さんの話を、あぁまた同じ話だなと思いながら聞いてるんですけど、毎回、もらい泣きしちゃうんです。つまり、それだけ佐藤さんの感情が強く出る。それで、前の2時間バージョンを作った時には佐藤さんが、宣伝カーの上で結構長めのスピーチをしてるのを使ったんですよ。そして3時間半バージョンを作るときにそっちを外して、今回入ってるものを繋いだんです。こっちの方がやっぱりいいなぁってことで。それでやっぱり、今回使ったやつっていうのが最高裁の判決の直後だから余計に自分の悔しさみたいなものが佐藤さんの中で渦巻いてたので、ああいう話になるんですね。佐藤さんは、今回の原告団の中で一番女優ですよ。よく素人の人がドキュメンタリーでだんだん女優になっていくって言い方を、半分比喩、半分本気でしますが、ほとんど100パーセント本気で、佐藤さんは女優になっていったよねって。

—カメラワーク—
被写体の持っているエネルギーに吸い寄せられていく

——少し細かい話になりますが、即興的なカメラワークで目を奪われたところがいくつかありました。例えば、赤松さんご夫妻への2回目の取材、ICUのシーンでは、苦しんでいる四郎さんと、そのそばで呼びかけているタエさんがいますよね。最初は二人を同時にフレームに収めていますが、途中でだんだんゆっくり移動してタエさん一人がフレームに入ります。そういった、フレームに入る被写体の選択はどのようにしているのですか。

原:カメラを回しているでしょう。だんだん回してるうちに、吸い寄せられるようにして寄っていくんですよ。タエさんの表情の方に、回り込んで行く。それは私のカメラワークが頭のなかでできているというよりも、相手の、被写体の持っているエネルギーに吸い寄せられていくっていうほうが正確だと思いますね。

——赤松さんに関して、病室のシーンがもう一度、回復されてからのシーンがありますよね。そのときは、まず弁護士の女性の方が四郎さんに「9月に判決が出るから頑張ってね」といった言葉を発しています。そのあと、まだ四郎さんが何も言っていない段階でカメラが四郎さんの方へ移動して、そのときに四郎さんが「生きるよ」とおっしゃいますよね。それは力強く、テロップでも強調されていました。あのシーンでのカメラの移動も、やはり吸い込まれる動きだったのでしょうか。

原:そう、まさにそうなんですよね。つまり基本的に、被写体が複数いるときには、カットバックで気持ちの通い合い、摩擦を表現できるんですね。弁護士さんというのは担当が決まってるんです。岡千尋って弁護士なんですが、あの人は赤松さんの担当なわけですよ。病室に見舞いに行くっていうので私らもついていったんです。それで、話しかける弁護士さん、それに答える赤松さんっていうことで、カットを割るっていうのも撮り方としてはありえるんですが、一方を撮ってそのままの流れで赤松さんっていうふうに撮ったんです。でも、そういうのもほとんど無意識のうちに、オートマチックに体が動きます。で、「頑張ってや」「うん、頑張る」「生きてね」「生きるよ」って続いたわけです。その日はそれで撮影が終わってるんですよね。元気になってよかったと、本人も我々も思って帰るわけです。それで、何日か後に、亡くなったって話ですよね。映画的にはもう、あれが生きている最後の姿なので、あの映像にストップモーションをして、字幕で「死亡」って入れたんです。

——その編集の仕方が力強いですよね。

原:亡くなった人の映像っていうのは、生きている最後の映像でコマを止めて、何月何日死亡というふうに入れようと、一つの表現のルールみたいなのを編集のときに作るんです。で、亡くなった方たちはそういうふうに表現しようと決めたわけです。

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