【Interview】歌は、歌い続けることで守られる 『あまねき旋律(しらべ)』アヌシュカ・ミーナークシ&イーシュワル・シュリクマール監督インタビュー text 若木康輔


歌は、言葉にしきれない感情を伝えられる手段

−−今お話を伺ったように映画は一定の距離にカメラを置き、春から夏の、田植えの季節の労働を捉えます。見ていると、まるでいつの時代か分からない。しかし田植えが一段落し、コンクリートの建設現場の場面から、ペク村の現在と歴史を解いていくシークエンスに入ります。
この章変わりの時に、急にクローズアップが入りますね。屋内で働く女性が、資材を積んだトラックのクラクションに顔を上げる。非常に鮮やかなアクセントを用意されているな、と唸りました。

アヌシュカ ああ。そんなこと、考えたこともなかった(笑)。

イーシュワル (おどけて)いえいえ、ちゃんと狙い通りの演出ですよ(笑)。……感覚的につないだ結果ですね。理屈ではなく。
確かに、田植えの後のシークエンスが変わるところは大きなポイントだという意識はありました。静かな村が交通で外とつながっている現実をだんだんと見せ、若者は「科学者になって火星に住みたい」などと夢を語る。未来と過去を行ったり来たりしながら、村の生活も時代によって動いていくことを描いています。その導入に、トラックの音が使えると思ったんですよ。

アヌシュカ でも、クローズアップの効果が出ているとまでは計算していませんでした。嬉しい分析です。

−−歴史が語られるシークエンスでは、かつて独立運動を起こしたナガランド州がインド軍の監視下にあり、インド政府との和平交渉が長引いていることが示されます。お二人にとっても、ふだんの生活とは違う文化圏に赴いている。撮影できる信頼関係を築くまでに苦労はあったのでは。

アヌシュカ 全くといっていいほどありませんでした。私はタミル・ナードゥ州出身なんですが、ナガランド州の人達が、とてもタミル・ナードゥ州に親近感を持ってくれているからです。

タミル・ナードゥ州は主にタミル語を話す地域で、ヒンディー語圏文化の教養に対して抵抗運動をしていた歴史があります。政治・文化の背景が共通しているからか、ナガランド州の人達は驚くほどタミル・ナードゥ州について詳しいんですよ。私達のほうはナガランド州のことをよく知らないのに。

それにナガランド州の子どもが成長して大学に進む時、親はデリーやボンベイではなく、タミル・ナードゥ州の大学に行かせることが多かったそうです。タミル・ナードゥ州なら差別感情が少なく、安心して送れる場所だと捉えてくれているんです。

−−かつての日本の場合、村落共同体の中で思ったまま言葉にするのが難しい感情は、歌にして間接的に表現する工夫がありました。ペク村の人達はさまざまな労働歌を歌っていますが、共通する点はあるでしょうか。

アヌシュカ 興味深い質問です。重なるところはあると思います。私達はその点を直接インタビューしたわけではないのですが、好きな子に届くよう、恋心を歌に託していると恥ずかしそうに打ち明けてくれる若者はいましたからね。
ペク村の人達が歌を、こうだと言い切れない、言語化しきれない感情を伝えられるコミュニケーション手段にしている面は大いにあります。特にそんな心情の歌を人数の多いグループが歌い合わせていく時は、解放された感情が合唱の中でうねる瞬間が確かにありますから。
それに、ペク村の人達がふだん話す言語には、opinion、意見に該当する単語が存在しないんです。

イーシュワル 撮影を始めてしばらく経ってから気付いたことです。最初は必ず、インタビューらしい質問をしていたんですよ。「あなたが今歌った歌の意味は?」「あなたにとって歌とは?」……これが、ことごとく上手くいかなかった。

アヌシュカ みんな答えてはくれるんですが、言葉が即物的で直截というか、噛み合わなくなるんです。「そういうことは専門家の先生に聞いてよ」とも言われるし。通訳の人に「あなたたちの質問は翻訳して伝えるのが難しい」とぼやかれて初めて、ああ、観念を求めてしまっていたのかと。
もちろん彼らは彼らの哲学や豊かな感情を持っているのですが、肉体労働で暮らしを営む村では、物事はとても実利的なんですよね。そこからは質問のアプローチも変えました。


正直なものでさえあれば、歌はなくならない

−−現在のペク村は外の情報が入り、映画の終盤では若者がスマートフォンをいじる姿も出てきます。それでも村のコミュニティ意識は強く、崩れていない。なぜだと思いますか?

アヌシュカ うーん……。多くの専門家がナガランド州を研究していますから、それこそ私も話を聞きたいのですが。私達が撮影した経験の印象で言えば、偶然性は大きいと思います。
ペク村が昔ながらの農村風景を濃厚に残していることは、同時に、インドからの独立をめざす紛争が長引いて近代化が遅れたことを意味してもいます。だから外から違う文化の人が入ってきにくかったし、村を監視するインド軍に対する結束力も強い。政治、歴史の様々な背景が重なっているんです。
それにナガランド州は、異なる文化習俗を持った多くの民族が暮らす地域です。それぞれのテリトリーが昔からあることも関係はあると思います。あらかじめ揉め事を抑えるため、違う村の男と男が義兄弟の契りを結ぶ風習がまだ生きていると聞きました。義兄弟がいれば、もし争いが起きても平和に解決しやすくなるからです。

イーシュワル 想像できる理由を僕ももう一つ付け加えると、彼らが耕しているのが棚田であることも大きいかな。
斜面に作られた棚田は段々で、水が上から下に流れる仕組みです。つまり、もしも村人の間に亀裂が起きれば、たちまち下まで田んぼに水が行き渡らなくなってしまう。周囲に湖などがあるから源泉には恵まれているのですが、短い田植えの期間にそれを棚田まで引いて周到に準備するには、みんなが力が合わせることが必要です。協力し合わなければ生存できない。この自然環境は、未だにペク村のコミュニティに大きな影響を与えていると思います。

−−現場での二人の役割分担は?

アヌシュカ 当初は二人でカメラを回し、録音は私が兼ねていました。録音が重要なパートになると気付いてからは、私は録音にもっぱら集中するようになりました。編集は一緒に素材を見ながら進めましたね。ただ撮影にしても編集にしても、一番時間を使ったのはディスカッションかな(笑)。
撮影の最中は指示を出し合うようなことはしませんが、終わった後で必ず話し合いました。お互い現在の作業をどう思っているのか、意見が合うところ合わないところはどこか、確認し合ったり察し合ったり。その間はストップしているようでも、やみくもに手を動かすよりずっと重要な時間だったと思います。

イーシュワル 僕達はある演劇集団の中心メンバーで、今も演劇活動を続けていますが、20人以上のメンバー誰の意見でも平等なのをルールにしています。年齢の上下などより、そのアイデアが良いかどうかのほうが重要なので。演劇集団で共有している価値観は、映画製作にもつながっているでしょうね。良い仕事をめざして同じ方向を向いているのならば、議論があってもエゴではない、ということです。
撮影現場でも彼女が説明してくれた役割分担はありつつ、(どうもこの男性は今、僕のほうが話が聞きやすそうだな)となればサッと撮影を交代する、あるいはその逆、というように、現場が求めるものに応じてやっていましたよ。

−−ポストプロダクションも含めて、フェアな意見交換によって作られたのですね。映画が終盤に秋の収穫を迎えるように、この『あまねき旋律』という映画自体が、みなさん全員の共同作業による作物だと言える。

アヌシュカ 素敵な表現ですね。ありがとうございます。

−−補足の質問を。市場で流通されるタイプのワールドミュージックは、ここまであるジレンマを抱えていました。先ほどアヌシュカさんがあまり好まないと言われた、優れた歌い手が選ばれ、スタジオの技術で洗練された音盤が世に広がると、どこかで歌の本質が変わってしまう。しかしその評価によって他ならぬその土地の人達が、自分達の文化の価値に気付いて新たなアイデンティティを獲得できる面もある。この普遍的な問題を、どうお考えになりますか。

アヌシュカ テツェオ・シスターズをご存知ですか? ペク村出身の四姉妹のヴォーカル・ユニットです。彼女達は現在、祖父母や両親から教わった「リ」をステージで歌って人気を集めています。私は、彼女達の歌にも村の労働歌と同等の価値がある、と捉えていますね。
「リ」を歌う人達が自分達の文化を外に向けて発信し、もっと大きくしたいと望むのは当然ですし、反対する権利は誰にもないでしょう。おっしゃる通り、村から離れた歌は村の歌ではなくなるというジレンマはあり、「リ」の性質も次第に変わっていくかもしれませんが、方法次第で歌の本質は守り続けられ、両者は共存できるものだと思っています。

イーシュワル 僕はその歌が正直なものでさえあれば、田んぼから離れたとしても何かが失われることはないと考えています。もともと僕達がペク村で撮影を始めたのは、テツェオ・シスターズと会い、彼女達に故郷を案内してもらったことがきっかけですし。
一方で、村人が素朴に歌うものは音楽的価値が低いと評する音楽専門家がいる。それもまたとんでもない話です。正直な力があり、その場の目的にかなった音楽に、無価値なものは存在しません。

アヌシュカ 社会が大きな移行期にある時、ジレンマを乗り越えていくのはあらゆる文化の宿命ではないでしょうか。ペク村の人達はこれまでも、まさに歌い続けることで歌を守ってきたわけですから。

『あまねき旋律(しらべ)』
(2017/インド/83分/チョークリ語/16:9/カラー)

山形国際ドキュメンタリー映画祭 アジア千波万波部門 奨励賞/日本映画監督協会賞

監督:アヌシュカ・ミーナークシ、イーシュワル・シュリクマール
製作:ウ・ラ・ミ・ル プロジェクト
配給:ノンデライコ

ポレポレ東中野にて公開中。全国順次公開予定

HP:http://amaneki-shirabe.com/