『ゲンボとタシの夢見るブータン』は、「幸福の国」として知られるブータンのある村を舞台としたドキュメンタリーだ。主人公となるのは16歳のゲンボと、15歳のタシの兄妹。彼らの家は寺院で、父親はゲンボに僧院学校での修行を積んでもらったうえで、自分のあとを継いでほしいと感じている。しかし、ゲンボには果たしてそれが正しい道なのかわからず、一方のタシは女の子でありながら、自分を男の子だと感じており、サッカーチームの国内代表になるという夢を持つ。近年、急速な近代化の波が押し寄せるブータンだが、彼らが生きる村も例外ではなく、寺院をはじめとした伝統的な慣習は、少しずつ衰退の道をたどっている。その一方で若い世代は、「外の世界」に目を向けることが顕著になり、いわばゲンボとタシ、および家族の置かれた状況は、ブータンという国の縮図のようでもあった。
もともとはブータン出身のアルム・バッタライ監督が、ハンガリー出身であるドロッチャ・ズルボー監督と出会い、「ブータンを舞台にした作品を撮りたい」という思いから始まった本作。両監督に制作のエピソードや、ブータンという国への思いについて話をうかがった。
(取材・構成=若林良)
――本作の、着想のきっかけから教えていただけますか。
もともと私たちは、ドック・ノマッドという、若手ドキュメンタリー制作者の育成プログラムにいました。卒業後に、お互い初となる長編ドキュメンタリーを撮ろうと決めたんですけど、具体的に作ろうと思っていたのは、ブータンの「伝統と近代化の衝突」をテーマにしたドキュメンタリーです。最初に始めたのが、ある女子サッカーチームの取材ですね。メンバーのひとりがタシで、彼女との出会いが本作のスタートでした。
タシはシャイな女の子でしたけど、男の子としてのアイデンティティーを持っていて、また、そうした自身のあり方に対しても、とても強い思いを持っていました。私たちはそこに惹かれたんです。タシの取材を進める中で、彼女の家族とも出会いました。そこで、家族の置かれている状況に衝撃を受けたんです。それはたとえば、継承問題を含めた寺のあり方についてですが、彼らの抱えている問題には、いまのブータンが抱える、近代化と伝統のはざまでの葛藤の縮図があると感じ、一家族に留まらない、深い問題であると感じたんです。
そうした縮図は、本作でも多くの部分に見ることができます。たとえばゲンボたちがサッカーの試合を見ているテレビの周りに、お父さんが作ったブータンのかざりがついていたり、お父さんが仏教のことを語っているとき、それを聞くゲンボはナイキのジャージを着ていたり。また、ゲンボがサッカーの練習をしている家の裏庭で、お父さんが伝統的な踊りの練習をしていたりと、映画としてコントラストが明確になるように描いたつもりです。
――映画としては、ある一家の日常生活に立脚した作品であると同時に、ブータンという国の抱える大きな問題が、確かな形で内包された作品だと思いました。
重要なのは、映画を作ることで、毎日のカジュアリティを撮ることです。先ほどもお話しましたように、「近代化VS伝統」が本作の主眼ではありますけど、その根底には日々の暮らしがあって、そこをしっかりと描くことによって、より大きなものを表現したかったんです。
――当初、「秘境」としてのブータンに迫った作品を想像していました。たとえば私が思い浮かべたのは、『大いなる沈黙へ』(2005)です。フランスアルプスにある修道院の、謎に包まれた内部に迫るという内容ですけど、そういった作品ですね。しかし本作では、むしろ「開かれた場所」としてのブータンが伝わってきたことに、感動を覚えました。
私たちも、必要以上にエキゾチックな作品にしたいとは思っていませんでした。ブータンには国民総幸福量(GNH)という政策の存在もあって、ある種のユートピアとして見られる節がありますけど、自分たちが作っているのはまずひとつの家族に立脚したドキュメンタリーであって、そうした原点を忘れないようにしたかったんです。
ロケ地自体は1000年以上の歴史を持つ寺院で、設定としてエキゾチックではありましたけど、中心としては、父の願い、子どもの将来の希望の衝突という、いわば普遍的な葛藤を描きたかったんです。ただ、考えてみれば、寺の歴史のなかでもそういった葛藤はあったでしょうし、寺院と親子の葛藤は、決して相反するものではなかったとは思います。
――「幸福」とは何かという問いもあります。若いゲンボにとっては、父たちが守ってきた伝統を守る、すなわち寺を引き継ぐということなのか。または、そうではない新たな生き方を模索することなのか。
もちろん、幸福とはその人が置かれた立場によって、さまざまな形に変化するものです。たとえばお父さんはゲンボにお寺を継いでほしいという願いを持っていますけど、それは仏教とともに歩むことが、ゲンボの本当の幸福だと思っているからですね。と同時に、彼にはゲンボにはゲンボの自由があって、強制はさせたくないというジレンマもあります。
タシにとっての幸福とは、自身の夢を叶えること、すなわち男になって、サッカーのブータン代表になることですが、ゲンボにとってはまだそれが明確ではない。自分の意思を押し殺して寺を継ぐのではなく、自分自身が何をしたいのか、自身が置かれた状況と闘った上で、つかみ取らなければならない。ちょっと抽象的な話にはなるんですけど、幸福を得るためには自分の自主性と、夢を成功させるための思いがなければならないのだと思います。
――そうした自由をめぐる葛藤には、生き方の多様性を知ることが大きいですね。たとえばFacebookを見たり、本作の鍵になるのはスマートフォンの存在です。これが今のブータンの姿なんだなと、少し驚きました。
本作では描きませんでしたが、実際にはお父さんやお母さんたちのほうが、スマートフォンに依存しているようですね。スマートフォンはここ5、6年で普及してきたものではありますけど、家族が住んでいる中部ブムタンは、各地から孤立したようなところで、それだけに情報が入ってくる機会は多くはありませんでした。しかし、スマートフォンが普及したことによって、情報量の増加、および価値観の変化が如実にあらわれるようになったんです。外部の存在を知ることによって、子どもたちの夢も大きく変わってきています。
――単純な描き方としては、二つのパターンが考えられると思います。ひとつは伝統側、この映画で言えばお父さんの側について、失われるものの悲哀に焦点を当てるか、もしくは新しい世代の勃興や、既存の体制への抵抗に焦点を当てるかですけど、本作はどちらでもなく、イデオロギーよりも「生活」がくっきりと感じられる映画になっていました。
ありがとうございます。そこには私たちの意図も介在していますけど、もうひとつの要因としては、お父さんのパーソナリティが影響したのではないかと思います。私たち自身は子どもたちに密着していたので、子どもたちの葛藤やぼやきは身近で見ていて、心情としては子どもたち側にありました。ですので、厳密な意味でのニュートラルではなかったと思うんですけど、お父さんの「想い」が大きかった。子どもたちに寺を継いでほしいという思いはあるけど、決して強制はしないし、子どもたちのことが大好きで、本当に子どもたちに幸せになってほしいと思っていて。また、仏教の教えをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の解釈を加えて、本当の幸せについて問い直している人でもあって。お父さんの存在があるからこそ、子どもの視点だけの作品にはならなかったのだと思います。
――ゲンボとタシのふたりが「登るのは無理だ」と言われていた岩を越える、ラストシーンが印象的です。目の前の壁を突破する若者たちの姿を示すうえで象徴的でしたね。
あまり語りすぎるのも良くないですが、そこは自分たちでも意識したシーンですね。おっしゃられた意味に加え、ひとりではなく、兄妹でともに乗り越えるという意味も大きかったと思います。
――これは私の日本人としての反省にもなるのですが、どうしても「秘境」といった視点でブータンを消費してしまう部分がありました。ただ、これは西洋の方の日本に対する視点にも同じことが言えて、たとえば侍や芸者など、エキゾチズム的な視点で消費されてしまう部分があるということですね。同じアジアの人間として、日本人に伝えたいこととしては何がありますか。
もちろん、そうした視点は他国に興味を持つフックにはなり得ますが、異なった世界の話ではなく、自分たち自身と重ね合わせてこの映画を見ていただければと思います。たとえば、親子の間にあるギャップは、特殊な国だけの話ではなくて、ユニバーサルな問題ですよね。日本の方も思っていることでしょうし、また、伝統と近代化の衝突というより大きなテーマにつきましても、理解や共鳴は得られるのではないかと思います。
より根源的に、映画の中で伝えたかったのは、話し合うことの大切さ、他者を理解することの難しさです。この映画を見てから、たとえば家族や友人など、身の回りの人のことを考えていただければと思います。
【映画情報】
『ゲンボとタシの夢見るブータン』
(2017年/ブータン・ハンガリー/74分/カラー/ゾンカ語)
監督:アルム・バッタライ、ドロッチャ・ズルボー
英題 The Next Guardian
後援:ブータン王国名誉総領事館/ブータン政府観光局/駐日ハンガリー大使館
協力:Tokyo Docs/日本ブータン友好協会/日本ブータン研究所/京都大学ブータン友好プログラム字幕:吉川美奈子|字幕協力:磯真理子|字幕監修:熊谷誠慈
配給:サニーフィルム
写真はすべて©ECLIPSEFILM / SOUND PICTURES / KRO-NCRV
キャスト&クルー
家族:ゲンボ、タシ、トブデン、テンジン、ププ・ラモ
編集:カーロイ・サライ
撮影監督:アルム・バッタライ
オリジナル・スコア:アーダーム・バラージュ
サウンド・デザイン:ルドルフ・ヴァールヘジ
プロデューサー:ユリアンナ・ウグリン
コ・プロデューサー:アルム・バッタライ
エグゼクティブ・プロデューサー:レティツィア・スホーフス
プロダクション・マネージャー:ジョーフィア・ズルボー
プロダクション:エクリプスフィルム
コ・プロダクション:サウンド・ピクチャーズ、KRO-NCRV
8/18(土)よりポレポレ東中野ほか全国劇場ロードショー
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