【Interview】人はなぜ[自殺する/生きようとする]のかは、わからない〜映画『牧師といのちの崖』加瀬澤充監督

『牧師といのちの崖』という映画が、いまポレポレ東中野で公開されている。
和歌山県・白浜にある観光名所・三段壁。自殺の名所と言われるこの場所で、自殺志願者に声を掛け、彼らの生活再建を目指し共同生活をおくる藤藪庸一牧師と、その取り組みを描いたドキュメンタリーだ。
監督は加瀬澤充さん。映像制作会社ドキュメンタリージャパンのメンバーであり、間もなく開催される「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」の運営を、第1回からずっと担っている方だ。これが初の長編劇場公開作品となる。
自殺というテーマは、とかくセンセーショナルに語られがちであるが、この『牧師といのちの崖』にその姿勢は無く、自殺を思い留める人と、思い留まった人たちの“生”の交流をていねいに描いている。聞くとその姿勢に至る背後には、佐藤真という、90−00年代の日本のドキュメンタリー映画シーンに強い影響力を残した映画監督の存在と、彼に直接教えを受けた経験が大きいという。
映画の中に登場する方々と直接関連しないのが恐縮だが、本稿は、取材者(1976年生まれ)も影響をうけた同時代史の記録という意味で、加瀬澤監督と佐藤真監督との交流の実際に一定の分量を割いた。そしてこの映画が、生きづらさを抱えている人々の灯にもなることも願って。
(構成・編集=佐藤寛朗)



佐藤真の死と映画のはじまり

−−まず加瀬澤監督にとって本作を作る動機は、師匠であった佐藤真監督(1957-2007『阿賀に生きる』など)が2007年に自ら命を絶ってしまったことが大きかったと、公式サイトをはじめ各所で公言されています。佐藤真監督の死は、加瀬澤監督にとってどのような影響があったのでしょうか。

加瀬澤 2007年9月に佐藤真さんが亡くなった知らせは、直後に友人から電話で聞きました。その時に、自分の中にある何かが抜かれた感じがありました。佐藤真さんからドキュメンタリー映画を教わって、自分は今、テレビドキュメンタリーが主戦場だけれども、そこではやり切れてないと感じることもあって、なんとかしなきゃいけないという気持ちが、ずっとどこかにあったように思います。佐藤真さんにはいつか作品をみせなきゃいけない、特に彼には映画として、自信を持ってみせられるものを作りたいとずっと思っていました。そういう目標であり、みせる対象として存在していた佐藤真さんが、ある日突然いなくなってしまった。その喪失感は大きくて、その感じは今でもうまく説明できないんですけど‥。

実は、佐藤さんが亡くなったという連絡をもらったちょうどその時、本当にたまたまなんですが、読売新聞の記者と会って藤藪さんの取り組みついて、聞いていた。そういう偶然もあって、なんか運命的にこの題材に引き寄せられていったということもあるかもしれません。

−−佐藤真監督とは、どのような関係性だったのですか。

加瀬澤 1999年、前のテレビ番組制作会社を辞めた後に映画美学校に行って、講師をしていた佐藤真さんに教わりました。ワイズマンから野田真吉、土本典昭、小川紳介…それまでみたことのなかったドキュメンタリーを教えてもらって観ました。後に自分でもいろいろ観て吸収するようになりますが、最初にドキュメンタリーの世界の多様さについて教わったのは、彼からだったと思っています。やがて、通いながら作品作りを目指すようになり、撮りためた素材を編集しては見せ、繰り返し議論をしていきました。そして、園舎のない幼稚園をテーマにした『あおぞら』(2001)という映画を完成させました。

−−『あおぞら』は、僕も完成当時の上映会でみて、同年代の作った作品として鮮烈な印象を受けたことを覚えています。佐藤真監督は、映画美学校ではどのような授業をされていたのですが。

加瀬澤 『あおぞら』は1年間ぐらい撮っていたのですが、佐藤さんには、ほとんどこれ映画になるの?という素材を見てもらいながら議論をするんです。毎回毎回、ものすごくていねいに批判されました。断片的な記憶ですが、最後のほうで。障害を抱えた子どものお母さんがある種の心情を吐露するみたいな素材を見せた時に「加瀬澤くん、これは映画になるよ」と言ってもらったことを覚えています。素材についての批評を徹底的にやる中で作品が生まれることを、佐藤さんに教えていただいたんです。とにかく面白かったんですよ。僕にとって映画美学校は、世間の見方、作品のあり方を、ものすごく実験的に、挑戦的に捉えていく場としてありました。

『あおぞら』を作った後も、佐藤さんには何度か現場に連れていってもらったりして、「加瀬澤君、この駐車場の看板、ふつうは看板をセンターにおいて撮るじゃない、でもちょっとずらすといいんだよ」と教えてくれたことももすごく印象に残っています。いわゆるただの駐車場、という記号的な意味ではなく、駐車場という風景からみえる現代社会の情景や空気感が見えてくる。そういうことが刺激的で、自分の映像や写真に対する批評眼が鍛えられたと思います。

今回の『牧師といのちの崖』の編集過程でも、彼の著作や映画をちょっとずつ見返したりしながら、佐藤さんのいう「“緑の光線”(エリック・ロメール監督の劇映画)の空気感」や「“ドキュメンタリーは世界を批判的に捉える鏡”だという考え」を実現できたらいいなと考えていました。佐藤真的なドキュメンタリーの捉え方は、その端緒が複雑だったりするので、最近は、そうした作品が少なくなってきているとも感じていました。その存在を強く意識しているからこそ「この映画は、佐藤さんならどう思うか」と自分の中で対話をしながら作品を捉え直していたと思います。もちろん、いつも彼のことばかり考えているわけではありませんが…

−−確かに佐藤さんの死は、ドキュメンタリー制作を志す上で、僕にとっても同時代で経験したショッキングな出来事でした。でも、そこから本作を撮るまでには、少し距離があるような気がします。どういうことを考えて、藤藪さんという命を救う活動をする方に出会われたのですか。

加瀬澤 正直に言うと、それ以前に僕が自殺という現象に対して興味があったかというと、それは無かったです。佐藤さんの死に対する強烈な「なぜ?」があって、佐藤さんのような明晰な人が自ら命を絶ってしまうことが、僕にはどうしても理解できなかった。そこから「なぜ人は自殺するのか?」という問いが大きくなっていき、藤藪さんとの出会いに繋がっていったのだと思います。

藤藪さんとは、佐藤さんが亡くなって間もなく会うことになって、一度「オンリーワン」というテレビ番組(NHK BS-1)を一緒に作っています。その後、改めてもう一回取材をして映画にしたい気持ちが強まって、2013年から2014年にかけて、再び1年間藤藪さんのもとで取材をし、編集したのが今回の作品です。
『牧師といのちの崖』より©ドキュメンタリージャパン、加瀬澤充

 <page2 >カメラを回すことで、答えは出せない につづく